見出し画像

晴れの日も雨の日も#216 先憂後楽と言うけれど

先憂後楽という言葉がある。
私は長い間この言葉の意味を勘違いしていた。

正しくは、中国北宋の范仲淹作「岳陽楼記」にある「天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」が語源で、国家の安危について人より先に心配し、楽しむのは人より遅れて楽しむことを言うらしい。志士や仁者など、りっぱな人の国家に対する心がけを述べた語だ。

これを私はてっきり、先に憂いて後で楽する、憂いの先送りはしない、将来のために早くから備える、という意味だと思っていた。どこでこんな勘違いをしてしまったのかわからない。
で、本記事で扱いたいのは後者の私の勘違いしていた方の話だ。


今楽をせずに将来に備える、というのはイソップの「アリとキリギリス」の話と同じだ。たとえば、老後に備えて貯金をしよう、なんてのもその類だ。だいたい、日本人はもともとこういう感覚が根付いており、老後に2,000万円必要だなんて言われると、若いうちから貯めておかないといけないなんて思ったりする。だけど、それがいいのだろうか??

私が4年暮らしたインドネシアはそうではなかった。「アリとキリギリス」の話が通じない。まず、年中バナナや果物が樹に生っている。食べるものを夏の内にストックしておかなければならない、なんて感覚が寒い冬のない南国では理解できない。加えて、イスラム教では喜捨ということが尊ばれ、富者は貧者に施しを与えるとされている。神様を信じていれば、飢え死にすることはないという考え方なのだ。

そうなると、今を楽しんで生きる、という発想になる。「今」を大事にすると、過ぎ去ったいろんなことを引きずらない。
インドネシア人はいい加減で、工業生産には向いてないという意見もあるが、人間の生き方としては日本人より幸せなのではないかと思うことがしばしばある。


日本では「いい学校に行って立派な会社に就職して」なんて考えが根強い。そのため子供のうちから塾に行かせたりして将来に備える。
「勉強しないとパパみたいになるわよ」なんて言われたりする。
結果、子供たちは、多感な思春期にたくさん学んでおくべき実体験を犠牲にして、塾に行っていい学校を目指すことになる。
ようやく会社に入っても、無事定年まで会社に残るために、文句や不満も我慢して今を辛抱する。
で、耐え忍び続けて定年を迎え、自由になる。ところが、せっかく自由になっても、その自由を活かして自分が何をしたいのかわからない。
長年単身赴任をしてきたこともあって、妻や家族との間にも隙間風が吹いている。。。

なんてことが世間にはよくある。
これではなんのために長い間辛抱してきたのか、なんのための人生なのかさっぱりわからん、と言う気がしてならない。

私自身も先憂後楽(我流/誤った解釈の方の)に近い考え方でここまでやってきた。が、最近になって「今を楽しむ」「今この時を精一杯生きる」という方がいいのではないか、と思うようになってきた。
もちろん、将来の備えなど全く考えずに毎日楽しく遊び暮らせ、という訳ではない。年をとったってメシも食わなけりゃいけないし、カネもいる。自立を求める日本では、イスラムの世界のように貧者に富者が恵んでくれるというのは期待薄だ。
だけど、充実した今を積み重ねていくことが、後悔のない人生を生き切ることにつながるのではないか。将来カネが無いなら無いなりのレベルの暮らしをすればいい。
「今ここ」こそが全てで、それを精一杯楽しんで生きるような、そんな生き方をしていきたいと今の私は思う。

近隣のザクロの実。赤く色づき割れてきた。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

コーチングのご相談などご連絡等はこちらに→nagaib61s83@gmail.com
本メルアドは皆様の「心のゴミ箱」でもあります。グチ、やり場のない思いやイライラ、悩みなどもどうぞお気軽にお寄せ下さい。しっかり受け止めます。「心のオアシス」を感じて頂ければ誠に幸甚です

<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)>
#217 【創作SSタケおじシリーズvol.5】タラレバものがたり
#218 ツナガルって?
#219 【おでん屋シリーズ#12】やさしさ

(つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?