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「晴れの日も雨の日も」#85 中学生日記

昔、NHKでこういうタイトルのドラマがあった。昭和47年の放送開始というから、まさしく私の中学生時代とかぶる。

小学校までの私はアカンタレだった。あまりいい思い出はない。というより、記憶に残るほどの体験自体があまりない気がする。全然覚醒していない感じだ。私の人生が本格的に始まったのは中学からというのが正直な実感だ。


鈴木亮平という俳優がいる。
えさんが大ファンだ。私も彼はステキだと思う。役作りへの真摯な姿勢にとても共感する。
彼は私の中学の後輩にあたる。
22年差。つまり、私が社会に出る時に彼はこの世に生を受けた。そしてそこから12年後に私が卒業した中学の門を叩いたということになる。
彼はその頃既に俳優の道を目指しており、その後偏差値58の高校へと進学する。私は偏差値46の高校へと進んだ。
このあたりから彼と私の決定的な差が生じた。のではないな。きっと。

彼が在籍していた頃のこの中学はどんなふうだったのだろう。
私がいた頃はバンカラの気風が色濃く残る下町の学校だった。

1年上には番長がいた。他校にも似たような存在がいた。運動会等何かの拍子に、「○○中学の番長が来るんやって!」なんて噂が飛び交い、みんな半分戦々恐々、半分怖いもの見たさ、みたいな、一種の緊張感が校内を走ったりした。

私は中1に上がる時に隣町からこの学校に転校してきたのだが、私のクラスに少年院に行っているらしいと噂の男がいた。出席番号順でいけば私の次で、入学式以来その席はずっと空席だった。
夏休み明けのある日、彼は登校してきた。「うわ、なんかこわそう」と思いながら初めて見る彼を遠巻きにしてると、何があったのか、彼はその日のうちに隣のクラスのヤツをぼこぼこにシバキ倒して、また学校に来なくなった。廊下に血の跡があった。

中2になるとブルースリーがめちゃめちゃ流行りまくった。ヌンチャクを学校に持って行って練習した。当然禁止されていたはずだが、なぜかあまりそういう記憶が無い。
ヌンチャクを脇の下から上に振り回して顔の横で持ち替えるワザがあるのだが、何回もヌンチャクで後頭部を打った。
痛かった。
ヌンチャクをやや外目に振り回すようにするのがコツだとしばらくして気付いた。

この頃クラスに少林寺拳法を習っているヤツがいた。優しくて力持ちのタイプである。黒帯だった。いわゆるいじられキャラだったが、ブルースリー時代のことだから、彼は男仲間から一目おかれてもいた。
私は彼とは仲が良く、「力愛不二」という少林寺拳法の言葉を教わった。

「正義なき力は暴力なり。されど力なき正義は無力なり」

いい言葉だなあと今も心に刻み込まれている。



そして私の人生の覚醒期、中3を迎える。
同じクラスに女子バスケットボール部の子がいた。たしか副キャプテンだったっけ。ちょっとお転婆系で、明るく元気で茶目っ気があり、好きになってしまった。いや違う。めっちゃめちゃ好きになってしまった。
2学期だったかその子と一緒に学級委員をやった。
せっかくのチャンス、もっと話をすりゃいいのに、私は恥ずかしくて避けてばかりいた。

手でも握れよ、だって??

とんでもない。
だいたい、男が女と仲良くするなんて空気の薄い学校?時代?だったのだ。

その子は下敷きの中に、バンバンの「いちご白書をもう一度」のチラシ?か何かを入れていた。以来、この唄は私の青春の曲の一つで、会社に入ってカラオケが出始めの頃、この唄ばかり歌っていた。それとイルカの「なごり雪」。このふたつの唄を聞くと中学の時のいろんな景色がどっと蘇る。
あかん。また泣きそうになってきた。

卒業以来この子には1度も会っていない。
どんなオバチャンになっているのだろう。今なら普通に話せるのに。ながいコーチはコミュニケーションの達人(の卵)になったのに。

なんにしても全てはもう半世紀近い昔の話である。
この頃のことはなんぼでも書けそうな気がする。いずれ続編登場の予感がある。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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<予告>
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(続く)

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