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【ペライチ小説】_『娘帰る』_22枚目

「うーん。わたしだっていつまで元気でいられるかわからないしねぇ。そりゃあ、お母さんが一緒に暮らしてくれるなら安心は安心よぉ。実際、血圧だって高いは高いし、十年前には手術もしたしねぇ。そういう意味では一緒に暮らそうと言ってくれたこと、ありがたく思わなきゃいけないんだよねぇ。本当は。ねぇ」

 予想外の質問につむがれた即興の言葉はことごとく、だらり、語尾がだらしなく伸びていて、そこに異なる本心が潜んでいるのは明らかだった。

「要するに嫌ってことね」

「別に嫌ではないよ。お母さんと暮らすこと。ただ、あまりにも急だったから、ビックリしちゃったというかぁ、全然準備ができていないというかぁ、そんなつもりじゃなかったというかぁ。わたしもほら、いまも多少は仕事は続けているしねぇ。あと、仕事がない日はない日で多忙だしねぇ。ボランティアもしてるし、他にも友だちと旅行に行ったりしなきゃいけないし」

 そんな風に無理やりお母さんとは暮らせない理由を並べていたところ、おばあちゃんの声が徐々にガラガラざらつき出した。あっ、あっ。咳払いした後、唇をぎゅっと結びあげ、ティッシュを手に取り、後ろを向いた。カーッ、カーッ。おばあちゃんができるだけ静かに痰を切っている間、わたしは適当に爪を見ていた。それから、あーっ、あーっ、声の調子を整えてから、おばあちゃんは元気に振り返り、

「つまり、いま、急に来られても、わたしにはわたしの生活があるし、折り合いがつかないんじゃないかと心配なの。だって、ほら、お母さんはまだまだ若いでしょ。そりゃ、真紀ちゃんからしたら若くないだろうけど、わたしからしたら若者も若者。真紀ちゃんが食べられるものをお母さんは食べられないように、お母さんが食べられるものをわたしは食べられなかったりするんだから。そんな状態で一緒には生きられないでしょ、普通はね」

 と、結論を一気にまくし立てた。

「眠くなる時間だって、目が覚める時間だって、たぶん全然違うはず。好きなテレビ番組だって、聞きたいラジオや音楽だって、驚くほどに違うだろうし、それはもう絶対に仕方がないの。なにがいいとか悪いとか、そういう問題では全然なくて、違うものは違う。それだけのことなのよ」

 再びリビングに静けさが流れた。その日一番の重苦しさだった。おばあちゃんがこんなにも激しく話した直後、聞き手のわたしがあんまり長く黙っているのは失礼な気がした。とはいえ、なかなか考えはまとまらなくて、焦る気持ちとは裏腹、唇が動いてくれなかった。



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