見出し画像

晴れの日も雨の日も#203 違いを扱う

オレはこっちがいいと思うが、ヤツはあっちの方がいいと言っている。
よくある話だ。
単なる遊び仲間だったら「ほな別々に遊ぼ」でもいいのだが、仕事の同僚だとそうはいかない。同じチームのメンバーとして意思統一を図り、チームとしての統一見解が求められるのが普通だ。

そうすると、特に上司と部下とか、力関係がはっきりしている場合だと、上の意見が通る。下はしょうがないから「わかりました」と言うが、本心では納得してないから、本腰が入らない。さらには、そんなことが重なると、下は「どうせ上の言うことにあわせるしかないんだから」と自分で考えることをサボり始める。

で、どんどんチームが弱体化する。メンバーの本来の力の発揮や成長が阻害され、上も下もオモロくない日々が積み重なっていくことになる。
という組織が実は多いのではないか。
いや、程度の差こそあれ、いずこの組織もこの病に陥る潜在要素があるのではないか。

それを見たエライさんは、「ちゃんと話し合えよ」とか「コミュニケーションはどうなってるんだ」とおっしゃるのが常だ。が、何を得るためにどんな話をするのかという話は欠落している。「コミュニケーション」という耳障りの良い言葉がふわふわと踊り、「コミュニケーションの本質とは」という視点が希薄なままだ。

「話せば分かる」と言ったのは5.15事件で銃を突きつけられた犬養毅元首相だ。歴史上の大人物にケチをつける気は毛頭ないが、人は本当に「話せばわかる」のか。

素性も生い立ちも背負っているものも、人はみんな異なる。同じ日本人で同じ日本語で話をしていても、お互い容易に理解しあえるとは限らない。逆に「わかるだろう」という安易な期待や甘えが邪魔をしたりする。

人はみんな自分のフィルターを通して話を聞いており、自分の聞きたいように聞いている。自分の言いたいことに夢中で、人の話なんかろくすっぽ聞いていないということも別に珍しいことではない。

「人はわかりあえない」という毒舌をはいている名コーチがおられるが、私はこれは至言だと思う。

自分の考えと相手の意見が異なる時に、どっちが正しいかというとらわれを手放したい。そもそも絶対正解を求めることに無理があるし、どっちが正しいかなんて、見方によって変わる。性急にもしくは無理やりどっちかを選択しようとしないほうがいい。

それより、まず、相手はなぜそう言うのか、相手に見えているのはどんな景色なのか、相手はどういう価値観なのか、に関心を持つことが大事だ。そうして、今度は逆に相手にも自分が見えている景色を見てもらえればベストだ。それができれば、お互いの意見の違いの根本が見えてきて、それを二人で共有できる。

そうすると、どちらの意見でもない第3の選択肢が見えてくるかもしれない。
お互いが大事にしているもののうち、今はどっちを優先したほうがいいか、という話もできるかもしれない。
結局、両論並立のまま、ということだっていいのではないか。もちろん、現実的にはそうはいっても何らかの結論がいることが多いが、違いがあることを二人で認識共有したうえで、暫定的な結論をもって、継続協議していけばいい。

違いがあるのが当たり前で、その違いを扱うためにコミュニケーションはあるのだと思う。違いを扱うというのは、違いがあることをそのまま認めることが出発点で、無理にどっちかに寄せきった見せかけの合意を作らないということだ。
「違っていてはいけない」ことはない。違いは必ず埋めなければいけないものでもない。違いの扱い方はとても大事だ。

稲刈り後の田んぼの落ち穂に群がる鳩。都会では「落ち穂」なんて死語か??

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

コーチングのご相談などご連絡等はこちらに→nagaib61s83@gmail.com
(グチ、やり場のない思いやイライラ、悩みなどもどうぞお気軽にメール
 下さい。しっかり受け止めます。皆様の「心のゴミ箱」としてご利用
 頂き、「心のオアシス」を感じて頂ければ誠に幸甚です。)

<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)>
#204 【創作SS タケおじシリーズvol.2】仲直り
#205 【実録会話😂】新しい職場
#206 【創作SS タケおじシリーズvol.3】トンボとしあわせ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?