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AIに代替されない仕事とは

最近は、企業のあり方、未来の展望、学生就職、子ども達の夢・・そんなあらゆる場面で、「AIに代替される」ということをよく聞きますね。

そんな話を中途半端に聞きかじって、色々おかしなことになっていると言うことを最近感じるのです。

何がAIの仕事になってしまうのか

逆に、「人間にしかできない事」という話にもなりますが、結構あらゆる場面で、まだまだ人間にしか出来ないことって多いと思うのです。

ただ、人間が複雑な対応をしなくてもできるルーチンワークは単純にシステムを作りやすいということろで、最初に変化が起きるジャンルだとは思います。それはつまり、創造性のないホワイトカラーの仕事でしょう。

どういうことかというと、書類のチェック、受付、発行の業務なんかは実に簡単にできてしまうと思うのです。

たとえば、市役所でいうと、住民票や印鑑証明等の発行、住民票の転入転出の届、出生・死亡届のようなものはAIを使うまでもなく自動化できるんじゃないの?って感じはしますよね。

それをやっている人が最低時給のアルバイトなら人間の方が安いかもしれませんが、市役所職員の人件費を考えたら、システムにそれなりの設備投資がかかってもすぐに元が取れそうです。

そうはいっても、個別に相談したいケースもあるという反論がありそうですが、そういうときだけ呼び出しブザーを鳴らせば職員が応対するということで十分だと思います。

例えば僕の仕事の中で言うと、お客さんからの問合せメールに対する返信なんかは、かなりAI対応出来そうな気がしています。ある程度パターン化しているので、AI対応していることがバレても良いくらいなら近い将来実現しそうです。おそらく、ホテルや飲食店の予約電話なんかは、人間なのか機械音声なのか、区別が付かないくらいにはなるでしょう。

意外と、道路や建築関係、一次産業などの力仕事は、機械化するために大がかりなハードウェアが必要になるので、システムは単純でも費用対コストということを考えると急激な変化は考えずらいと思っています。

AIで将来どうなるか興味を持った方は、とりあえずこれは読んでみると良いですよ。2年ほど前に大ヒットしたので、すでに読んでいる人は多いと思います。

その後の関連書籍を読むと、この本の内容や東ロボくんの実験が引用されることが多いのです。

何を学ぶべきか

新井紀子先生の本のタイトル通り、AIに負けたくなかったら、まずは教科書を読めるようになれという話です。

それにしても、AI時代到来ということで注目されているのが、プログラミングと英語の教育ではないでしょうか。

面白いことに、プログラミングも、「言語」としてくくることができます。
コンピューターに命令するための言語ですから、相手が外国人なのかコンピューターなのかという差であってコミュニケーションツールであることは共通しています。

ここで、ちょっと違和感を感じるのは、ただのツールであるにもかかわらず、それこそが目指すところだという感じで、教育に取り入れられているのを散見することです。

つまり、プログラミングが出来れば、または英語ができれば食いっぱぐれないという発想です。これはちょっとマズイと思っていますよ。

たしかに、「食いっぱぐれない」というのは、あながち間違ってもいない気がします。クラウドソージングが当たり前になって来て、ここ数年で既に作業単価はものすごく下がっています。

何を言いたいかというと、最低時給か、それ以下の請負でいつでも働くことができます。今までの肉体労働のようなスポットになりつつあります。

今時人並みにプログラミングができるとか、翻訳や一般的な通訳ができるくらいでは、アルバイト程度の仕事にしかなりません。

エンジニアが少ないサーバーサイドの言語をかなり高いレベルで操れるとか、システムを統括できるプロジェクトマネジャーができるとかそういうことならは話は別です。

英語にしても、日本語、英語を問わず、交渉能力に長けているとか、トラブル折衝に強いとか、飛び抜けたものがあれば別ですが、日常会話の英語がペラペラでも、人間性や知識が違う意味でペラペラだったら使い物になりません。

人間はAIの下請けをする

この言い回しは面白いと思っています。これは言ったのは落合陽一さん。
そんな話が書いてあったのが、最近読んだこちらの本。

たしかに、Uber EATSなんて、システムで受注されたものを人間が下請けして走っているとう構図になりますね。

そして、人間がインターフェイスになるという話もありました。

つまり直接の顧客対応は人間がして、受け付けた人間がシステムに情報を入力する。JRのみどりの窓口なんかは、かなりその状況に近いのではないでしょうか。最後の2席が開いてるんだけど、並んでないのでどうしたらいい?なんていう、複雑なオペレーションの場合は、お客さんのタイプや心情を読み取るという業務が必要になるかもしれないですね。

ファミレスのウェイトレスもメニューを聞いて端末に打込むと、オーダー、順序、テーブル番号などが厨房に表示されます。それだけならほとんど人間要らないですよね。

しかし、こんなこともあります。

うちは子ども3人の5人家族です。そうすると、「4人掛けのテーブルなら空いているので、お子様用の椅子を足してもいいですか?」なんて言われることもあるのです。こういうのは、やっぱり人間だから出来る対応だとおもうんですよね。

人に頼めない仕事が生き残る

僕の悩みは、他人に仕事を頼めないことです。

よく、それは信用していないからだとか、完璧を求めすぎだからだということが言われます。

実際それもあります。単純作業が大量に出たときでも、アルバイトを使って元を取れることは少ないです。つまり、高度な技術を安売りし過ぎているということですね。いずれにしても商売が下手なのです。

そして、もう一つ根本的な原因は、そもそも頼めないということです。

お客さんと主観や感情で繋がれること、情熱、そして膨大な経験値を元に仕事をしているので、これを誰かに任せるということはできません。

だから、昔は師匠の付き人や鞄持ちという立場で24時間生き写しの様になれるよう勉強したんでしょうけど、現代では現実的ではありません。それは、従業員を雇えない一番の原因ですし、ビジネスの規模も拡大していきません。

でも、最近思うのは、どうやっても他人に頼みようがない仕事っていうのは、ライバルに奪われることもなければ、AIに負けることもあり得ないのです。いやシンギュラリティをとうに過ぎた100年後は分かりませんけどね。当分の間はなりえないでしょう。

そう考えたら、「こんな仕事は早くAIに奪われてしまいたい!」とブツクサ言いながら、人間らしく仕事をしていくのは、悪くない生き方かもしれなですね。

そう。きっと、そういう創造性がないとできない仕事は、AIの恩恵を受けるばかりで、仕事が奪われるなんて生きているうちに難しいかもしれませんね。

むしろ仕事を奪ってくれたら、そういう人はもっとクリエイティブに余生を過ごせるってことなのです。

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