見出し画像

晴れの日も雨の日も#260 「魂を売る」の巻

40年来の心友と略月一ペースで一献を共にする。
最近は土曜日に昼飲みするパターンだ。おたがい大酒飲んで失敗したこと数え切れずで、結局のところこれが一番ケガが少ないと学習した🤣
先日、いい酔い加減で店を出た昼過ぎ、マイクやライトを持った数人に「ちょっといいですか」と声をかけられた。「ケンミンショー(読売TV)」の街頭ロケだという。心友はサラリーマン現役で立場もある。最初は昼飲みしたところをテレビに撮られることに半分腰が引けていた。が、いざ始まればなんのその。二人でノリノリでインタビューを受けた。


まずは「大阪人が東京に出ていって、『大阪人の魂を売りよった』ってあると思いますか」という問いだ。
続いては、ケンコバ、久本雅美、ヤーレンズ(漫才)のパネル写真を順番に見せられ、それぞれについて「大阪人の魂を売り渡した、と思いますか」と聞かれた。
お祭りヤローの私は、キョーミ深そうに見ていく通行人を巻き込みたくて、目が合う女子高生など片っ端から手招きするのだが、赤ら顔のおっさんのところに近寄ってくる人は残念ながら当然だが誰もいなかった🤣

「秘密のケンミンSHOW」、毎週木曜日9時〜放映中。
心友と私のシーンはカットされるのか放送されるのか。そもそもこの企画自体がボツになる可能性だってあり?
さっぱりわからんが、オンエアに乞うご期待。


さて、この「魂を売る」、せっかくの機会なので、もう少しいろいろ考えてみたい。

ネットでこの言葉を調べてみると「人が金品や地位を得るために、悪事をはたらくこと」とある。もしくは、「自分の価値観など、本来は譲れないものを金銭等のために曲げて相手に迎合すること」とも言えるだろう。
くだんの「大阪人の云々」というのは、手っ取り早くは、関西弁と使うことをやめることを指すのだと思う。あるいは、特に大阪人は東京への対抗意識が強いとすると、もっと本質的には、有名になったり売れるために、自分のアクを抑えたり、お役所の意にそぐわぬことはしない、とも言えそうだ。

いずれにしても蔑称であるのは間違いなさそうだ。あるいは何としてでも売れてやろうという人に対するやっかみの気持ちも混じっている匂いがする。逆に「売った」と言われている人からすれば、「やかましいわ。悔しかったらオマエも売ってみろ。何にもできへんくせにガタガタ抜かすな」と言いたいところかもしれないし、そこまで自信と確信をもって「売った」のなら、それはそれで見事ではないかという気もする。

一方で、「売る」なんて言ってるけど、「買い」があって初めて売買は成立する。買ってくれる人はいるのか、ホントに自分に買ってもらえるだけの値打ちがあるのか、なんてことも重要そうだ。それだけ値打ちがあるのなら、それ以外のところで抑えたり我慢したりすることなんて屁の河童だという考え方はそんなに非難に値するようなものではないように思う。

そもそも「魂」なんて一体全体切り出して売ることができるのか。できないから魂じゃないのか。「売った」ものは魂とは似て非なるものでしかなかったり、あるいは抜け殻だったりしているのではないのか。もし抜け殻というのなら、それはその人がひとつ脱皮を遂げていることを示すわけで、過去の抜け殻についてごちゃごちゃ言われる筋合いじゃない、ということになりそうだ。

誰に何と言われようとも欲しいものは手に入れる、ということは別にけしからん話じゃないだろう。そのぐらい根性を据えないと欲しいものなんて手に入らないのかもしれない。「魂」を売ってまで何を手に入れたいのかというところが問題なのだろうが、それは本人の価値判断だ。

最後に話を元々の「大阪人の魂を売った」という言い方に戻すと、こんなことを言うヤツは大阪人ぐらいで、それも東京に対してだけだろう。結局大阪人の東京に対するコンプレックスとか屈折した対抗心が言わせているだけ、ということで、別に改まって考えるテーマではないのだろう🤣

ユキヤナギと日の出。写真は下手😂

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

コーチングのご相談などご連絡等はこちらに→nagaib61s83@gmail.com
本メルアドは皆様の「心のゴミ箱」でもあります。グチ、やり場のない思いやイライラ、悩みなどもどうぞお気軽にお寄せ下さい。しっかり受け止めます。「心のオアシス」を感じて頂ければ誠に幸甚です。
隔週金曜日メルマガ配信中。購読登録はこちらから過去記事はこちら

<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)>
#261 逆境からの
#262 【創作SS】秘密
#263 【創作SSタケおじシリーズvol.21】チョロキュー
(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?