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「晴れの日も雨の日も」#81 【企画参加】子供に伝える私のしごと

note街をフラフラしているとメディアパルさんの「おとなも夏の作文、書いてみませんか? #子どもに伝える私のしごと 」という企画に出会った。
おとなも夏休みの宿題で作文を、という企画もおもしろいし、仕事について子供たちに伝えたいこともたくさんある。
さあ、張り切って書くぞ!

<私の5人の子供たち、そしてその伴侶、さらにはその子供たちへ>

まず、仕事って何やろね?
何のために働くんやろ?
おカネのため?
うん、もちろんおカネはメシを食っていくために絶対必要。ましてや、家族ができると「養う」という責任がある。

でも、そもそも、「働く」とか「仕事」って何なんやろ?

「働く」っていうのは「人が動く」と書く。「傍(はた)が楽する」っていう語呂合わせも含めて、「自分が動くことで周りの人にどれだけ ’’価値’’ を生み出せるか、それが働くってことだ」と新入社員の頃に教わったことがある。エエこと言うなあと思ったよ。

一方、「仕事」っていうのは「仕えること」だね。
「自分が精魂傾けてやっていくこと」というのが本来の意味なのかな。

そうすると、精魂傾けてやっていくことをみつけて、それを自分がすることで周りの人に価値を与え、その対価としてお金を頂いて、家族とともに生活していく、という生き方ができると、とってもいいよね。

さて、オレの仕事は大きく分けると4ステージかな。

1.親会社での国内業務:
コンクリートの橋梁に使う主要材料の営業から社会人スタート。最初こそオモロない、会社やめたろかと思ったけど、途中から結構ハマって、どこに遊びに行っても、橋を目で追う職業病になっちゃった。

20代後半にはもう自信満々の営業マン。オレが会社の代表みたいな顔してお客さんに接してた。社内に対しても、オレがお客さんのこと一番ようわかってる、と思ってやってた。

自分の仕事にプライドを持つ、ということを覚えたんやと思う。

休みの日にこっそり君たちを会社の中に連れていき、「ここがお父さんの机」なんて座らせたこともあるんやで。覚えてないやろけど。

お父さんの会社はこの業界のチャンピオンやったけど、いろいろ敵もいて、そいつらとまさに火花が出るような戦いをした。このときはホンマに、この会社この事業をオレが一身に背負ってるような思いで必死で頑張った。

それから自動車の部品向けの営業をしたり、損益管理や企画関係の仕事も担当した。このときは事業のM&Aに携わったりもしたぞ。
主要原料の購買をしたこともある。
組合や採用のお手伝いもしたし、組織再構築の旗振りをしたこともある。
こうやって考えると結構いろいろやってるなあ。

2.インドネシアにて:
拠点長として約4年駐在。学びと実りの多い時間やった。これは拙noteのあちこちで出てくるからここでは割愛。

3.子会社勤務のこと:
インドネシアから帰国して3年ほど子会社勤務。特に後半は諸般の事情でブルペンを温めるような格好になっちゃって、それと還暦を迎えるタイミングが重なって、結局コーチングを世過ぎの杖としてサラリーマンを卒業することを選択した。

4.プロフェッショナル・コーチとして:
これはまだキックオフしたばかり。第2の人生だ。コミュニケーションの達人になるぞ。


それぞれ働く場所ややってることの内容は違うけど、オレはずっと「ひと」を見つめ続け、「ひとと関わる」ことを仕事にして、一本道を歩いてきたんやと思う。
で、その局面局面で目の前の仕事を好きになり、精魂傾けてやってきた。
結果、仕事に誇りと愛着を持つことができた。
自分を表現し、自分を磨く場所に恵まれてきたと感謝している。

冒頭記載のカネについては幸いここまであまり苦労せずにやってこれたかな。ちょっとここからはどれだけ稼げるのかよくわからん。まあ、お母さんも働いてくれてるし餓死することはないやろうと楽観。

でもカネの話も含め、辞めてみると、サラリーマンって保護された世界やったんやなあと改めて思うね。

さて、君等が仕事を通じてどんなものを得ていくのか、どんな人になっていくのか。
カネだけじゃなくて、自信と誇りをもって仕事を深め、いずれ仕事を卒業する時に、「あー、これやってきてよかった」って思えるような時間を重ねて行ってくれると嬉しいなあ。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井克之  
仕事のご連絡・その他ご相談等はこちらに→nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告>
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(続く)


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