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生物とAIにおける知能と感情に関する考察

AIの進歩が目覚ましく、またそれに対する脅威や懸念も増大している昨今ですが、ここでAIにおける感情の実装について考察してみたいと思います。

ユクスキュルの「動物の環境と内的世界」によれば、生物の神経系と外界との関係は以下のように示されます。(文章および画像は三宅陽一郎氏の「人工知能のための哲学塾」から引用しております。)

「こうしてはじめて、すべての動物的行動の基幹に、ひとつの閉じた環が埋め込まれていることがわかってくる。その環は行動において、主体と客体を連結している。」この輪を機能環と呼びます。

ユクスキュルの機能環・環世界

機能環の例としては「捕食環(Beutekreis)、索敵環(Feindkreis)、生殖環(Geschlechkreis)、媒体環(Kreis de Mediums)」といったものが挙げられます。

言わんとしていることは、客体(外界)の情報は受容体から知覚神経(感覚神経)を経由して中枢神経系入力され、そして中枢神経系からの出力活動神経(運動神経)を経由して効果器から客体(外界)に作用する、というループを構成しているということです。そしてそれはその生物にとって必要な機能のループ(=機能環)である、ということです。また、その生物が知覚する世界のことを環世界と呼びます。

ユクスキュルの研究例で代表的なものは森に棲むダニに関するものです。このダニは視覚・聴覚を持たず、光の明るさの検知、哺乳類の汗の中に含まれる酪酸に対する嗅覚と、温度などを知覚する触覚のわずかな知覚のみを持っています。通常は森の木の上方に待機しており、酪酸の匂いを検知すると木の上からポトリと落ちます。そして温度が高いと哺乳類の上に落ちたと判断し、口から針を刺して哺乳類の血を吸います。温度が高くなければ失敗ですので、木の上に登りまたやり直しです。

このダニにとっての世界、環世界とは、光の明るさの変化と酪酸の匂い、そして温度の変化といったわずかな情報で構築されています。色も音もない世界です。それでもこのダニにとっては十分な訳です。
また、このダニが、内部では哲学的な問題を解いているとか、文学を創作しているとか、そういう事も無い訳です。それは、それを知覚する手段も外に表す・行動する手段も有していない、という事から言える事になります。

一方、人間は高度な知能を有し、また高度な感情を有しています。感情というのも機能の一種と考えられます。ここで、「人間が高度な知能と高度な感情を同時に有している」という事実と、「高度な知能だけ、高度な感情だけを有している生物が存在していない」という事実に着目します。その上で、人間を含めた生物とAIの知能と感情の関係を下記の図に示しました(筆者作成)。なお、知能の高低、また感情能力の高低については推定で記載していますので根拠のあるものではありません。

知能と感情の関係

生物の話をしている中に唐突にAIを登場させてしまったことについてはご容赦いただければと思います(笑)。感情という機能、感情とは何なのか、何のために存在するのか、ということにもう少し深堀りをしていく必要があると感じますが、いずれにしろ、AIの進化により、知能の度合いと感情の度合いとのミスマッチが発生しており、自然界に存在しない領域に進展している、という点については疑いようのない事実だと考えられます。これが何を意味するのか、ということです。

自然界において、生物、特に人間が、知能と感情を同時に発達させてきた。この要因について、複数の仮説が立てられます。
仮説1:感情も知能の一種であり、知能が発達する事で感情も発達してきたのは必然である。
仮説2:知能だけ発達した人間、感情だけ発達した人間もかつて存在したが、進化や生存競争の中で淘汰された。
仮説3:知能と感情が同時に発達してきたのは偶然の産物である。

初めに示したユクスキュルの機能環の考え方に基づくならば、感情というものも生物における機能環の中の一つとして存在しており、何らかの必然性を持っているものと考えられます。そしてそれが知能との相関がある以上、仮説3は取りにくいと私は考えます。
そうすると仮説1と仮説2が残るのですが、仮説1と仮説2の違いは、感情と知能が内部的に結びついているのか、それとも外部要因として結びつかざるを得なかったのか、という点にあります。現時点で私はどちらが正解なのかを示すことが出来ないので、その点については別で議論していきたいと思います。

仮説2については、さらに細分化できます。
仮説2-1:知能だけ発達した人間、感情だけ発達した人間もかつて存在したが、知能と感情の両方が発達した他の種族の人間に対して劣位となり、生存競争に負け淘汰された。
仮説2-2:知能だけ発達した人間、感情だけ発達した人間もかつて存在したが、種族を維持することができず自滅した。

これにおいても、ここでは正解を出すことはできないので、問題提起にとどまります。考古学において、ネアンデルタール人は感情が豊かであった(花と一緒に埋葬された痕跡が見られる、等)が、より知能の高いクロマニヨン人との生存競争に負けたのでは、という説があり、仮説2-1についても想定されるところです。
懸念として一番恐ろしいのが仮説2-2であり、知能だけを突出させることが自滅への道を歩まないのか、ということです。もちろん推定の域を出ませんが、生物進化の歴史と照らし合わせたときに、感情を持たないAIというのが異質な存在である、ということは強調しておきたい点です。


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