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晴れの日も雨の日も#283 光と影

一昨年の上半期のNHK朝ドラは「カムカムエブリバディ」だった。主人公るいが相方のジョーに「あなたとひなたの道を歩いていきたい」と語るところは名シーンだ。当時、私はこのセリフに感じ入り、#33「賭けるーカムカムエブリバディ」という記事を投稿した。それはそれでいいなあと今も思うのだが、最近、「道は別に『ひなたの道』だけじゃないやん」とも思うようになった。

光あれば影もある。確かに光の当たるところは明るくて派手でいい。だけど、日陰で過ごしている人だってたくさんいる。そういう人たちにもちゃんと目を向け、その思いを受け止めたり寄り添ったりすることもとっても大事じゃないかと思う。

ドラマのこのセリフ、「ひなたの道」という言葉は必ずしもド派手な表舞台を指しているのではないと理解している。誰に恥じることなく堂々と自分の道を自分の思う通りに歩いていければ、そこが「ひなたの道」なのだと思う。
が、「ひなた」を強く指向すぎることは、日陰を過度にきらうことにならないか。あるいは、万一日の当たらないところに身を置くことになった時に必要以上に卑下したりということにならないか。下手をすると「目立ちたがりへの道」にもなりかねないだろう。たとえば舞台でいうならば、日の当たるところで主役を演じるだけが芝居ではなく、裏方で黙々と芝居を支えるような、そんな仕事ができればいいと思うし、そんな気持ちでコーチングの仕事をやっていきたいと思う。

そして、光強ければ影また濃し、ということもよく思う。
たとえば、卓越した経営手腕を持ち、長らくトップに君臨する経営者、という方が時々おられる。松下幸之助さんや稲盛和夫さんなどは本当に優れた経営者なのだと思う。一方、確かに素晴らしい実績をたくさん残し、余人もって代えがたい貢献をされているのだが、長くやっているうちに裸の王様になってしまっていたり、結果的に後進が育っていなかったりして、弊害を生じさせているケースもしばしば見受ける。さらには「後進が育っていない」のではなくて「育てていない」あるいは「潰してきた」となると何をかいわんやだ。
すごい功績をあげた頃合いでスパッと身を引くというのは、実はなかなか難しい。周りからも押し上げられてずっとやっていくうちにだんだん功罪両面が生まれてくる。他の追随を許さない実力が結果的にマイナス影響につながっていくことがある。やはり、何事もバランスとか後味の良さ、余韻、余白といったことが大事なのだろうと思う。

光の当たる道をずっと歩いてきた、いわゆる「勝ち組」の人が、途中で足を踏み外し、晩節を汚すという事例も世間には枚挙にいとまがない。長い間日の当たらないところでこつこつ腐らずに頑張ってきた人が最後に大輪の花を咲かせるという事例だってある。地球のこっち側に日が当たっている時は、その反対側は日の当たらない夜なのだ。光と影は実は表裏一体のものなのかもしれない。

日の当たらない夜、という意味では、昔の夜はもっと闇が多かったとよく言われる。あんどんとか囲炉裏の火、あるいは月や星の明かりしかなかった時代。部屋の隅やあちこちに光の届かない闇があった。そこに人々はおそれを感じ、それゆえにつつましやかに生きていた。現代人がそういう部分をなくし、人知万能と言わんばかりに突き進んでいるのは、世の中が明るくなりすぎたせいもあるのかもしれないと思ったりしている。

今年初めてニンニクを栽培・収穫。まあまあよくできた方では。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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