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晴れの日も雨の日も#241 過ぎ去りし日々

年を取って記憶機能が減退している。家族と話をしていても「お父さん、覚えてへんの?!」と言われることがザラだ。
昔はそうではなかった。特に30歳前後ぐらいまでは、中学からのいろんな思い出話がたくさんあってオモシロオカシクあちこちで語っていた。奇行変行が多かったゆえんでもあるのだが笑。

昨年後半に「たとえあなたをわすれても」というテレビドラマが放映されていた。低視聴率だったらしいが、私は主演の堀田真由ちゃんのファンなので、欠かさず拝聴した。記憶障害のある人との恋愛ドラマで、ストーリー・内容的にはイマイチだったのか。。。
ところどころ、記憶とか想い出とかに関連する気の利いたフレーズがあったのだが、堀田真由ちゃんに気を取られてメモしてないのがザンネンだ😂


中3の時、同じクラスの女バス副キャプテンの子のことがめっちゃ好きだった。単なる重症の片思いだが笑。その子が卒業時の寄せ書きかなにかに「想い出は重いで〜」と書いていたことが半世紀を経た今も忘れられない。オモロイ&エエこと言うやんか〜。今なおその通り!と思う。

記憶と想い出はほとんど同じなのだろうが、「記憶」は無色・「想い出」は色付きという印象がある。「追憶」という言葉もあるが、これは遠くを見る目で懐かしむという感じだろうか。

いずれも忘れられないこととして自分の中に残っているわけだが、これが当時の事実そのままかというと、話はそんなに単純明快ではない。想い出が美化されるなんてのはよくある話だ。大人になってから小学校の職員室に行ってみて「あれ?こんなに狭かったっけ?」と思ったという話もポピュラーだ。だいたい人間というのはよく出来ていて、イヤなことは忘れるようになっている。おめでたい私などは、キツかったことでさえ、どこか笑える想い出に作り替えて、しまってある。


「人は二度死ぬ」という言葉がある。永六輔の言葉らしい。一度目は肉体の死、二度目は人々から忘れ去られる時だという。なるほど、記憶の中に存在していれば、まだ完全に死んだのではないのかもしれない。しかしそうなると、歴史に残る人物などは永遠に生き続けるということかとも一瞬考えたが、これは記憶と記録は同じではないということなのだろう。

昨今、「想い出づくりをしましょう」という趣旨の言葉にしばしば出会う。想い出は結果として残るもので、それを作ることが目的みたいに言われると、そうなん?とも思うが、想い出が大事なものであることは全く異論がない。

想い出がなければ人は生きていけない、というのも気持ちはわかるが、一方で、いつまでも過去の思い出に浸っていないで、未来に向かって生きていけ、というのもまったく正論だろう。私が生業としているコーチングも未来志向の考え方だ。
といいつつ、私は結構想い出の想念の中で一人遊びをしていることも少なくない。妄想と想い出を掛け算すると、たいがいのことが可能なような気になるからオソロシイ。想い出は今の私を形作っている大事なものなのだが、老い先短い人生とは言え、やはり、未来を見て生きていきたい。

追 21日(日)は知人のお誘いでバスケットB1リーグの試合観戦。初体験だが堪能させて頂いた。お目当ては河村勇輝。やっぱスゲエわ。この日は30得点。今度は彼の推し活をやってる娘#5と行かねば。チケットとられへんけど。。

大阪エベッサVS横浜ビー・コルセア−ズ
河村勇輝得点!
ハーフタイム。白のちびっこいのが河村勇輝

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)>
#242 【創作SSタケおじシリーズvol.15】変化
#243 【総合企画】しょうがない。で?
#244 【創作SSタケおじシリーズvol.16】先生が倒れちゃった

(つづく)

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