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プレゼントフォーユー

今でも鮮明に覚えている記憶がある。
それは、初めて英語で会話した記憶。

あれは、小学生になる前だった。
クリスマス休暇に家族で海外旅行に出かけた。

12月下旬、夏に着る半袖のTシャツのうえにモコモコのダウンを着込んで家を出た。
初めて日本を飛び出す私は、母に差し出されたこのコーディネートが理解できなかったが、現地に降り立ってその意味が分かった。

雪が降る日本から飛行機に乗って到着したのは、強い陽射しが降り注ぐ常夏の島だった。
モワッと暑くて、ダウンジャンパーを脱ぐとちょうどいい気候。

私は空港からホテルへ移動する車に乗り込むまで、「ねえ〜なんで夏なの〜?」「セキドウってなに〜?」「サンタさんは夏でも来てくれるの??」と、両親に質問攻撃を浴びせた。

しかし、車が走り出すと、窓から見える日本とは全然違う街並み心を奪われて、どうして暑いのかなんてどうでもよくなった。

ホテルに着いた後は歓迎の花輪を首にかけられ、ねっとりと甘いトロピカルジュースを飲み干した。
早速水着に着替え、12月なのにプールや海で遊べることに興奮した。
夜はBBQで顔より大きなお肉を焼きながらファイヤーダンスのショーを楽しみ、初日から刺激的な時間を過ごした。

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翌日、朝ごはんを食べてビーチを散策しているときだった。
両親から、「なでしこ、今日はお昼からお父さんとお母さんは用事があって出かけるけど、一緒に行くか、ホテルの保育園に行くか、どっちがいい?」と尋ねられた。
私は深く考えずに「保育園」と即答すると、父は、「なでしこはどちらに似たのか怖いもの知らずというか、好奇心の塊というか、将来が楽しみだなぁ。」と言いながらニコニコしていた。

お昼過ぎ、父に手を引かれてホテルの一画にある「キッズクラブ」に行くと、ほかにも3〜12歳の子供が預けられていた。
預けられている子供達は年齢だけじゃなく、髪の色や肌の色、話す言語はバラバラ。
スタッフは現地の人で、日本語はほとんど話せなかった記憶だ。
父はスタッフと英語でやりとりしたあと、「なでしこ、困ったときはスタッフさんにヘルプって言うんだよ。」と言い残して出かけていった。

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「なでしこ」という発音に馴染みがなかったのか、キッズクラブでは「ナンシー」と呼ばれた。
最初はナンシー=なでしこだと分からず無視してしまったが、スタッフが私を指差しながら「アナタ、ナデシコ、ナンシー、ニックネーム。OK?ナンシー。」と日本語を交えて説明してくれた。

最初のうちはよく分からない言葉が飛び交う環境に入っていけず、すみっこでお絵描きをしていた。
キッズクラブの子供たちが「ナンシ〜、○×$%〜〜※※〜」と話しかけてくれるが、もちろん何を言ってるかサッパリ分からない。
すると私の描いている絵を指差して「ピカチュウ!」と単語だけで言い直してくれた。
ポケモンは世界の子どもたちの共通言語だったようで、キャラクターの絵を描きあっこしているうちに自然と打ち解けていった。
だんだんその場の雰囲気やジェスチャーで相手が何を言っているのかが理解できるようになり、みんなとゲームしたり、プールでボール遊びをしたりできるようになった。

用事を終えてキッズクラブに迎えにきた両親とレストランで夕食をとりながら、私は今日の出来事を話した。
両親はうんうんと聞いてくれていたが、「ねえ、明日もいけるよね?」とせがむと、一瞬驚いたように顔を見合わせた。
母は「なでしこ、キッズクラブ楽しかったんだね。」と目を細め、父は「こりゃ予想外の反応だったな。」と言いながら嬉しそうにビールを一気飲みした。

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私はその夜、ホテルのベッドの上で、飛行機での暇つぶし用に持ってきたおりがみを折っていた。
父が「なでしこ、何を作ってるの?」と尋ねてきたので、「多面体だよ。今日仲良くなったお友達にあげるの。」と答えた。

「これ保育園で流行ってるんだよ。」と説明すると、父は私の頭をなでながら、「そうか、じゃあそれをあげるときに『プレゼントフォーユー』っていってごらん。日本語で『どうぞ』ってことだよ。」と教えてくれた。

翌朝、父に教えてもらった「プレゼントフォーユー」を繰り返し練習しながらキッズクラブへ向かった。
部屋のなかを覗くと、友達はすでにテレビの前に座っていた。

私は友達の元に駆け寄り、「プレゼントフォーユー」と言って、昨夜作った多面体を差し出した。
するとその友達は「Wow〜Thank you, Nancy!」と満面の笑みで受け取ってくれ、プレゼントした多面体をコロコロ手の中で転がしたり、指先でそっとつまんでしげしげと観察したりしていた。

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私と友達がその小さな紙細工を囲んで盛り上がっていたせいか、他の子供たちも周りに集まってきた。
その日はみんなで紙切れを正方形に切っておりがみを作り、多面体や折り鶴を折った。
できあがった多面体はスタッフが糸をつけてくれたので、キッズクラブの部屋に飾ってあったクリスマスツリーにつるした。

友達が喜んでくれたことはもちろん嬉しかったのだが、私はそのとき、もうひとつ感動を覚えた。
それは人生で初めて英語で話しかけて、それがちゃんと通じたことに対するものだった。
今回は「Present for you.」というたった3単語の短い文章だったけれど、もっとたくさんの言葉を覚えて、海外の人と自由におしゃべりできたらどんなに楽しいことかと思った。

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ーそして社会人になった私は、現在、英語を使うグローバルな仕事をしている。

…なんてドラマティックな展開にはならず、日本語オンリーで生きていける仕事をしている。

海外旅行から帰ってきた幼き日の私はそのままお正月を迎え、久しぶりに会ういとことの交流やお年玉で買ったポケモンゲームに夢中で、「プレゼントフォーユー」の感動はすっかり忘れてしまっていた。

数年後、中学生になって今後の進路を考えたとき、ふとこの海外旅行での経験を思い出した。
明確な目標があったわけではないが、ほかにやりたいことも見当たらなかったので、「高校は英語を頑張ろう」と決めた。
それから大学卒業まで継続して英語の勉強を続けたものの、今は海外旅行するときか、電車などで外国の人に道を聞かれたときくらいしか英語を話す機会はない。

それでも、あの会話をきっかけに海外との繋がりを意識し始めたのは間違いない。
高校時代にどっぷり英語にハマったあと、バイト代を貯めてホームステイで現地の生活を体験したことは今の自分の価値観や考え方にも多かれ少なかれ影響している。

今は国内ですら自由に旅行することも容易ではないし、街中で外国の人に話しかけられる機会もめっきり減り、なんとなく英語の勉強からも遠ざかっていた。
しかし今回、NetWork×noteのコンテストで「#あの会話をきっかけに」というテーマを見て、「プレゼントフォーユー」の感動を思い出すことになった。
せっかくきっかけを得たのだから、本棚の奥に追いやられていた参考書を再び引っ張り出してこようと思う。
また海外旅行ができるようになる日を心待ちに、旅行で使える英会話を復習するために。

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