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【読書コラム】存在しない問題は存在しない故に問題となり得ない。だか、そのことこそ問題だ - 『無戸籍の日本人』井戸まさえ

 我らがヒーロー・みうらじゅん。その功績は星の数ほどあるけれど、とりわけ、わたしは『アウトドア般若心経』の日常と宗教と哲学とくだらなさの融合に感服。未だ、尊敬し続けている。

 さて、そんな『アウトドア般若心経』について、我がヒーロー・みうらじゅんは駐車場で真理を発見したエピソードを語っている。

10年くらい前かな、駐車場の前に「空アリ」って文字があって、僕は「くうあり」と呼んだわけ。般若心経の真髄である空の教えが書いてあると。空は何もない状態なのだけどそれがアリ、ないのにある。別の駐車場では「空ナシ」もあって、こっちはないことがない。難解でしょう。それからカメラを片手に、「空アリ」と「空ナシ」の看板の写真を撮り続けていたんです。

みうらじゅん 「こだわり」がないと意味ないじゃん

 ちょっとした小話のように披露されているけれど、「くうあり」ほど、この世の無常を表している言葉はないと雷に撃たれたような気持ちになった。当時、わたしは思春期真っ只中。アイデンティティ・クライシスをしっかりと味わっていたのだ。

 わたしがわたしなのはなぜなのだろう? 本当にわたしはわたしなのだろうか? もし、わたしがわたしじゃなかったら? いや、仮にそうだとしても、そう考えているわたしは確かに存在しているわけで……?

 ないのにある。それは決して架空の想定なんかじゃなかった。デカルトばりの合理主義で自分自身の実在性を証明したがっていた十四歳の哲学にとって、相当に切実な問題だった。

 あれからけっこうな年月が経った。一応、わたしはわたしとして、なんとか今日まで生きてきた。気づけば、受験やら就職やら、日々の由無し事に忙殺され、自己同一性のプライオリティはどんどん下落。わたしがわたしであるかなんて、すっかりどうでもよくなっていた。明日からもこうして生きていくだろう。そんな風に毎日を惰性で過ごしていた。

 しかし、先日、ある動画をYouTubeで見つけ、忘れ去られた危機感が突如ムカムク蘇ってきた。

 無戸籍。その字面を見れば、ちゃんと意味はわかる。でも、これまでの人生において、一度たりとて出会ったことのないボキャブラリーだったので戸惑った。そうか、戸籍を持っているということは当たり前じゃないのかとショックがあった。

 考えてみれば、わたしは自分で戸籍を取ったことがない。なぜなら、それは親が出生届を出すことになって与えられるものだから。本人の意志も思想もへったくれもありゃしない。ゼロ歳児にとって100%他人事の手続きなのだ。同時に、裏を返せば、親が出生届を出さなければその子どもは戸籍のない存在になってしまうことでもある。

 上記の番組によれば、無戸籍だと役所がその人を把握することが不可能になるため、義務教育を受けられないし、身元を証明できないため仕事に就くのもままらないらしい。不意に、もしかして、街ですれ違った名も知らない人も無戸籍で、窮屈な毎日を送っているのではないかと思われてきた。そして、そういう人たちがいることを認識しないまま、のうのうと生きてきた自分が恥ずかしくもなってきた。

 この機会に無戸籍について勉強しよう。一念発起し、出会った本が『無戸籍の日本人』(井戸まさえ)だった。

 2016年に初版が発行された本書は、今年、2023年の4月にようやく改正された民法772条の問題を中心に現場のリアルが描かれた傑作ノンフィクション。作者の井戸まさえさんはお子さんを民法722条のせいで無戸籍者にしてしまうかもしれなかった経験から、無戸籍で悩んでいる人たちをサポートする活動を開始。本書ではそな活動を通して出会った無戸籍者たちのエピソードが匿名の形でまとめられている。なんというか、どれも壮絶。読んでいて、けっこう苦しい。

 ちなみに、日本に無戸籍の人は何人いるのか? とか、民法772条ってなに? とか、無戸籍だと具体的にどう困るの?とか、基本的なところは本書はもちろん、東洋経済オンラインで2016年に掲載された井戸まさえさんご自身の記事がめちゃくちゃわかりやすくまとまっているので、各々、ぜひともご確認頂きたい。

 その上で、この記事より重要と思われる箇所を抜粋。太字はわたしが注目してほしくてつけた加工なので悪しからず。

戸籍がない人は確実に存在するのです。きちんとした統計はどこにもないので、1万人というのは「最低限、確実にそのぐらいはいる」という数字です。実際にはもっとたくさんいると思います。出生届が出せないなどの事情で、一時的に無戸籍になったことのある人を含めて累計すれば、20年間で6万人いることになるんです。相当な人数だと思いませんか。

東洋経済オンライン:上記の井戸まさえさん記事より

 当たり前だけど、無戸籍というのは戸籍がないという意味である。戸籍とは国家が国民の存在を認識するための記録。言うなれば、会員証みたいなものである。当然、それがないということは存在を認識することができないわけで、その人数だって数えられるわけがない。

 だから、こんなことが起きてしまう。

――法務省では、2015年7月から無戸籍者の調査を開始し、現在の日本における無戸籍者は686人、うち成人132人(2016年2月10日現在)と発表しているようですね。ずいぶん数に開きがありますが。

実はこの調査は、法務省が自治体に調査票を出しているのですが、回答率がわずか2割程度なんです。しかも1歳未満の子は数に入れていないなど、実態を反映した数字とはとても言えないと思っています。

私が支援した中には、同じ自治体の母親教室で出会った人同士が無戸籍児の母だったというケースもありました。誰も簡単には口に出さないのでわからないけど、意外にみなさんの身近にも「無戸籍者」は、存在しているかもしれません。

東洋経済オンライン:上記の井戸まさえさん記事より

 結局、把握しようにも把握できないのである。

 このことを知ったとき、わたしはむかし、NHK教育『おかあさんといっしょ』で放送されていた『とうめいにんげんなんだけど』の歌詞を思い出した。

とうめいにんげんは
ほんとにいたんだけど
とうめいにんげんって
やつはとうめいだから
ほんとうにいたのか
じぶんでもわからないんだ

『とうめいにんげんなんだけど』作者:五味太郎

 江戸時代が終わり、明治維新で急速に近代化を進めた日本にとって、戸籍法はとても重要な役割を果たしてきた。それまであった身分制度を解体。国はそこで暮らすすべての人の誕生と死をコントロール下に置いたのである。結果、国民の一生は国家に従属させられることになったと言っても過言ではないだろう。

 もちろん、そのことによるメリット・デメリットはそれぞれ多岐に渡っているので、良し悪しを語るのは難しい。だが、ひとつ確実に言えることは無戸籍になってしまった人たちを救えない制度なんて問答無用でクソだってこと。

 そりゃ、不正に戸籍を取られてしまえば安全保障上問題があるのはわかる。社会保障制度にフリーライドされるリスクがあるのもわかる。でも、だからって、出生届が出されなかったという理由で無戸籍になった人たちの悲劇を放置していい理由には絶対ならない。

 無戸籍で困っている人はいる。それは「空アリ」のような真理である。透明人間扱いはもうやめたい。

 この問題についてはもっともっと追いかけたいし、もっともっと深掘りしたいし、もっともっと自分にできる活動をしていこうと思う!

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