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信頼できる言葉と感性:山田牧句集『青き方舟』

残暑の厳しい今年。八月も終わりに差し掛かった頃、届いた一冊の俳句集。
山田牧(ぼく)さんの第二句集。

表題句
地球てふ青き方舟終戦忌

八月十五日という深い意味のある一日を、「地球=青き方舟」というスケールの大きな視点から描いた一句。

構成は四章立て。
一章ごとに二句ずつ、感銘句を引きたい。

赤とんぼ実家の門はいつも開き
傷の掌に載せて全き冬林檎

ゆうらりと昨日に続く冬瓜かな
外套の夜気を吊して今日を閉づ

膝裏を日がな濡らして夏休
八月や花瓶の水のすぐ濁る

背のギター触れてゆきたる聖樹かな
マフラーとくはへ煙草とやや猫背

牧さんの作品は、どれも一読明快。
難しい言葉はなく、読者の心にすっと入ってくる。
同時に、視点が斬新。そこに、季語が適確に寄り添っている。

薄紙に包まるる靴春隣
最終便見送るソーダ水の泡

一句目、買ったばかりの靴は確かに「薄紙に包まれ」ている。
そのカサコソという音の嬉しさと期待感が、季語「春隣」と合っている。

二句目、最終便とあるから飛行機や鉄道だろうか。
その日最後の乗り物に乗った誰かを見送りつつ、目の前のソーダ水の泡はグラスの底から上にのぼり、弾けて消えていく。
二重の「見送る」と「さようなら」の光景とイメージが一句の中で響き合うのは、季語「ソーダ水」の力と的確な配置によるものだろう。
夜景の中に消えていく乗客は、作家にとって大事な人だったのだろうか。
ソーダ水とその泡に、過行く者と時間への切なさが感じられ、読者に裡に余韻を残す。

こんなふうに牧さんの俳句世界は、私たちが見たことのあるもの、親しく周囲にあるものの違う表情を見せてくれる。
さりげない描写ながら、読み進むうちに近いと思っていた存在が、少し遠く見えたり、奥が見えてきたりする。その反対もある。
そして、読者の気持ちも少しずつ新しい風景を獲得し始める。

師の声の耳に残りぬ花菖蒲

牧さんの師は『未来図』主宰の故・鍵和田秞子。
あとがきによると
「このウイルス禍に於いて「未来図」という言葉の力強さを何より感じている」「師は、自分に期待なさい信じなさい、そして自分の「未来図」を捨ててはならない、と遺して下さった様に思う」とある。
掲句の師の声は、牧さんの表現者としての支柱なのだろう。
柔らかいが、一本芯が通っている彼女の俳句作品の魅力は、こんなところから窺われる。

秋風や夜気含みたるコルトレーン
水温むテラスよジョアン・ジルベルト

俳句に限らず、アート全般に造詣の深い牧さん。
特に上記の二句のような音楽の句は彼女独特の感性が生かされていて素敵だ。
一句目、コルトレーンの音はホント「夜気含みたる」だよなあ、と共感。
そして彼のジャズの世界観は、冬ではなくて秋の風。
コルトレーン、思わず聴きなおしちゃいました。
二句目、ボサノバの王者、ジョアン。
あの眠たげな気持ちよい声とサウンド、リズムは「水温む」がピッタリ。
しかも、室内ではなくテラスという設定がよい。
少しずつ外に出たくなる、ちょっとしたウキウキした気分はジョアン・ジルベルトの歌と音がよく似あう。

本句集は、俳句のみならずエッセイも同時収録している。
牧さんは文章も素晴らしくて、エッセイ「1375」は昨今の疫禍による牧さん自身のお仕事とその周辺風景や人との淡いかかわりを丹念に描いたもの。
このエッセイで、第17回日本詩歌句協会賞(随筆評論部門)を受賞している。
俳句はもちろん、牧さんの文章もぜひ多くの方に読んでほしい。
こんなにいろいろとできてしまう牧さん、その多才ぶりはすごいと思う。

作者とは、コロナ前にたまに句会をご一緒する機会があった。
そんなにお話ししたことはないのだが、数少ない機会で交わした会話の中に「信頼できる言葉と感性の持ち主」だと思える瞬間があり、出会いを嬉しく思った。
そして、私が句集『柔き棘』を二年前に出した時、いち早く感想をくださったのが牧さんだった。
手書きによる手紙にはたくさんの感銘句、そして「表現を志す者」としての短くも力強いメッセージに胸が熱くなった。嬉しくて、しばらく仕事用の手帳に大事に手紙を挟んで、折に触れて読み返していた。

今回の句集を読みながら、いろいろなことを懐かしく思い出した。
今、世界はいろいろな意味で今日すらわからない状態になっているが、同じ時代、同じ「青き方舟」の一員として乗船した者どうし、これからもひそやかかつエナジーを抱きながらそれぞれの表現を目指していければ、そんな日々が平和に続けば。そう願っている。

ご恵贈、ありがとうございました!

↓ 牧さんの第一句集『星屑珈琲店』も素敵です☆


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