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晴れの日も雨の日も#230 あしたのためにその0 今日とは違う明日をつくりたい

「あしたのジョー」という古典漫画がある。
今の若い人はご存知なのかしら。昔の漫画だから敬遠されるかも?

矢吹ジョーという不良にボクサーの天禀を見出した丹下段平が、鑑別所にいるジョーに手紙を出す。そこには「あしたのためにその1」としてジャブの打ち方が書いてある。鑑別所の中でジャブを練習して、将来のチャンピオンを目指せ、というわけだ。

ボクシングの基本中の基本であるジャブの習得を「あしたのためにその1」というなら、私はその前に、今日とは違う明日を作りたいか、という問いを「あしたのためにその0」として掲げたい。事実、私はコーチングセッションでこの問いをしばしば用いている。

昨日と今日、そして明日はつながっている。昨日と同じことを今日もやっていれば、昨日と変わらない明日が来ることは自明の理だ。それでいいのですか、ということを問うている。特に昨日に満足していない場合。その昨日と同じことを繰り返していると、また満足できない明日がやってきますよ、それで本当にいいんですか、という問いだ。

いわば、このボタンを押してもドアが開かないことは、過去に何度も繰り返してもう十分わかっているのに、また同じようにそのボタンを押して、「なんで開かないんだ」と嘆いている状態。
そういう無限ループから脱するには、まず、そのボタンを押さないという選択が必要だ
で、次のボタンを探す。
あるいはそのドア以外のルートを探す。
それが今日とは違う明日を作る、ということにつながる。  と思う。

たとえば、何度言ってもわかってもらえない、とブツブツ言ってる人。その言い方では相手に届かないことは学習済みのはず。自分の相手へのアプローチを変えずに、おまえが自分で変われというのは、自分の考えが正しいということに凝り固まっているか、相手の考えに興味関心がないかのどちらかだ。いや、実際にはその両方の掛け算になっていることが多いのだが😂

あるいは、「昨日には満足できないけど、しょうがないんです」と言ってる人。確かに自分一人でその局面を打開し切ることは難しいのかもしれない。しかし、そういう安全弁の中に逃げ込んで自分が今できることを探さない姿勢でいると、誰も助けてはくれない。白馬の騎士はいないのだ。
まず自分が今できることを探す。そうすると助けてくれたり応援してくれる人が出てくる。
堅牢に見えた堤防にほんの小さな穴を開けることができれば、どっと状況が変わることだってあるかもしれない。

Big jumpを考えると足がすくんでしまう。Small Stepでいいから、昨日とは違う変化を起こしていくこと。それが明日を創ることにつながっていく。

2023年ももう残りわずかだ。新たな2024年を創るために、さあ、どんなチャレンジを始めますか?あなた自身のあしたのために。

追 先日インドネシア駐在時代の友人と一献傾けた。談論風発のうちに「”たまたま”ってインドネシア語で何だっけ?」という話になった。二人共インドネシア語は堪能な方で、駐在当時絶対知っていたが出てこない。結局、ネットで調べて「kebetulan」と判明。
「それそれ!」「もうあかんなあ💦」と盛り上がって終わった。
が、だいたい、普通の駐在日本人はこんな言葉を知らない。事柄とか事象を伝える上ではなくても済むし。しかし、ニュアンスとか感じを共有したいと思うと、こうした一見不要に見える言葉が欲しくなる。
彼も私も気持ちや感情・思いを会話したいと思っている。だからこんな言葉に興味がある。
言語が何であるかによらず、会話というものをどういうふうに位置づけ捉えているか。そんなことがお互い共通しているから、彼は私のなくてはならない友人なのだなあとあらためて思った夜だった。

友人が合唱で出演する「第九」に細君と招かれる。立派な会場、立派な公演。こちとらやや場違いか笑

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)>
#231 【創作SSタケおじシリーズvol.11】整える
#232 さよなら2023年
#233 こんにちは2024年
(つづく)

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