鍋/再開

14歳|解離性障害|全般性不安障害|気分変調症|ADHD|元摂食障害・うつ病・境界性パ…

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14歳|解離性障害|全般性不安障害|気分変調症|ADHD|元摂食障害・うつ病・境界性パーソナリティ障害 今までの経験を記憶の整理を兼ねて投稿します Twitterもよければフォローしてください

最近の記事

幼少期を終えて

沢山のいいねやサポート、反応有難うございました。 毎日投稿できたのも皆様のお言葉、反応があってこそです。 本当にありがとうございました。 改めまして、こんな幼少期でもまだ人生の本当にちょっとの部分です。 これから続く幼少期の後のお話もあるので、是非そちらもご覧ください。 解離性障害を始めとする複数精神疾患にかかり、トラウマを持ち、記憶の整理が追いついていません。 しかし、このようにノートに纏めることによって少しずつ整理ができているような気がします。 これからも少しずつ

    • 幼少期 ラスト

      母は火葬され、お骨として家族の元に帰ってきた お墓に御骨を入れて、手を合わせて祈る 母が死亡宣告を受ける前から、クズ(父親)になんでこうなったかわかる?と家族が問いただし反省を図ろうとしたが、「俺ばっかいじめられて」という父にとうとう家族は諦めたみたいだった。 ただ、忘れない記憶として色んなシーンが何度も蘇る 母が心肺停止になった時、姉が横で泣きながら憎しみの篭った険しい顔をしていた 「アイツが死んでれば、私たちは楽になれたのに」 ひと段落ついたら、伯母さんの家に連

      • 幼少期⑩

        死亡宣告を受けた。 瞳孔を先生が確認して、静まった病室の中で口を動かした 「ご臨終です」 最後のおめかしをした母の身体の温もりはもう既に無くなり、保冷剤を挟まれ冷たくなっていた 実家のリビングに横になって白い布団に寝ている母に会いにきた人々の数は決して少なくなかった。 その数が、母がどれだけいい人だったか証明している様にも思えた 家族は毎晩その周りに布団を敷き、寝ていた 3日程で、母は棺桶に入れられた。 家族で母の好きな花を棺桶にそっと置き、母はそのまま葬儀場へ連れてか

        • 幼少期⑨

          脳死状態でも、本当はまだ希望があるのだろうかと感じてしまう様な事が多々あった。 手を握ると一瞬だけ、手が動いたり。 涙を零したり。 そして4日経ち、予告されていた余命の最終日。 しかし母は、変わらなかった。 動かないし、手の温もりもないし、自発呼吸もない。 それでも、母の心臓は1分間に60回程、動いていた 血圧も少し高めだったがしっかりとあった。 尿も少ないが出ていた。 やはりまだ希望が残っている。 某SNSで丁度脳死状態から生還した方の動画が流れてきた。 さらに希望が

        幼少期を終えて

          幼少期⑧

          家族の目が泳ぎ、動揺している様子が感じられた。 「大丈夫。ちょっと疲れちゃっただけみたい」 そう伯母が話した。 私は素直に、「そうなんだ」と思った。 信じていた。 けれど、母は何日経っても目覚めなかった。 尿道カテーテルから滴り落ちる尿の量は日に日に減っていった。 暖かかった手も冷い。 あれだけ成功した。一般病棟に移れる。麻酔が覚めたら意識が戻る。そう言っていたはずだったけれど、 母は確実に衰弱していた。 私は家族を疑った。 その後、余命宣告を家族全員で受けた。

          幼少期⑧

          幼少期⑦

          その後30分くらいだろうか 待合室にて待機していた私達は、看護師さんに呼ばれ立ち上がる。 「ご家族の方にお話ししたいことがあります」 そう言って私の兄と伯母がお話をしに行き、それ以外の家族は母の病室に戻る。 さっきとなんら変わりない母とモニター。 そして兄と伯母が帰ってきた。 「〇〇は少し待合室に行ってて」 そう言われ素直に従い、ICUを出て待合室に向かった。 なぜ出されたのかは分からなかったけれど、きっとお母さんに何かあったのだろうなというのは小5の私でも感じ取

          幼少期⑦

          幼少期⑥

          ICUに入りどの位だったことだったのだろうか。 多分2.3日だった様な気がするが。 幸い、MRIの結果頸動脈から出血していたとのことで手術できる範囲とのことだった。 やっと少し安堵できた。 痛みが苦しいから強制的に薬で手術までは眠らせておくらしい。 そして手術。 頭蓋骨も一旦外す為、6時間という長めの手術時間。 待機室で6時間とにかく待ち、出てきた。 結果は成功だった。 意識が戻ったらICU出て一般病棟だとの医師からの説明も受けた。 しかし手術が終わり僅か4時

          幼少期⑥

          幼少期⑤

          一階の救急のフロアに家族みんな揃っていた 県外にいた兄弟も、寮に入っていた兄弟も家族全員揃って囲んでいた。母を。 たくさんの機械に繋がれ、目を瞑り動かない母がそこにいた いや、母だと信じられなかった 浮腫で顔がパンパンに腫れ、顔色がオカシイ。 くも膜下出血だった 後から聞いた話によると、 朝も痛みが治まらなかったため、病院に行ったところ受付の方に「歩けてるので大丈夫ですよ。別の病院行ってください」と断られ、別の病院に向かっている途中に倒れたそうだ。 家族は怒りと悲しみと

          幼少期⑤

          幼少期④

          翌朝、目を覚ますと横に母は居なかった リビングに降りると、いつもキッチンに立っている母の姿はなかった 静かにリビングで横になっていた 怖くなった。 ゾワゾワした何かを確実に感じていた私 学校に行ってはいけない気がした でも痛そうに顔を歪めながら「おはよう。学校いってらっしゃい」という母に反抗もできなかった 学校に向かった 3時間目、体育の時間 移動をしていると、担任が走ってきて私の名前を呼んだ 「〇〇さん。今お母さんたおれたって。おじさんがお迎えに来るみたいだから急い

          幼少期④

          幼少期③

          11.4 父の猛烈な反対を振り切り、辞めることを監督に言いに行ってくれた母 その後は家にいたくなくておばあちゃんの家に帰りました。 その時、母は頭痛を訴えてきました。 いつものことだと思いました。 でも本人は「いつもと違う」と訴え、そのまま救急車を呼びました。 私は怖くなり救急車には乗らず、私以外の家族は付き添ったみたいでした。 夜に母と家族が帰宅。 造影剤なしCTの結果「異常なし。」 明日も痛むようなら朝イチで来てくださいとの事だったらしい。 そして夜一緒に寝

          幼少期③

          幼少期②

          私は習い事を沢山やっていました。 8個。 その中で野球部(スポーツ少年団)に入っていました。 兄が野球部エースの事もあり、私も影響され日々野球をしていました。 習い事が沢山で 私の睡眠時間は3.4時間でした 勉強中にうたた寝すると 父の拳やテレビのリモコン、そしてスマホが頭に降りかかってきます。 やはりそんな生活も続きませんでした 野球部の朝練中にストレスによるパニック障害(解離)を引き起こしました 私は野球に行けなくなりました。 二分の一成人式も倒れてしまいました。

          幼少期②

          幼少期

          私は普通の子でした 人より目立ちたがり屋だったかもしれません 少しやんちゃで忘れっぽい 普通の子でした 家庭はどうだったか 4人兄弟の末っ子として生まれた私 一番上とは13歳差、一番近くて9歳差 よく皆様に「皆んなに可愛がってもらってきたでしょう?」と言われましたが。 逆でした。全くの逆でした。 母と父は仲があまり良くなかったです 父は亭主関白でした 洗濯のボタンを押してと頼んだだけなのに。 何故か殴られる母 それを止めに入る長女。 そしてそんな長女も殴る父 普通だ