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『大アジア思想活劇 仏教が結んだ、もうひとつの近代史』電書版あとがき〔note版追記あり〕

本書は二〇〇八年九月刊行の単行本『大アジア思想活劇 仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(サンガ)に一部加筆修正を加えた電子書籍である。

刊行から八年、単行本の素材となったメールマガジン配信から数えるとすでに十数年が経過しており、資料的価値という点ではいささか不安が残る。そこで電書版あとがきでは、本書が扱った近代仏教に関する最近の出版動向を把握している範囲で紹介し、内容の不備を少しでも補完したいと思う。

振り返ると、今世紀初頭までは近代の仏教をテーマにした出版自体が希少だった。いまでは往時とは比べ物にならないほど「近代仏教研究」が盛り上がっている。その勢いを全体的に見通すことのできる一冊といえば、大谷栄一、吉永進一、近藤俊太郎・編『近代仏教スタディーズ 仏教からみたもうひとつの近代』(法蔵館、二〇一六)が挙げられるだろう。執筆者は実に二十九人。本書で詳述したダルマパーラ、オルコットら海外仏教徒との交流史を包む、近代仏教の広大な沃野を一望するパノラマ絵巻のような楽しい本だ。〔※note版追記:最近、増補改訂版も刊行された。〕

併せて、末木文美士・ 林淳・吉永進一・大谷栄一・編『ブッダの変貌 交錯する近代仏教 (日文研叢書) 』(法蔵館、二〇一四。同書の母胎となった研究報告書、末木文美士・編『近代と仏教』国際日本文化研究センター、二〇一二はインターネットで閲覧可能)も推したい。海外研究者の翻訳記事を含み、全地球的な視野で近代仏教に迫ったアンソロジーである。

仏教史の初学者向けに編纂された『仏教史研究ハンドブック』(法蔵館、二〇一七)でも、日本仏教編では全四章構成のうち第四章がまるまる「日本近代」に割かれている。古代・中世・近世・近代とほぼ均等のボリュームで、筆者が学生時代に日本仏教史といえば近世・近代は付け足し程度だったことを考えると大変な変わりようだ。『近代国家と仏教(新アジア仏教史14日本Ⅳ)』(佼成出版社、二〇一一)の版元コメントに「かつて圧倒的な厚みを誇った鎌倉仏教研究に変わり、今一番ホットな仏教研究分野である近代仏教」と書かれていた時は驚いたが、昨今の出版ラッシュを見るとそれも過言ではないかもしれない。

単著では、碧海寿広『入門 近代仏教思想』(ちくま新書、二〇一六)では、真宗大谷派の系譜に属する仏教系知識人の足跡を通じて近代日本仏教の変容を「仏教の教養化の展開」として描いている。後味の悪さ(ほとんどは暁烏敏の言行に起因する)含めて、近代仏教を学ぶ入り口にもってこいの一冊と思う。一方、大谷栄一『近代仏教という視座 戦争・アジア・社会主義』(ぺりかん社、二〇一二)は田中智学・妹尾義郎ら日蓮系が主役でかつ政治運動へのかかわりに焦点を当てているので、碧海の本と併読をお勧めしたい。オリオン・クラウタウ『近代日本思想としての仏教史学』(法蔵館、二〇一二)は、近代化の過程で「日本仏教」の概念がどのように形成されたかを丹念にトレースする。我々が仏教について語るフレームを問い直す試みであり、けっこう冷や汗の出る読書体験になるだろう。

最初に紹介した『近代仏教スタディーズ』はブックガイドが充実しているので、詳しくはそちらを参照いただきたいが、思いつくまま他の文献も挙げてみたい。本書では第二部の途中でほったらかしにしてしまった神智学の日本における受容史、および神智学との邂逅が仏教に与えた影響については、吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」(『宗教研究』84(2)、二〇一〇)、「似て非なる他者 近代仏教史における神智学」(『ブッダの変容』収録)に詳しい。

加えて杉本良男「比較による真理の追求 マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー」(『国立民族学博物館調査報告』90、二〇一〇)、「四海同胞から民族主義へ アナガーリカ・ダルマパーラの流転の生涯」(『国立民族学博物館研究報告』36(3)、二〇一二)は、より広い視野で神智学と仏教の関係を俯瞰している。特に後者は日本語で書かれたダルマパーラ論として白眉であり、大アジア思想活劇と銘打ちながらも思想の中身には踏み込みが甘かった本書を補完して余りある内容だ。

〔※note版追記:アナガーリカ・ダルマパーラに関する杉本良男の研究は『仏教モダニズムの遺産 アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』(風響社、2021)に集大成された。同書については『近代仏教』第29号(日本近代仏教史研究会、2022年5月発行)に書評を寄稿した。〕

〔note版追記:電書版あとがきを執筆時に読み落としていた論文は数多い。特に追記しておきたいのは、アナガーリカ・ダルマパーラの「反キリスト教」的言説の背景について世界史的な視野で考察した川島耕司「文明化への眼差し : アナガーリカ・ダルマパーラとキリスト教」(国立民族学博物館調査報告 62, 353-370, 2006-10-10)である。西欧列強による植民地支配下とキリスト教化の圧力という「巨大な政治的,文化的支配のもとにおける多くのシンハラ人のアイデ ンティティ形成は,多くの場合,植民地支配者そのものに対峙し,乗り越えるという形ではなく,ある意味で丸山真男氏の指摘した「抑圧の移譲」(丸山 1971 : 25)とよく似 た形で,国内のより弱小なマイノリティ集団に対する自らの優位性を確認するなかで行われていったのではないか。」という川島の問い掛けは重い。〕

本文に一部追記したが、オルコット招聘に関わった京都の仏教者たちの動向もだいぶ分かってきた。中西直樹・吉永進一『仏教国際ネットワークの源流 海外宣教会(1888年~1893年)の光と影(龍谷叢書)』(三人社、二〇一五)は、本書前半の山場であるオルコット招聘運動前後に盛り上がりを見せた明治二十年代の仏教国際ネットワークに焦点を当てた労作だ。本書26章で紹介した白人仏教徒、フォンデスと日本仏教の関係についても詳しい。一方、こちらも吉永進一を代表とする「近代日本における知識人宗教運動の言説空間 『新佛教』の思想史・文化史的研究」(科学研究費補助金基盤研究B研究課題番号20320016 2008年度~2011年度)からは、神智学と決別した後のダルマパーラと日本の仏教系知識人との交流の軌跡を読みとることができる。四〇〇ページ近い報告書がネットで公開されている。

〔※note版追記:二〇二二年三月に逝去された吉永進一の諸論考は、生前唯一の単著となった『神智学と仏教』(法蔵館、二〇二一)に収録されている。日本近代仏教史あるいは宗教史を学ぶ人にとって、末永く基礎文献でありつづけるはずの同書の登場人物の一人となれたことが、僕の生まれ甲斐の一つである。吉永の死後に刊行された吉永進一・岡本佳子・莊千慧『神智学とアジア 西からきた〈東洋〉』(青弓社、二〇二二)の巻末にある、莊千慧「年表 近代神智学運動とその時代(一八七五ー一九四五)」は、神智学運動を触媒とした近代史の流れをつかむ上で必読の資料と言えるだろう。〕

18章、19章で扱った釈興然のセイロン留学については、奥山直司「明治インド留学生 興然と宗演」(田中 雅一・奥山 直司編『コンタクトゾーンの人文学』第Ⅳ巻、晃洋書房、二〇一三)に比較的まとまったレポートが載っている。また、石川泰志『近代皇室と仏教 国家と宗教と歴史(明治百年史叢書)』(原書房、二〇〇八)には釈興然の師である釈雲照の詳細な伝記が収録されている。『近代仏教スタディーズ』でも、皇室がらみの項目は欠けていたので、類書のない貴重な仕事と思う。

長期間にわたり日本仏教界の関心を喚起し続けたブッダガヤ復興運動(本書24章以降参照)に関しては、外川昌彦「ダルマパーラのブッダガヤ復興運動と日本人 ヒンドゥー教僧院長のマハントと英領インド政府の宗教政策を背景とした」(『日本研究』53、国際日本文化研究センター、二〇一六)にて詳細な検証がなされている。

大谷栄一「アジアの仏教ナショナリズムの比較分析」(『近代と仏教』収録、〔※note版追記:のちに単行本『近代仏教というメディア』ぺりかん社、二〇二〇に収録〕)は、本書32章から34章まで詳述したダルマパーラと田中智学の会見について深掘りした論考だ。「一八八〇年代から仏教改革運動に取り組んできた二人が、一九〇〇年代に自らの仏教ナショナリズム思想を築き上げていく中で共感し、影響を与えあった点に、両者の出会いの歴史的意味があった」と結ばれている。

まとめにあたる41章で、「戦前日本仏教の海外活動とその戦後への影響に関しては、そのディテールもまだあまり知られていない」と記した。最近は、この分野での研究の進展も目覚ましい。大澤広嗣・編『仏教をめぐる日本と東南アジア地域(アジア遊学 一九六)』(勉誠出版、二〇一六)は過去一五〇年間に、テーラワーダ仏教圏でもある東南アジア地域と日本仏教がどのように関わってきたかを検証するアンソロジー。本書で名前のみ登場の東温讓やウ―・オッタマ(ウー・オウタマ)の詳しい事績を読める。大澤広嗣『戦時下の日本仏教と南方地域』(法藏館、二〇一五)、新野和暢『皇道仏教と大陸布教 十五年戦争期の宗教と国家』(社会評論社、二〇一四)は、戦時体制下の日本仏教の歩みを知るうえで欠かせない。研究者向けには『資料集・戦時下「日本仏教」の国際交流』(不二出版、二〇一六~)も順次刊行されている。

本書の執筆に際して国立国会図書館に随分お世話になった。現在は「国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)」にアクセスすれば、野口復堂のインド旅行記(単行本『大鼎呂』収録)、平井金三のシカゴ万国宗教会議演説といった資料を読むことができる。オルコット来日時の演説集も多数収録されており、ダルマパーラ(達磨波羅、ダンマパラで検索のこと)の講演録まである。便利になったものだと思う。ちなみに電子図書館「青空文庫」(https://www.aozora.gr.jp/)には、本書にもしばしば登場する河口慧海の主著『チベット旅行記』が全文公開されている。同じく著作権フリーになったばかりの鈴木大拙についても、今後著作のデジタル版公開が進むだろう。時の流れとともに、近代仏教は我々にとってより身近のものにもなっている。

本書の第三部では、スリランカ出身の仏教活動家アナガーリカ・ダルマパーラと日本の関わりを通して二十世紀前半のアジア仏教復興運動を概観した。現代の日本には、そのスリランカも含む南アジア・東南アジアで伝承されたテーラワーダ仏教が急速に浸透しつつある。これは本書で扱った時代には考えられなかった変化と言えよう。仏典研究とアジア地域研究の学際的知見を結集したパーリ学仏教文化学会『上座仏教事典』(めこん、二〇一七)の刊行は、そんな時代を象徴していると思う。

スリランカ出身のアルボムッレ・スマナサーラ長老のように日本で活躍するテーラワーダ仏教の比丘は珍しくないし、タイやミャンマーで出家した日本人比丘による伝道・出版活動も活発になっている。臨終の床で、「わしのやった仕事はなにひとつ実らなかった」と枕を濡らした釈興然の時代とは別世界のようではないか。藤本晃「テーラワーダは三度、海を渡る 日本仏教の土壌に比丘サンガは根付くか」(『仏教をめぐる日本と東南アジア地域』収録)は、釈興然らのテーラワーダ仏教日本移植の試みなどを概観しつつ、スマナサーラ長老の活動の意味を現在進行形で考察する参与観察的なレポートである。藤本はそれで浄土真宗本願寺派の自坊を宗派離脱するに至ったので、「参与」も度が過ぎていると思うが。

ここ十数年の間で日本に広まったテーラワーダ仏教は、ヴィパッサナー瞑想というパーソナルな修行体系を媒介としているのが大きな特徴だ。本書では詳しく触れなかったが、これはまさに近代化によって再編成されたテーラワーダ仏教像である(リチャード・ゴンブリッチ、ガナナート・オベーセーカラ、島岩訳『スリランカの仏教』法蔵館、二〇〇二参照)。明治以降、最近まで南伝仏教といえば「戒律仏教」というステレオタイプで語られていたことを思い出してほしい。小島敬裕「ミャンマー上座仏教と日本人 戦前から戦後にかけての交流と断絶 」(『仏教をめぐる日本と東南アジア地域』収録)では、ヴィパッサナー瞑想ブーム以前にミャンマーのマハーシ長老から直接冥想指導を受けた日本人僧侶たちのその後を追っているが、ほんの数十年前の近過去と現在で、テーラワーダ仏教への関心の動機づけががらりと変わっていることに驚かされる。この瞑想中心の仏教受容というトレンドは、南伝上座仏教の日本移植という一方向的な動きでは説明できない。それはダルマパーラや釈宗演といった本書の登場人物によって種を蒔かれた「アメリカ仏教」(ケネス・タナカ『アメリカ仏教 仏教も変わる、アメリカも変わる』武蔵野大学出版会、二〇一〇参照)が日本に逆上陸したマインドフルネス・ブームとも密接に関わっている。

ネットで読める新田智通「仏教の「スピリチュアル化」について 現代世界における仏教の変容」(『佛教学セミナー』100、大谷大学佛教学会、二〇一四)は、「近代西洋との避遁を通じてある変化が仏教に生じ、それがこんにちの「スピリチュアリティ」の概念と結び付いた新しい仏教につながっていった」という流れを概観できる論文である。『別冊サンガジャパン1 実践!仏教瞑想ガイドブック』(サンガ、二〇一四)、『別冊サンガジャパン3 マインドフルネス 仏教瞑想と近代科学が生み出す、心の科学の現在形』(サンガ、二〇一六)は、近代化の過程で全地球に広がった仏教が、形を変えながら日本に打ち寄せる様子をカタログ的に概観できる同時代資料だ。

仏教という偉大な精神文化は、近代という時代においてもなお、日本人が広大な世界へと自らを「開いてゆく」窓、普遍への回路であり続けていた。

『大アジア思想活劇』はじめの口上

この作品の冒頭につづった言葉の効力は、現代という時代においてもなお、失われていないと思う。願わくは『大アジア思想活劇』というほつれの目立つ大風呂敷をきっかけに、近代仏教の面白さと、切なさと、そして現代を生きる我々に通じる精神の筋道とを感じてもらえたならば幸いである。ぜひ続けて、あとがきで紹介した書籍・文献にも手を伸ばしてほしい。最後に、ここまでお付き合いいただいた読者の皆様に心より感謝を申し上げます。幸せでありますように。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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