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結局は人

九州小倉の小さな何ていうんでしょうね、現代版ビジネスホテルというか、若者向けの安宿と言うのでしょうか、そんな感じのコンパクトな宿に泊まったことがあります。

デザインをいろいろ頑張っていて、お世辞にもセンスがいいとは言えないんですが、小さなフロントでの応対の最初から、何か感じるところがあり、常に床材とか部屋にある備品とか、アメニティのグラフィックとかに目がいくのですが、それらはとっても安上がりな感じで、いつものように採点を勝手にしたりして、まぁ嫌な客なわけですが、うーん、45点かな、とか思っていました。

部屋に小さなカードが置いてあり、それもまぁ、センスがいいとか言えないのですが、手書きでメッセージがありました。

その人の気配を感じた瞬間、この小さなホテルに「人格」を感じて、急に受け入れるわけです。「あ、そうか。わかった」みたいな。

最初は「なんなんだよ」くらいに、何かを探すんです。汚いところを見つけたら、他の汚い場所を見つけるような感じ。みんなそうだと思います。探しているのは「人の気配」だと思うのです。そして、次に「そのひとの人格」をみようとする。それが見つかると、全てのことが、その「人の人格」に基づいていることにしていく。フロントの接客とか、一階にあるカフェでの応対とか・・・・・。

逆に徹底的に「人の気配」を出さないようにするサービスもあります。中途半端に出すくらいなら、マニュアル通りにやって下さいと、従業員をロボット化して、面倒なトラブルを起こさせないようにする。

このホテルにあった、たった一枚の手書きのカードに、僕は人格を発見して、そのキャラクターを想像し始める。要するに、いいホテルなのかもしれないなと、僕は思っていくわけです。

いいホテルや店は、それを意識していると思うのです。人が利用するのだから、「人」として対応しようとする。オーナーの人格をそのまま出すホテルや店もあるでしょう。「それを感じて欲しい」とスタッフ側も思うのでしょう。そういう「人」だからこその対話があってこそ、何もかもがある。そういう考えを基礎にする。あぁ、自分は「人」を探しているんだなぁと、思いました。

沖縄に行くと、なんか狭い島の、そして、みんなが繋がっているような気配を感じ、つい知らない隣り合った人に話しかけてしまう。そういうことってないですか? 島に、沖縄という場所に「人」を感じたのです。そういうことをしてもいい場所だということを感じさせてくれる。なんでしょうね。逆に東京にはそれがない。だから僕は東東京に通うんだと思うのです。

格好のいいツンデレのようなレストランの美味しいだけの食事もいいのですが、やっぱり「人」くさい場所にたまには行きたくなります。汚くてうまい居酒屋は、つまり「人」がプンプン感じられるということだと思うのです。

手書きのカードなんて、なくてもいいんです。でも、書いて置いた。何気ないことですが、そこに反応した僕は、このホテルの想定したお客の枠に当てはまったんだと思います。

人は生きていて、やっぱり「生きている手ごたえ」を感じたいのでしょう。それには2種類があるように思います。「他人から感じる」か「自分で感じるか」。つまり「人」を通じて「実感」するんでしょうね。

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ロングセラー「ナガオカケンメイの考え」の続編として、未だ、怒り続けているデザイナー、ナガオカケンメイの日記です。

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