「ニュータイプの時代」を読んで感じた自分の日常に対する違和感
2019年4月に出版されたニュータイプの時代を今更ながら読んだ後、自分の職場の周りに21世紀型のニュータイプがいるかどうか思いを巡らせたが、自分も含めて一人もいなかったことに驚愕した。
オールドタイプは顕在化している課題について対処する一方、ニュータイプはそもそもの課題を発見する。
オールドタイプは論理性を皆と同じ正解を探すが、ニュータイプはありたい姿を構想しながら未来を創り出す。
オールドタイプは年長者や専門家にすがる一方、ニュータイプは無知を強みと新たな領域に挑戦する。
オールドタイプは一つの会社と一蓮托生だが、ニュータイプは複数の仕事のポートフォリオを持つ。
オールドタイプは権力を行使し人々を働かせるが、ニュータイプは自ら熱中し主体的に働く。
こうして書いてみるとオールドタイプというのはいかにもテストだけは得意だったつまらなそうなサラリーマンの顔が浮かんでくる。だが哀しいかな、自分も含め私の周りにはオールドタイプしかいない。
この本は2019年に出版されているので、早5年弱経つ。いくらJTC(Japanese Traditional Company)と言えども、こうした革新的な本が出てから5年も経てば、少しはニュータイプの人間も増えてくるものかと思ったが、ほぼ皆無である。
目の前の道路に空いた穴を塞ぐ突貫工事のように、顕在化した課題に対する対処を主な仕事とし、論理性を重視するあまり当然の帰結しか導けないようなアイデアしか出ないし、ありたい姿を構想したところで「本当に未来はそうなるの?」という頭の良い人たちに潰され・潰し、そんなことしている間になんだか「まあ会社なんてこんなもんだよな」と若い頃は尖っていた同期たちもいつの間にか金太郎飴のように昔のオールドタイプの上司と同じ顔つきや発言、思考になっていく(そもそも「同期」という考え時代がオールドタイプだ)。
人にはそれぞれ特性や向き・不向きがあるのでオールドタイプが居心地がよければそこに留まるべきであり、無理にニュータイプになる必要も無い。むしろニュータイプばかりの世の中になったら皆がやりたいことをやるい方、やるべきことをやる者が不在になり、社会がめちゃくちゃになるだろう。
ただ、自分を振り返ってみると、オールドタイプの世界に違和感を持っているのは事実だし、さらにこのオールドタイプが全く駆逐されていない現実にも違和感を覚えている。
自分もニュータイプの人間に近づき、自分にとって居心地のよい場所を見つけられるよう、毎日少しずつ行動をしていこうと思われた本であった。
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