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【短歌】詩を書くのは怖かったけれど、毎日短歌に挑戦してみたよ! 8月14-18日分


詩を書くのは怖かった

 月に一度、大学時代の友だちとZOOM読書会をやっている。そこで読んだ本についてnoteで記事も書いている。最新だと向坂くじらさんの『いなくなくならなくならないで』が課題本で大いに盛り上がった。

 読書会自体は1時間ほどで終了し、その後、いつも雑談をするのだけれど、その中でわたしがnoteに投稿しているショートショートの感想として、「短歌に挑戦してみるといいかも」というアドバイスをもらった。

 自分としてはピンとこなかった。というのも、むかしから、詩を書くとはどういうことなのか、よくわかっていないからだ。

 読む分にはけっこう好きで、高校一年生の頃に中原中也全集を読み、ランボー全集を読み、自分でも原稿用紙を買ってオリジナルの詩をひたすら書き殴った。雑誌に投稿もしてみた。でも、箸にも棒にも引っかからず、友だちに見せても反応は悪いし、己の才能のなさに絶望した。そして、せっかく受験を頑張って入った学校なのにすべてがくだらなく感じられてしまって、ズル休みをするようになった。

 この命をもっと意味のあるものに使わなくちゃいけない。そんな風に焦った結果、眠ることができなくなった。食べ物が喉を通らなくなった。

 不安から心療内科を予約した。そして、病院へ向かう道中、寝不足ゆえに自転車がフラフラした結果、電信柱に衝突する間抜けな事故を起こしてしまった。物凄く痛かったけれど、遅れてはいけないと病院に急いだ。

 しかし、受付の前に立つなり、悲鳴をあげられてしまった。

「ちょっと、頭からすごい血が出てるよ!」

 鏡を渡され、確認すると顔が真っ赤になっていた。どうやら頭を打った拍子に切り傷ができてしまったらしい。あんたが来るべき馬車はここじゃないとはっきり言われてしまったので、わたしはそのまま近くの総合病院へ向かった。

 いま思えば、救急車を呼ぶべきだったのかもしれないが、思春期ゆえ、大事にしたくない気持ちからコンビニのトイレで顔についた血を拭き取って、出血が止まるまで待ってから総合病院へ行ったので、急患として扱ってはもらえなかった。当然、予約はしていないので、長いこと待たされた。

 平日の昼間。普段だったら学校へ行っているので、様々な人が病院にやってくる光景は新鮮だった。お年寄りもいれば、子どももいたし、中には片足のない方もいて、こんなことも知らずに小さな価値観の中で悩んでいた己の馬鹿さ加減が身に染みた。

 ようやく順番がまわってきたとき、こんなくだらないことで忙しい手間を取らせることが申し訳なかった。でも、診察したところ、想像以上の大怪我だったみたいで、すぐさまホッチキスみたいな機械で頭を縫われた。たしか五針ぐらいだった気がする。

 そのとき、身体の内側と外側の両方から聞こえたパチンッ、パチンッという音を聞きながら、自分は現実世界で生きていこうという決意が固まった。中原中也やランボーみたいに天才的な才能がなかったからと言って、別に、焦らなくていいさ。なにせ、人生にはいろいろな形があるんだもの、と。

 以来、詩を書くことはなくなった。一時、読むのも怖かった。ただ、根本的に嫌いではないというか、めちゃくちゃ好きなので、徐々に、読むようにはなってきた。そして、素晴らしい才能を目にするたび、自分に無理だなぁと打ちひしがれてきた。

 それが凄いということはわかるのに、どうやって作られているのか、仕組みがまったくわからないのだ。考えれば考えるほど、敵わなさが眼前に迫ってくるようで怖くて仕方なかった。なので、詩は読んで楽しむものと決めてしまった。

 だから、

「短歌に挑戦してみるといいかも」

 と、言われて、それがなぜなのかピンとこなかった。でも、上記の事情を説明したところ、友だちは、

「自ら作ってみることで不明だった部分が見えるようになってくるよ。特に短歌は型があるし、気張らず、とりあえず作ってみるにはいいと思うよ」

 と、終始、勧め続けてくれた。この友だちは現代詩や短歌のスクールに通っている上、センスのある詩を書ける人なので、わたしとは立場が違うんじゃないかと疑いつつ、その熱意に興味は湧いた。

 そんな折、先日、Xでフォローしている人たちが「単語で短歌」というアカウントのお題で短歌を詠んでいることに気がついた。

 前々からタイムラインに流れてくるものを見ていたというのに、自分が詠むという発想がなかったので、ちゃんと認識できていなかった。

 毎日、お題となる単語が発表されて、そのポストを引用する形で自分の短歌を発信するというシステムで、見ると各々、全然異なる角度からお題を捉えているので面白い。これなら、わたしも参加できるかも。楽しげな雰囲気に触発されて、重い腰を上げることができた。

 短いなりに、いろいろ考えて書いてみたので、その記録を残していこうと思う。やっぱり、詩を書くとはどういうことなのかはわからないけれど、続けていくうちに掴めるものがあるといいなぁ。

8/14 お題「日記」

亡き母の日記に宿る少女とは
仲良くなれるような気がする

 日記という単語からなにが連想できるだろうかと考えた。基本的には人に見せるものではないはず。だからこそ、他人の日記にどんなことが書かれているのか、気になってしまう。とりわけ、身近な人の日記は意外性に満ちているんじゃなかろうか。

 また、過去の時間が保存されている点も日記の特徴だろう。生前、折り合いのつかなかった母親であっても、その少女時代に書かれた日記を読むことがあれば、ひょっとしたら通じ合えるものがあるかもしれない。そんなことを想像してみた。

8/15 お題「鬱」

鬱のない国で相次ぐ行方不明
「幸せです」と言わされる民

 むかし、ニュースで「うちの島に素晴らしいから、鬱になる人間なんていない!」と誇らしげに語っている村長の映像を見た記憶がある。そのとき、こんな風に断言する人がいる島で暮らすのは大変なんだろうなぁと思ったものだ。

 そういえば、中学生の頃、生活指導の先生が「うちの学校でイジメは許さない」と宣言した後、イジメられている生徒を呼び出し、「嫌なことをされたら、ちゃんと嫌って拒否しなさい!」と指導していた。まるで、イジメられている側が拒否しないからイジメが発生しているかのようで矛盾を感じた。

8/16 お題「砂漠」

あなたのそばで暮らしているのに
どうして辛い東京砂漠

 言わずと知れた、内山田洋とクール・ファイブの名曲『東京砂漠』の歌詞をもとに。すごく好きなんだけど、いつも、変だなぁと思ってた。東京って孤独でも生きていける場所なはずだから。

 時代もあるのかな? 個人的な経験にも寄るのかな? 少なくとも、わたしは東京ほど一人で生きていくのに適した場所はない気がしている。むしろ、誰かと暮らしているときの方が悩みは多いなぁと感じる。それぞれ、自分のライフスタイルを通せてしまう分、すれ違いが増えるよなぁって。

8/17 お題「秒針」

不意打ちで見ると止まっているもんね
サボっているな秒針のやつ

"クロノスタシス"って知ってる?
知らないときみがいう
時計の針が止まって見える
現象のことだよ

きのこ帝国『クロノスタシス』

 秒針って言葉を聞くと、きのこ帝国の『クロノスタシス』を思い浮かべずにはいられない年齢なので、こればっかりは仕方ない。ただ、そのまま使うのはちょっとなぁってことで少しひねってみた。

 映画『トイ・ストーリー』みたいに時計も人間が見ていないときはサボっているかもしれない。そんな風に考えた子どもがその証拠を掴むべく、不意打ちを仕掛けているイメージ。大人になると時間の流れが早過ぎて、むしろ「秒針、サボってくれー」と懇願したくなっちゃうけどね笑

8/18 お題「二人」

あの子、二人きりだと優しいけどさ
集団のときキツくなるよね?

 人間関係って、一対一だったら基本的にうまくいく。おかしくなるのは他の人たちとの関係も混ざってくるから。だから、大抵、二人きりで話すとみんな優しい。でも、他の誰かから「あの人って感じ悪いよね?」って言われた瞬間、本当は嫌な人なのかもって不安になってしまう。

 友だちも恋人も家族も、外からケチがついた瞬間、急に恥ずかしいものに思えてくるから恐ろしい。そんな簡単に評価を変える方も問題だけど、余計なことを言うやつにも問題あるよね。

 以上、8/14〜18の短歌でした!




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