民主主義の基盤とは何だろう
民主主義の基盤とは何か。偽造された動画に関するニュースで、このような問いが生じている。その状況自体は好ましいと感じる。
そもそも憲法とは何か、民主主義とは何か、昨今では言葉があまりにも不正確に使われているように思う。憲法を守るべき立場にあるはずの政治家たちですら、憲法とは何かが分かっていないのだから、大問題である。
さて、表題の件に戻るが、民主主義の基盤とは何だろう。ニュースでは、情報が正しく伝えられることが基盤にとって重要な要素であるように読み取れた。しかし、情報だけでは必要な条件のほんの一部しか満たされていないだろう。
民主主義の基盤とは、自律した個人、国家のことを自分の責任として引き受けることができる個人、そうした作為の契機を持った個人が民主主義の基盤ではないだろうか。
首相に対して文句を言うだけの人民は、民主主義にとって相応しくない態度である。そうした首相を選んでしまったことを省みて、では、次の選挙ではどのような政治家に投票すればいいのか、と考える。状況を変えられないものとして文句を言うのではなく、では自分はどうすべきなのか、と引き受けて考えることが重要なのではないだろうか。
私自身も、報道される国の有様を見ると誰かのせいにしたくなるが、そうした状況も、投票をした私たちの市民に責任があるのである。民主主義は優曇華の花というぐらいに、そもそもうまくいくこと自体が難しい。
いまの日本は、民主主義の国なのだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?