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ブッダの義母ゴータミー長老尼の死をうたいあげたアパダーナ(譬喩)経典

パーリ三蔵読破への道 連載第四回
佐藤哲朗

マハーパジャーパティーゴータミー長老尼の物語

 釈尊の養母であるマハ―パジャーパティーゴータミー長老尼(以下、ゴータミー尼)は、最初の比丘尼となり、初期の比丘尼サンガを指導した女性として知られています。彼女は、釈尊に先立って涅槃に入られました。その様子が、パーリ三蔵中の小部(クッダカ・ニカーヤ)の十三番目に収録された「アパダーナ(譬喩)」という長編詩集に記録されています。
 アパダーナは「譬喩」と訳されますが、片山一良先生によれば、これは「根拠」という意味だそうです。アパダーナとは、著名な仏弟子が過去世で過去仏と因縁を結び、その果報で今世で釈尊のもとで出家し阿羅漢となったという、聖者の「根拠」を歌い上げた一種の仏弟子伝記歌謡集なのです。パーリのアパダーナ全体では、五百五十人(ビルマ版は五百六十一人)の長老と、四十人の長老尼が取り上げられています。

小部(クッダカ・ニカーヤ)の構成

 小部(クッダカ・ニカーヤ)には十五種類の雑多なテキストが含まれています。現代の文献学的な見地では、このうち、①本生(ジャータカの偈のみ)、②経集(スッタニパータ)、③法句(ダンマパダ)、④感興語(ウダーナ)、⑤如是語(イティヴッタカ)、⑥長老偈(テーラガーター)、⑦長老尼偈(テーリーガーター)は、比較的成立が古いとされているそうです。次いで、⑧無礙解道(パティサンビダーマッガ、ブッダゴーサ長老『清浄道論』の元ネタになった論書)、⑨義釈(ニッデーサ、スッタニパータ後半の注釈書)、⑩天宮事(ヴィマーナワットゥ、善行為して死後昇天した物語集)、⑪餓鬼事(ペータワットゥ、餓鬼道に堕ちた亡者の因縁と救済物語)、⑫譬喩(アパダーナ)、⑬仏種姓(ブッダワンサ)、⑭所行蔵(チャリヤーピタカ)、⑮小誦(クッダカパータ、沙弥用の暗記経典集)は成立が新しいと見られているそうです。

 このうち、⑫譬喩(アパダーナ)、⑬仏種姓、⑭所行蔵の三つはブッダや仏弟子たちの授記や菩薩行に関わる文献です。パーリ三蔵の註釈者ブッダゴーサ長老によれば、この三つの文献についてはテーラワーダの伝統の中でも評価が分かれており、長部経典を伝承してきた長部誦者と呼ばれる人々は聖典として扱っていなかったようです。彼らは現在の小部から、⑮小誦、⑫譬喩、⑬仏種姓、⑭所行蔵を除いた十一種類の文献を「論蔵」に入れるべきと主張していたのです。しかしブッダゴーサ長老は、⑮小誦を含む十五の文献を「経蔵」に入れるべきとする中部誦者(中部経典を伝承してきた人々)の意見を採用して、小部の範囲を確定したわけです。

 そういうわけで、仏典としてのアパダーナが成立したのは仏滅後かなり後になってからです。当然、史実として扱うにはかなり問題がありますし、内容も極めて類型的で、コピペ的な繰り返しが多くて退屈。でも、たまに興味深いものが混じっています。その一つが、ゴータミーのアパダーナなのです。これから、意訳しながらあらすじをご紹介します。

マハーゴータミーと五百比丘尼、般涅槃の決意

 お釈迦さまがヴェーサーリー大林の重閣講堂に滞在しておられた時のこと。世尊の母妹マハーパジャーパティーゴータミー(摩訶瞿曇彌)比丘尼は、ヴェーサーリーの尼寺(比丘尼住所)に解脱した五百の比丘尼共ともに住んでいました。自坊にいた彼女の心に、このような思いが生じました。

「世尊(お釈迦様)や、一双の最上弟子(サーリプッタ、モッガッラーナ)や、またラーフラ、アーナンダ、ナンダの涅槃(入滅)に立ち会うことは、私にはとても耐えられない。世尊のお許しを得て、寿命を捨てて般涅槃(完全な涅槃。肉体を捨てて入滅すること)に入りましょう」

 同じ思いはケーマーら五百の比丘尼らにも生じていました。ゴータミー尼が般涅槃を決意した時、地震が起こり、天の鼓が鳴らされ、尼寺に住む神々は憂いに迫られ、泣いて涙を流しました。

 何が起きたのかと、五百の比丘尼たちはゴータミーのもとを訪ねました。ゴータミーは自分が思ったことをそのままに語り、五百の比丘尼たちもまた、みな思ったままのことを語ったのです。

「聖なる長老尼よ、あなたがもし般涅槃に入ることを望むなら、私たちも世尊にお許しを得て涅槃に入りましょう。私たちも共に生存を脱出して、般涅槃しましょう」

 ゴータミーは「涅槃に向かい進もうとする者に言うべきことがありましょうか」と応じ、精舎を守る神々に別れの言葉を告げると、五百人の比丘尼と共に尼寺から出ていきました。まだ煩悩の残った比丘尼たちは、嘆きながらそれを見送りました。

在家信者の懇願

 ゴータミーが五百比丘尼と共に道を進むのを見て、近くに住む女性信者(優婆夷)たちは家から出て足下にひれ伏し、般涅槃を思いとどまるように嘆願しました。苦悩して泣く女性信者たちをゴータミーはこう慰めました。

「わが子よ、泣くのはおやめ。今日はあなたたちが笑うべき時ですよ。
 私は苦を知り尽くし、苦の原因を除き、苦の滅を証明し、また苦の滅に至る道をよく修行しました。世尊に仕え、ブッダの教えを実践し、すでに重荷をおろして、煩悩を完全になくしました。
 家から出家したその目的である、一切の束縛を尽くすことを得たのです。
 ブッダとその正法が欠けることなくあるうちに、私は般涅槃したいのです。
 娘たちよ、私のことで悲しんではいけません。
 コンダンニャ、アーナンダ、ナンダ、ラーフラ、世尊はお元気で、サンガは安楽にして利益があり、外道たちは傲慢さを失っています。
 悪魔を粉砕する釈迦族の誉(ブッダ)は、高い名声を得ています。
 娘たち、いまは私が般涅槃する絶好の時ではないでしょうか?
 私は、ずっと以前から願っていたことを、今日遂げようとしているのです。
 これは祝うべき時です。
 娘たち、なぜ泣くのですか?
 もし私のことを思い、恩を知る者がいるならば、あなた方はみな正法が末永く続くために堅固に精進なさい。
 世尊は私の懇願を受け入れて、女性に出家を許されたのです。
 ですから、私が喜ぶように、(堅固精進に励んで)ブッダに従って下さい」と。

釈尊への挨拶と懺悔

 このように教誡をなしたゴータミーは、比丘尼らを従えてブッダのもとに参ると、礼拝してこう述べました。

「世尊よ、私はあなたの母です。 
 しかしブッダよ、あなたは私の父です。
(私に)真理の楽を与えてくださったからです。
 ゴータマ(ブッダ)よ、私はあなたによって生まれました。
 世尊よ、あなたのこの肉身は私によって育てられました。
 私の欠けるところない法身(真理)はあなたによって育てられました。
 しばしば、渇愛の籠った乳を私はあなたに飲ませ、あなたは私に寂静なる果てしない法乳(真理)を飲ませてくれました。
 私があなたを愛し育てたことにおいて、あなたに対する不満はありません。
 ブッダよ、子を求める女たちは、このように教えられているからです。
『王母や皇后の名は女にとっては名誉なもの、仏母というその名は最も得がたいもの』と。
 釈尊よ、その仏母の名を私は得たのです。
 マーンダーター(曼陀多 伝説の大王)などの人間の王の母たちは、全て輪廻の海に沈んでいます。
 しかしわが子よ、私はあなたによって輪廻の海を渡り終えました。
 私の願いは、小さなものも大きなものも、すべてあなたによって満たされたのです。
 輪・鉤・幢で飾られた蓮華のような御足を伸して下さい。
 わが子よ、あなたに親愛をもって敬礼いたします。
 金塊のような御身を現して下さい。
 あなたの身体をよく見終わってから、ブッダよ、私は寂滅に赴きます」

 ゴータミーの願いに応じて、ブッダは三十二相を具えたその身体を現しました。これは異例なことでしょう。釈尊の足裏に顔をつけて礼をすると、彼女はこう言いました。

「私の最後の死にあたって、人類の太陽、太陽族の旗印に敬礼いたします。
 私が再びあなたを見ることはありません。
 釈尊よ、女というものは、(知らずに)あらゆる過失を犯してしまうものだと思います。
 もし私に何かの過失があれば、ブッダよ、お許し下さい。
 また私は女性の出家をしばしば懇請いたしました。
 もしそのことにおいて私に過失があれば、ブッダよ、お許し下さい。
 ブッダよ、あなたの許しによって私は比丘尼たちを指導してきました。
 もしその指導に善からぬことがあったならば、ブッダよ、お許し下さい」と。

 釈尊はマハーゴータミーにこう太鼓判を押しました。

「完全なる徳で荘厳されたあなたに、何の過失があり得るでしょうか。
 まさに般涅槃に赴こうとするあなたに、私がさらに何を言えるでしょうか」

ラーフラ、アーナンダ、ナンダへの別れ

 礼儀正しいマハーゴータミーは、比丘サンガの中で挨拶を述べ、とりわけ縁の深い釈迦族出身の仏弟子たち、孫のラーフラ、甥のアーナンダ、実の息子ナンダに礼をして、こう述べました。

「蛇のすみかに等しい、病の住処である、苦の集まる処である、老死する身体には厭き厭きしました。
 種々の汚泥に満ちた、他に依存する、動かないこの老いた身体には、もううんざり。
 それ故に般涅槃しようと思います。わが子らよ、許して下さい」

 ナンダとラーフラはすでに不動の阿羅漢果に達していたので、「一切有為は無常なり」と法性(真理)を思考してその言葉を受け止めました。しかしブッダの侍者であったアーナンダはその頃まだ阿羅漢に達しておらず、叔母の別れの挨拶を聞いて悲しみを抑えきれず、涙を流してしまいました。

アーナンダへの慰め

 ゴータミーは泣きぬれるアーナンダをこう慰めました。

「海のように深く世尊の教えを聞いてきたあなた、世尊のお世話に熱心なあなた、喜び笑むべき時なのに、悲しむなんて変ですよ。
 わが子よ、私は帰依処である涅槃性に到達したのです。
 わが子よ、世尊はあなたに請われて私たち比丘尼の出家を認めてくださった。
 わが子よ、悲しんではいけません。
 あなたの骨折りは徒労ではなかったのです。 
 いにしえの聖者たちも見出すことのできなかった真理の道を、いまでは七歳の女の子も知っているではありませんか。 
 仏教を守護する者(アーナンダ)よ、これがあなたを見る最後です。
 わが子よ、私は見られざる処(涅槃)へと赴きます。
 世尊が説法しながら咳き込んでいる時に、いつでも私は心配してこうお願いしたものです。
『世尊、長生きして下さい。世尊、一劫の間、生きて下さい。すべての生命のために、御身に老死がありませんように』と。
 そのように願う私に、世尊はこう答えました。
『諸々のブッダは、ゴータミーが敬礼するように敬礼されるべきではないのです』と。
 (私は問い直しました)
『では、一切智者よ、如来はいかに敬礼されるべきなのですか?
 諸々のブッダはいかに敬礼されるべきなのですか?
 私に教えてください』
 (世尊は再び答えました)
『精進し励み、身命を惜しまずに、つねに堅固勇猛にして、仏道修行する弟子たちを見なさい。
 これぞ諸々のブッダに対する敬礼です』と。
 それから比丘尼の住所に行って、私は一人で考えました。
『三有(欲界・色界・無色界の生存)の終わりに至った釈尊は、(長生きなさってくださいという言葉よりも)仏道に励む人々の姿を喜ばれるのだ。
 それにしても、世尊が亡くなるのを目の当たりにするのは私には耐えられないことです。
 私はそろそろ般涅槃することにしましょう』と。
 そう思って世尊にお話ししたところ、『ゴータミーよ、時を知りなさい』とお許しをいただけたのです。
 私の諸々の煩悩は焼きつくされ、生存はすべて断除され、龍象のように繋縛を断ち切って、煩悩なき者となっています。
 本当に、私はよくやってのけたものです。
 私のブッダのもとで、教えを実践し、三明を体得して、四無礙とまた八解脱を得たのですから」

神通の示現

 その時、釈尊はマハーゴータミーにこう命じました。

「(この精舎には)真理を目の当たりにする努力をせず、怠けている愚か者たちがいます。
 彼らのなまくらを断つために、ゴータミーよ、神通力を現しなさい」と。

 ゴータミーは種々の神通を現して比丘サンガの者たちの度肝を抜くと(長いので省略します)、天宮より下り、釈尊に礼拝してこう述べました。

「私はもう百二十歳になりました。世尊よ、これで十分でしょう。私は涅槃に入ります」

 このあと、ゴータミーはパドゥムッタラ過去仏から記別された過去世の因縁を語り、デーヴァダハ城に生まれて浄飯王に嫁いだ今世の因縁を語り、また彼女に従う五百比丘尼も盛大に神通を示現して釈尊に般涅槃の許可を得るのですが、そこは略します。

告別の時

 ゴータミー尼と五百比丘尼たちは、その時釈尊に敬礼して、その座より起って立ち去りました。釈尊と比丘サンガの長老たちは、般涅槃に入ろうとする一行を精舎の門まで見送ったのです。母親とはいえ、ブッダみずからが弟子を見送るというのは、破格の行為ですね。その時ゴータミーは釈尊の足下にひれ伏して、他の比丘尼たちと共に最後の敬礼をします。
 釈尊もゴータミーに最後の言葉をかけました。

「このような現世におけるこの色身が、(覚りに達した)あなたにとって何の価値を持つでしょうか。
 これはすべて作られたものであり、不安定で、一時的なものにすぎません」

 一行が比丘尼住所に戻ると、その時その場所にいた女性信者たちが、ゴータミーの般涅槃を知って礼拝に訪れました。彼女らは手で胸を打ち、根を断たれた蔓草のようにうなだれ、憂いに悩んで地上に倒れ、悲しい泣き声をあげていました。
 ゴータミーは集まった優婆夷の頭を撫でながら、このように述べました。

「わが子よ、魔の羂索(感情)にとらわれて落ち込んではいけません。
 一切の有為は無常であり、終わりなく動揺し続けるものです」

 そうして、ゴータミーと五百人の比丘尼たちは般涅槃に入ったのです。この後、アーナンダが釈尊の命で仏母の入滅を諸方に報せるくだり、神々による盛大な供養のくだりは冗長なので略します。

荼毘に付される

 荼毘に付されたゴータミーの遺骨を見て、アーナンダは感慨のあまり言葉を発しました。

「ゴータミーは亡くなってしまった。
 そしてその身体は焼かれてしまった。
 世尊の般涅槃も遠くないのではないかと、私は心配です」

 この言葉に代表されるように、ゴータミーのアパダーナは、釈尊の般涅槃を描いた『大般涅槃経』の前奏曲のような雰囲気を漂わせています。とまれ仏母の遺骨は彼女自身の鉢に納められ、アーナンダはそれを釈尊に捧げました。

仏母ゴータミーを讃える釈尊の言葉

 鉢に納められた遺骨を持って、釈尊は比丘サンガの者たちにこう告げました。

「大いなる巨樹の枝が無常性によって枯れ落ちるように、比丘尼サンガのゴータミーは般涅槃しました。涅槃に入ってただ骨(舎利)のみ残った我が母に対して、憂い悲しみの気持ちが湧かないのは稀有なことです。
 母は(死後の行き先を)他者から心配される存在ではないのです。
 すでに輪廻の海を渡り、一切の苦悩を除き、清浄となり、善く涅槃されたのです。
 母は智者であり大慧者であり、また広慧者であり、比丘尼たちの中の長老でありました。
比丘らよ、このように知りなさい。
 ゴータミーは神足通に自在であり、天耳通に自在であり、他心通に自在でした。
 宿住通、天眼通、漏盡通を成就し、再び生まれることはありません。
 義・法・詞、同様にまた弁無礙解(四無礙解。教法の意義、論理、語句、表明について自在に分別する能力)の智慧は清浄(完全)です。
 それ故に、母は他者から心配される存在ではないのです。
(鍛冶職人が)ハンマーを打って生じた火花がすぐ消え去るように、完全に解脱し、欲の束縛の暴流を渡り、不動の楽を体得したものに、輪廻はないのです。
 それ故に、君たちは自らを洲とし、(四)念処を修行しなさい。
 七覚支を修習して、苦の終わりを完成しなさい」と。

 釈尊の義母はその滅後に、息子たるブッダから最高の賞賛を受けたのです。

(初出:サンガジャパン Vol.4(2011Winter),サンガ,2010/12/25

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