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備忘録「科学と生命と言語の秘密」津田一郎×松岡正剛(文藝春秋 2023)

少し前に、目は通したんですけど、なんの話だったか。
風邪ひく前だったな。
よく覚えていないが数ヶ月前だろうか。
音楽家の田口和行さん(数学にも強そう)が、読まれていた本、
のうちのひ一つ。
私は、と言えば、千夜千冊を収集しているのに、
カオス学の津田さんと松岡さんの対談本は、
内容的にしんどそうだから敬遠していました。
それでも読んだのは、やはり価格が下がったのきっかけでしょう。

それで備忘録をと思いましたが。。。

赤鉛筆で囲んだところをまず、抜き出してみます。

津田
一週間前の私と現在の私とは違う私だと言ってもいい。
ただ一週間で私が変化していくといっても、
その変化の仕方はスパースコーディング(少数自由度)だから、
要素系が少しずつ変っていくのであって、
全部がいっぺんに変わるわけではないんですね。

P. 201 「定常性な自己」はなぜ可能なのか

これだけ抜き出されても、困るでしょうねぇ。あくまで備忘録でして。
私nakaは、「変化していく私」に興味があるので、
この箇所を赤鉛筆で囲んだのでしょう。
400頁くらいの本の折り返しに、ようやく赤鉛筆が使えた。
この本を、客観的に、というより、より主観的に読んでいる、
とも言えましょうか。

つづいて、2つ目の赤囲い。

津田
「A-B」の「-B」こそ本来は意識なので、
現象としてはそれほど見えないはずです。
もちろんわれわれは今も意識的に何かをやっていますが、
それは本来残るものでもないし、届くものでもない。
ときどき何かに見えたり、観測にかかることはあるけれども、
基本的には差っ引いている部分が意識だから見えないんです。
どちらかといえば意識よりも、
むしろ無意識のほうにいろんなものがたまっているはずで、
いちばん単純なのは身体運動ですね。

P. 286 「意識の捨て方」の仮説をめぐる

私naka、「意識」や「無意識」に興味あり。
「-B」が意識、ってのは初めてきいた話でしたね。
無意識のおかげで、なんとかやっていけていると思っていまして、
意識していることの比率と言ったら。。。
でも、この無意識を意識化出来たら、よい事が起こりそう。
また、意識していることを無意識に落とし込めたら、それも良いかも。
このあたり、ポランニー弟の「暗黙知理論」に関係しますね。
栗本慎一郎さんの本を読んでいた頃に知りました。30年前か。
でも、まだ意識の範囲である「言語化された内容」を
強く言われるのは苦手だな。

本の内容については、やはり文春新書さんからが良いでしょう。

音楽家・田口和行さんの新作は下記。