【ショートショート】金の切れ目が (2,827文字)
自殺するつもりだった。
両親は死んだし、仕事はクビになるし、恋人には振られるし、貯金もないし、カーテンもないし。不動産管理会社からは年内にこの家を出ていけと言われている。リフォームするらしい。築六十年を超えるボロアパートだから然もありなんとは思うけれど、突然の話にどうしていいかわからなくなってしまった。相談どころか愚痴をこぼせる友だちもいないのが原因なのだろう。精神的に追い詰められて、行政に頼るという発想は一ミリも湧いてこなかった。自殺するしかない。そう考えるようになっていた。
そんなとき、ナカシマから電話がかかってきた。
「やあ、鈴木くん。ぜひ、会って直接話したいことがあるんだけれど、ご都合はいかがだろうか? ご足労をかけてもらうのは悪いし、僕がそちらへ伺うよ。住所も教えてくれないか」
ナカシマは中学時代の同級生で、卒業以来、何十年と会っていなかった。なのに、そんなブランクを少しも感じさせることなく、堂々とした態度を前に俺はつい聞かれたままを答えてしまった。
すると、翌日、扉をどんどん叩く者があった。スーツ姿の痩せた中年男性がでっかいアタッシュケース片手に立っていた。ナカシマだった。
「なるほど、これはとても味のある家だね。いまどき珍しいよ。文化財に指定されるのもそう遠くない未来だろうな」
「いや、来年、建て直してしまうそうだ」
「そうかい。そうかい。ってことは綺麗になるんだな。いいことだ。なんだって新しくした方がいいに決まっているからね。うちのお袋も新しいもの好きなんだけど、先日、電動キックボードを買ってきたのには閉口したさ。乗り方を教えてくれって言われても、僕らにゃわからない文化だからね。ちょっと、そこの座椅子を使わせてもらうよ」
ナカシマは適当なことをペラペラとしゃべり続けていた。こいつはむかしからそうだった。
「相変わらずのペテン師ぶりだな」
「おいおい。鈴木くん。やめてくれよ、その不名誉なあだ名は。僕は嘘もついていなけりゃ、人も騙しちゃいないんだからね。ところで、お茶かなにかないかね。まったく喉が渇いて仕方ない。できれば麦茶がありがたい。カフェインを摂り過ぎると眠れなくなってしまうもので。まったく、夏場はそのせいで不眠症の日々が続いてしまうんだ。君は夜、眠れているかね? あれはつらいよ。一晩、目をつむって孤独な時間に耐えに耐えて耐え忍んでいるにもかかわらず、チュンチュン、鳥のささやく声が聞こえてきたときの絶望と言ったら。いやはや、それが何日も続くわけだよ」
「はい、麦茶」
「ありがとう。頂くよ」
「なあ。久しぶりの再会は嬉しいが、なにもそんな話をするためにやってきたわけじゃないんだろ。本題があるならさっさと始めてくれないか」
こっちは今日にも死ぬ予定で忙しいんだ、と本音までは伝えなかった。
「そうだ。そうだ。頼みがあってきたんだよ。鈴木くん、これを預かってほしいんだ」
ナカシマは畳の上を這わせるようにアタッシュケースを渡してきた。
「なんだい? これは?」
「一億円だ」
ふたが開けられた。ぎっちりと一万円札が積み重ねられていた。
「なんだい? これは?」
「だから、一億円さ」
「いや、それはわかっている。そうじゃなくて、どうしてそんなものがここにあり、俺が預からなくちゃいけないんだよ」
「ふーむ。その辺の事情はとても込み入っていてね。一言でまとめるならクライアントは銀行を信用していないのだ。まあ、単にこのケースを押し入れにでも突っ込んでおいてくれればいいだから、気負わず、よろしく頼むよ」
そうして、ナカシマは麦茶を一気に飲み干して、
「ごちそうさま。これはまた格別に味だ。特別な茶葉を使っているね」
と、適当なことを言いながら、部屋を出て行こうとした。
「ちょっと待てよ」
「ん? どうした?」
「引き受けてないだろ。置いていくなよ。こんな物騒なもん」
「大丈夫。危険なものではないし、お礼も弾もう。適宜、必要があれば、あのケースから好きなだけお金をとってもよいことにしよう。クライアントにしてみれば、本来なら取り上げられてしかるべきもの。数百万減ったとしても文句は言えないさ。ってことで、よろしく頼む」
そして、ナカシマは気にせず歩き出してしまった。
あれから十年。俺はナカシマの言う通り、アタッシュケースの中から必要な金を抜き取り、今日まで生活してきた。本当はすぐにも自殺したかったが、ナカシマが一億円を取りにくるまでは生きていなくちゃいけない気がして頑張った。そういう意味では生きるためのすべてが必要経費になると解釈された。
おかげで引越し費用もなんとかなった。身なりを整え、再就職もうまくいった。スポーツジムに通って身体を鍛えた。行きつけのバーができて、そこで知り合った女性と結婚し、一軒家も建てた。子どもも産まれた。三人産まれた。さすがに金を使い過ぎている自覚があったので、少しずつだけど返していった。いまでは一億円は丸々綺麗に残っている。
電話は不意にかかってきた。
「やあ、鈴木くん。君の家の前に来たんだけれど、なんかでっかいマンションになっていてね。たしか、廃屋のようなところに住んでいなかったかい? ここでいいのか確かめたくて」
「引っ越したんだよ。あの後」
「そうかそうか。それはよかった。心機一転、住む場所を変えるというのはいいことだよ。うちの母も引越しマニアで、幼い頃なんて、毎月のように引っ越しをしていたっけか。孟母三遷とは言うけれど、限度ってものがあるね。あるとき、父がいい加減にしろって怒ってしまってね」
「なあ、ナカシマ。例のアタッシュケースを回収しに来たんだろ?」
「ん。ああ、そうだ。そうだよ。それが目的だったんだ。クライアントが諸々落ち着いてね。あの金はどうなったってうるさくて仕方ないんだ」
俺はナカシマにいまの住所を教えてやった。翌日、家族を外に追い出し、やつを迎える準備をした。ピンポーン。十年前と同じスーツ姿の痩せた中年男性がそこにいた。こちらの変わりようには触れることなく、ずかずかと玄関を上がり、自分の家のようにソファに深々座ると麦茶をくれと言ってきた。それから、いつも通り愚にもつかない話をペラペラと始めた。それを適当に聞いてやってから、お目当てのアッシュケースを渡してやった。
「ありがとう。じゃあ、そういうことで」
何事もなく立ち去ろうとするナカシマに俺は戸惑った。
「中身は確認しないのか?」
「どうして?」
「一億円に足りないかもしれないじゃないか」
「そのときはそのときさ」
結局、そのまま姿を消してしまった。
自宅で一人になった俺はようやく生きなきゃいけない理由がなくなり、肩の荷が降りてホッとした。これでついにのびのびと死ぬことができる。延期に延期を重ねた自殺の決行を急ごうとしたのだが、ふと、壁に貼られた子どもの絵を見て、自分はなんのために死ぬんだっけ? とわからなくなってしまった。
(了)
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