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敢えて それを する日
わたしは人生のなかで「敢えて それを する日」に幾度となく小さく救われてきたような気がする
「あえて 学校へ行かずに公園で寝そべった日」
「あえて いつもの道を通って帰らなかった日」
「あえて 電車のなかで泣いてみた日」
「あえて 高カロリーな食べ物を食べた日」
敢えて"自分の意思で"選んできた事柄は
いつも少しの無駄を孕み、実に無意味であった。だからこそ「常識」から、少しだけ距離を置いたところで私に違う景色を見せてくれるのだった
比較的、生きる事にちゃんと失望する事でとても前向きに生きてきた私は
今まで大概のことを寝て食べたらすぐに癒してきた
時にはそうやって、すぐに咀嚼し自己治癒が出来てしまう自分に酷く落胆し失望をしたりもしました
個人的になかなかやりたくても、出来ない人がごまんといることだと思うからこそ。
可視化されない心の傷に溺れきって、他人に迷惑をかけたらいいのに、と
中途半端でそっち側にもなり切れず、どこにも所属できない自分の孤独を自覚して。その事に落ち込んできた
だから、いま久しぶりに心が不安定になってみて「大丈夫だ」と「ダメかも」を繰り返している
その事実に焦りを覚えている今日でした
「なんですぐに治らないんだろう」
凡ゆるものは、段階を追って回復をしていくもの
だから、ぜんぶだいじょうぶ、なのだ
(ここで、ほんのりと向こう岸にバカボンのパパが見える)
他人には
「伝えよう」
「そうやって伝えられる人間であれたらいいな」
そのように努めてきたこと
自分にはちゃんと言ってあげられてなかったので、改めて言おうね。という大きな気付きがあったのです
「敢えて常識から外れて無駄をしてみる」
これは、きっとセルフハグ。比喩ではなく実際に自分を抱きしめてみよう。とも思います
ここ数年、雨が降りそうになると頭が痛くなるという現状があったのですが
久しぶりに心が不安定になってみて、やはり心の天気もグズつくのかもしれないという気付きがありました
(雨が降り出したら、頭の中に木霊するように響いてた辛い言葉が消え去って気持ちがとても楽になったので)
首を絞められるみたいに他人から放たれた言葉が頭の中から消えないことは苦しい
仕事中に過呼吸になりそうになったので、意識的に深呼吸をしたら。これもやはり、とても効果的でした
(マスクを着用しているので、余計にだと思う)
本当にこんな事が久しぶり…
他人から言われた言葉に苦しめられているという事実に、何よりもビックリして「どうしよう」と思っているけれど
初台駅の暗がりで。いい大人が植え込みに座り込んで泣いた日よりは、明らかに回復はしてきている
それでも、元気になることへのプレッシャーを。自分自身で掛けるのは、ほんとうに辛いことだからやめようと思った
「敢えて それを しよう」
今日、この時にも。苦しい人がたくさん居るのだろう
わたしは一つずつ、その、苦しさの存在を肯定していきたい
言葉にせずとも、心のなかで。
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