晴れの日も雨の日も#288 スネるとかヒガむとか
人間の感情は極めてデリケートで深遠だ。拙noteでは何度か感情を扱った記事を書いてきたが、嬉しいとか悲しいとかよりもっと複雑で屈折した印象のある「スネる」「ヒガむ」について考えてみたい。
スネるは「拗ねる」と書く。難しい漢字だ。角川新字源によると「ねじり合わせる」ということを表す形声文字だとか。曲がりくねった、ひねくれた。などとある。
ついでにネットで見ると「意にそぐわない時に不満を直接伝えずに、わざと逆らうような態度をとること。目を合わさないとか話しかけても無視する」などとある。
漢字の成り立ちは「手偏に幼い」。ま、いわば子供だということだろう。しかし、オトナなら不満をちゃんと口に出したり処理できたりするのかというと事はそう簡単ではない。オトナにはオトナのメンツや意地がある。そんなこと言えたら苦労はしない、ということがオトナにはいっぱいある。でも、心はうんとは言っていない。で、結局吐き出し口を求めた心が態度に表れて「スネる」となる。不満を言うのはカッコ悪いと思っているのに、結果的にはもっとカッコ悪いことになっているという皮肉な話だ。
ヒガむはスネると似ている印象がある。漢字で書けば「僻む」。これも難しい字だ。ほとんど使わないと言っていい。同様に新字源を引いてみると、「人と音符”辟”(かたよりの意)とから成る」で、ひがむ、よこしま、かたよる、なとどある。
ネットでは「物事を素直に受け取らないで曲げて考える」とある。「どうせ私なんか」というセリフなどは僻みの代表例だろう。人からホメられてもそれをそのまま受け取らないようなこともイメージされる。
どっちも素直ではないということで一括りにするのは乱暴だろうか。
カマってほしいならカマってほしいと言えばいい。それを素直に言えずに、スネてしまう。結果的にはそういう形で相手の気をひこうとしているのと五十歩百歩だ。
私のことをちゃんと見て、と思うのはフツーのことだろう。でも、見てもらっている気がしない。ナントカさんは華やかでみんなの注目を集めているのに。。。となってヒガんでしまう。
いっそ泣き喚ければ気持ちが楽になれるのかもしれないが、そうもできないから、どんどん気持ちが屈折していく。自分の気持ちに素直になるというのは、実は意外に難しい。
そもそも、スネたりヒガんだりしている人は、自分の心で今何が起きているのか、あるいは自分の心が本当は何を求めているのか、わかっているのだろうか。それがわかっていなければ素直になりたくてもなりようもない。スネるヒガむは良くないこと、カッコ悪いことと思っているから、そうなっている自分を認めたくなくて、ちゃんと自分を直視できていないのではないか。カッコ悪い自分が今ここにいるということを受け入れることが、カッコ悪さから脱却する一番の近道なのだろう。
ということをコーチングを勉強してきた今のコーちゃんは頭ではわかっているのだが、自分がカッコ悪い自分と向き合ってそれをそのまま受け入れているかというと、実ははなはだ自信がない。もともと素直さに欠けた屈折タイプだ。物事を表から見たり裏返してみたり透かしてみたり、ぐずぐずといじりまわしがちだ。もっとスッキリと素直でありたい。幸いに人と自分を比べて妬んだり僻んだリということはあまりないが、思いが満たされない時に拗ねずに素直にその思いを表現できているかというとアヤシイ。ドラえもんのスネ夫の方がオレよりよっぽど拗ねてないのかもしれない🤭🤣
今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)
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(続く)
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