⭐健康に向き合う 大丈夫の心得⭐️
医療崩壊の可能性について投稿させて頂きました。
お読みになられた方(特に持病がある方、高齢者家族の介護をされている方など)の中には将来に不安を感じられた方も多いのではないでしょうか。
実は私も同じです。
私自身日々医師として診察する際、治療者としての自分と、自分が実際に患者さんと同じ状態になったらどうなるだろうかと、病気や障害に怯えるもう一人の自分がいます。
後者の気持ちから健康オタクになり、日々試行錯誤で薬膳のような食事を摂り、歩き、体操をし、予防にまつわる本を読んでいます。
それは医師である限りあくまで患者さんに元気を与える側の存在であり続けたいという私の最後のプライドでもあります。
以前投稿に書きましたが、私自身が思春期に大病をし、完治した経緯があります。
青春時代、周囲が部活に恋愛にときめいている中、私は病気のため隔絶され治療に専念したことがありました。
健康を失うと自信まで喪失し、私のプライドは紙一枚、吹けば飛ぶ程弱気になりました。
当時16歳の私に主治医がこう言いました。
「病気は治りません。ほら、窓から人が歩いて居るのが見えますね。 医師にはなれなくても、あんな風に散歩したり買い物したりして生活できるくらいにはなりますよ。」
医師にはなれない!
医師への志を要にずっと治療に耐えてきたのに、それすら奪われてしまうのだろうか!
心は悲鳴をあげ涙が溢れました。
一生懸命自分で守ってきた心の灯を、医師の一言により吹き消された思いでした。
私の心は暗闇の中に落ちてゆきました。
完全に希望を失ってしまったのです。
その時の私は絶望し心身共に無力でしたが、そんな中、なんと希望の方が歩み寄ってきてくれたのです。
私はとある名医に偶然出会い奇跡的に完治したのです。
今でも、病床の私に病気は治らないと言った医師の言葉を忘れることができません。
医療裁判の原因で最も多いのが医師の心ない一言であるという事実がよく分かります。
時に医師が患者様の希望を消してしまう怖さ、またそういう言動をしてしまいがちな医師の高慢さを今度は自分の中に見出しています。
お伝えしたいのは、求めよさらば与えられんという言葉がありますが、求めなくても与えられるような事があるということです。
絶望的な状況では、自分が希望を持てなくても希望の方が自分に向かって歩いてきてくれるのです。
それまで待つことの出来る忍耐力さえあれば未来は明るい、大丈夫と確信しています。
ご参考にしていただければ幸いです。
※写真は小学校4年生の時私が作成した人体模型です。
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