NAEMON
スキが10超えた記事です
2月中、noteを毎日投稿するぞと決めました。 今日が最終日です。 あっという間でした。 自分は考え事が癖で、よく抽象的なことを思索しています。 愛とは何かとか、死とは何かとか、そんなことばかり。 思えば小学生の頃から既に、宇宙とは何か、人類はなぜ生まれたのかとか、よくわからないことを考えてました。 そんな自分にとって、noteというのはありがたいものでした。 考えを言語化するのは思っていたよりも難しく、そのためにまた考える必要が出てきたりして。 自分の中に留
今日は高校の頃の友達と会いました。 その人と最後に会ったのは去年の年末で、2ヶ月ぶりくらい。 会ってみて思ったのは、全然久しぶりという感じがしないということ。 2ヶ月空いてるのにな、と不思議でした。 だって、高校生の頃は毎日会っていて、もし2ヶ月も空いたらかなり久しぶりに感じるはずです。 これからどんどん歳を重ねるにつれて、年に1回会ったりするだけでも、久しぶりとは感じなくなるのでしょうか。 時間が過ぎるのってあっという間です。 ではまた、 読んでいただきあり
最近実家を出て、新生活を始めました。 それを機に、自炊も始めました。 今までは実家暮らしで、料理もほとんどしてこなかったので、買い物やら準備やら、本当に大変です。 そこで思い出したのは、母のこと。 毎日、家族5人分のご飯を作ってくれていた母。 健康のことを考え、食材にも気を使い、バランスの取れた料理を作ってくれました。 飽きることのないよう、メニューも色々なものを考えてくれました。 すごい、すごすぎる。 今考えれば、本当にすごいです。 でも、実家暮らしの時は
「すべての悩みは人間関係の悩みである」 どっかの心理学者の言葉です。 たしかに、何かに悩んでる時にその原因を辿っていくと、それは人間関係の悩みであることに気付きます。 それならば、人間関係を全て断ち切って孤独な生活を送れば、悩みは無くなるのでしょうか。 実はそうでもないんじゃないかなと思います。 自分は今、在宅勤務をしています。 家を出るのは、毎日の散歩と、時々の買い物。 言ってしまえば、人間関係とは無縁の生活です。 では、それで悩みが無くなったのかというと、
ご飯が美味しい。 美味しいから、「美味しい」と言う。 今までは、そこで終わっていました。 でもこの前、料理を作る工程を自分の目で見た上で、食べた時、 「美味しい」は色んな要素によって成り立っているんだということに気がつきました。 夜ご飯に、パスタを食べた時のこと。 麺をフォークで巻いて、口に運んだその瞬間。 ゆっくりと、目を瞑りながら、咀嚼していくそのひと時。 頭の中を駆け抜けていくものがありました。 にんにくの香ばしさ。 バターの優しさ。 パスタのモチ
女性がコートを脱ぐ時は、さりげなく後ろに回ってサポートする。 女性が高い所にある物を取ろうとしていたら、代わりに取ってあげる。 女性が歩道側を歩けるように、自分は車道側をキープする。 そんな、いわゆるモテ仕草。 本やネットで調べればすぐに勉強することができます。 女性にモテるため、必死に学んで、自然とこなせるまで自分の中に落とし込む。 そうして出来上がった、女性受けの良いカッコいい自分。 でも、望んでいたものは手に入れたはずなのに、なぜか空虚です。 たしかに自
自分は普段、他人を責めるニュアンスの感情を抱くことが少ないです。 どちらかと言うと、自分を責めたり、相手に対して悲しくなったり。 だから、たまに他人を責めるニュアンスの感情を抱くと、はっきりとした違和感を覚えます。 そのイメージは、黒。 黒いモヤモヤとしたものが、内側から湧き上がり、みるみるうちに体全体を満たしていく。 そんな感覚です。 そういう時は自分でもびっくりして、怖くなってしまいます。 慣れていない感覚に、戸惑ってしまうんですよね。 ただ、そうなってし
「行動」は約束できるけど、「気持ち」を約束することはできない。 そんな言葉をいつかどっかで聞いてから、ずっと心に残ってます。 たしかにその通り、と思います。 人の気持ちなんて、変わっていくのが当たり前だから、未来の自分の気持ちを保証することなんて出来ない。 それが現実です。 でも、そう分かっていながらも。 「好きです、これからもずっと」 なんてことを相手に伝えるのは無責任でしょうか。 「(これから先、ずっとあなたのことを好きでいるなんて保証は出来ないけど、)好
「相対評価じゃなくて、絶対評価にしてよ」 大切な人にそう言われました。 自分でも分かってるんです、どうしても人と比べてしまうということに。 でも、全く人と比べないでいるなんて、人の心理として難しいんじゃないかと思います。 もうほとんど反射的に、生活の中で何かと人と比べてしまっているんです。 それにちびっ子なんか見てると、「おれの方が、おれの方が」とよく言ってる気がします。 ちびっ子ってのは、本能的に喋ってますよね。 つまり、人間本来の性質としてもう人と比べるとい
最近何故かふとした時に、「死」について考えてます。 やっぱり最初に浮かぶのは親の顔。 自分が将来生きている保証なんてないけど、順調に年を重ねていれば、親の死に向き合わなければいけない時が訪れるでしょう。 残酷だなと思います。 死だけは、100%確実に、例外なくやってくる。 そんなこと起きていいはずがない、こんなに大切に思っている人がいなくなるなんて。 その人の好きな食べ物、好きな歌、好きな番組、お気に入りの服、行きたい場所、会いたい人。 その人しか持っていないも
最近思うのが、自分の行動ってモノに支配されてるなあということです。 例えば、勉強中。 机に向かって、問題を解く。 ふと気が抜けて、なんとなく周りを見る。 布団がある。 疲れたし、ちょっと休憩するか。 布団に横になって、深呼吸。 ふと、スマホが目に入る。 Twitterでも見てみるか。 スマホを手に取り、Twitterを開く。 流れで、LINEを確認。 そのままYouTubeを開く。 いつの間にか、勉強を頑張ってたはずの自分はどこへやら。 モノに支配さ
生きてると面倒くさいことばかりですよね。 それに、仕事や家事など、やらなければいけないことほど面倒くさいものばかりです。 実に面倒くさい。 スマホで動画見てダラダラ。マンガ読んでダラダラ。楽しいことや、楽なことは、やらなくてもいいことばかり。 面倒くさくてたまりません。 面倒くさいことに立ち向かうためには、かなりのエネルギーが必要になります。 でも、だからこそ、面倒くさいことに向き合い、こなしていくことで成長していけるのかもしれません。 「面倒くさい!」と思った
優しい人っていうのは、相手の心に寄り添うことのできる人のことなんだと思います。 そして、相手の心に寄り添うためには、相手の「辛い、苦しい、悲しい」といった気持ちを理解する必要があります。 で、この相手の気持ちを理解するためには、もし自分が相手の立場だったらどう感じるかな、と想像する必要があります。 そして、この「もし自分だったら」を想像するなら、自分が過去に相手と同じような経験をしているというのが一番です。 つまり、たくさん傷ついてきた人ほど、相手には優しくできるんで
自分は小さい頃から、ぬいぐるみが好きでした。 23歳になった今でも、それは変わらず。 机の上には、大事にしているぬいぐるみがいます。 大事に毎日撫でてあげてるし、天気が良い日には日向ぼっこをさせて、寒い時には服を着せてあげます。 自分が辛い時や悩みがある時は、話を聞いてもらったりもします。 そうすると、いつも自分が一番欲しい返事をくれるんですよね。 そんな感じでずっと大事にしているので、もう自分の中では単なるモノ以上の存在です。 何か想いがこもっていて、意思をも
「愛してる」って何なんでしょうか。 自分には今とっても素敵な彼女がいて、自信を持って「大好き」と言えます。 でも「愛してる」のかと言われると、まだわからない。 「愛してる」の感覚がどういうものなのかハッキリとはわからないから、答えられないんです。 もしかして、「好き」の延長線上に「愛」はあるんでしょうか。 「好き」→「大好き」→「愛してる」のように。 これはなんか違う気がします。 「好き」と「愛」は、似ているようでいて、別のものなんじゃないかと思います。 自分
自分は、電車移動の時間が好きです。 なんだか、生活の中で一番集中力が発揮できる気がします。 今まで、大学への通学や職場への通勤で、片道1時間以上は電車に乗っていました。 で、その時間に読書をしたり、noteを書いたりしてたんです。 でも今は、在宅勤務中なので電車移動が全くありません。 そのせいか、noteを書くのもなんとなくやっつけ仕事的な感覚です。 こんなんじゃなくて、もっと色々じっくり考えて、自分の考えを言語化していくのが楽しかったはずなんですけど。 まぁ、