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晴れの日も雨の日も#218 ツナガルって?
つながる、という言葉を日常的によく目にする。
昔は「つながる」といえば、たとえば「電話がつながる」というようなモノ、コトに使っていた言葉だった気がする。人と人については、「知っている」とか「仲良し」とか「しょっちゅう会っている」というような言い方が本来なのだろう。
人が誰かと意思疎通を図ったり、交誼を結ぶには、大昔は直接会うか手紙しかなかった。やがて電話が発明され、電子メールなる便利なものまで世に出てきた。さらには電話は個々人持ちのスマホにとってかわり、最近ではもっと進んでSNSだ。そういうコミュニケーション手段の変遷は間違いなく人と人の関わり方に影響している。
たとえば自筆で手紙を書いていた頃は、精一杯の想いを込め、読む人に思いを馳せ、どう書いたら伝わるか思案を重ねていた。書いては破りしていく中で、手紙の濃度や純度をあげることもあった。
元来、「人」と「人」のコミュニケーションには息遣いとか肌の温度感があった。それが、技術の進歩に伴い、無機質感や刹那感が徐々に忍び寄り、「モノがつながる」というのとレベル感が近づいている感じだ。そして今や、誰もが顔の見えない不特定多数に発信できるようになり、それだけでネット社会で知り合いになるようになった。人と人がお互いのことをよく知ったうえで交誼を結ぶ、というより「ツナガル」といった方がピッタリくる感じがする。
もう今更手紙しかなかった大昔に戻ることはできないし、今の「ツナガル」にはたくさんのメリットもある。特に災害復旧などでは人のつながりが助けになる。孤立を防ぐという観点でも重要だ。しかし、リアルな人間関係も、だんだんそれに影響され、希薄化したり全人的な付き合い感に欠けたり、ということが起きていないだろうか。
いや、今の人間関係なんてそれでいいのよ、ということなのかもしれないが、昭和オヤジの私は、なんだかなー、という思いを払拭しきれない。
「つながる」とは自分にとってどういうことなのか、何かに追われるようにして「つながる」を求めているけど、本当に自分が求めているものは何なのか。誰とどうつながって何をしたいのか。一緒にいてもそれぞれケータイに向かっているだけ、というのはつながっていると言えるのだろうか。一度立ち止まって考えてみてもいいような気がする。
また、ネット上でたくさんの人とつながり、たくさんのフォローやイイネをもらうことに現代人は血眼になりがちだ。それなりにマジメにnoteに取り組んでみるとその気持ちはわからんでもない。が、私は、一体なんのために誰とつながりたいの?というのは忘れていない。文章を書くには読み手の目線を考える必要があるのはもちろんだが、スキ獲得が目的化してしまうことは主客転倒だと自戒している。そしてリアルな場で本当の友好の情を感じ合う事の方が私には大事だし、しっくりくるというのは変わらない。
組織人を卒業すると、「職場の仲間」はもういなくなる。一人の人間に戻って、誰とどうつながっていくかは極めて重要な問題だ。そして、誰かと「つながる」ばかりではなく、孤独とどうつきあうか、というのも同じくらい重要だ。気がつけば私もそういう年になってしまった。
本当につながりたい人とはつながれず、本来しっかりつながらないといけない人とは細い糸でしかつながらず、思いもかけない人とバッチリつながったり、なんてこともありそうだ。人の世はなかなか思うようにいかないものだ。
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今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)>
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#220 こわいひと
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(続く)
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