見出し画像

お歳暮・年賀状、敢えて“義理”の勧め

 今から、25年以上前の師走、母が末期がんで闘病していた頃、私は看病であまりに疲弊していたため、母に「来年の年賀状は、もう出すの止めようかな。」と相談すると、「年賀状を止めると、それで切れてしまう縁もあるのだから、出し続けなさい。」と、言われ、年賀状を継続して出すことにしました。

 母は、自分が末期であることを知っており、来るべき自分の葬式で、私が喪主をやることがわかっていましたので、「香典返しは、必ず行いなさい。難しいならば、お礼のハガキだけでも出しなさい。」と、繰り返し言っていました。

 現在、こういう行為は、「表面的な“義理”に過ぎない」と認識されているようですが、実は、義理って、ものすごく大切なものなんですね。

 個人情報の保護で住所管理が難しくなり、また、コロナ禍もあったので、葬式の開催がものすごく低調になりました。
 ※住所管理が難しくなると、香典返しができないのですね。すると、葬式そのものの運営が難しくなってきた事情があるのです。これは、喪主をやったことがない人にはわからない事情です。

 葬式って、場合によっては、結婚式より大切なんです。結婚式の場合は、結婚後、新生活を始めた若夫婦に会うことができますが、葬式は、それでおしまいなんですから、そこで行かなかったら、今世に関しては、もう終わりなんです。

 ですので、「香典を持って、駆け付ける」というのは、極めて大切な行為だったんですね。そういう義理を大切にしてくれた人に対しては、きちんと「香典返しを行う」という義理を果たすのです。

 今は、こういう葬式そのものが低調ですから、そのような義理を果たす機会も少なくなってきましたが、そういう助け合いがあって、世の中は上手く回っていたこともあったんだと思うんですね。

 だって、江戸時代の悪名高い「村八分」だって、相互の関係性が残る二分の中には、葬式での助け合いは残っていたんですからね。
 ※ちなみに、これは、葬式が行われないことによる伝染病の蔓延などを阻止するため、必要不可欠のものであったとも言われています。

 私は、こういった“義理”は、令和の世の中であっても、いや、逆張りの発想としても、大変大切だと思っています。

 果たして、私は、年賀状も、お中元・お歳暮も、相手が死去するなどして、だいぶ減少してきていますが、今も、母の教えを守って、コツコツと継続しています。

 年賀状も、昨今は、止めてしまう人が多いですね。私は、“縁”が薄くなった世の中において、年賀状は、数少ない相手の生存を確認するいい行為だと思っています。

 形式的だという人もいますが、西欧だって似たような時期に、クリスマスカードを送り合う習慣があるでしょ。厳しい冬を、少しでも楽しく過ごそうという、昔の人の編み出した貴重な習慣だと思いますよ。

 お中元・お歳暮だって、盆・暮れという厳しい季節の中、相手をおもんぱかって、一品を送り合うものでしょ。

 確かに、ものスゴいものを送っているわけではないのですが、お中元・お歳暮って、特段の理由なくモノを送れるいいタイミングなんですね。だって、理由があって、モノを送ったら、「賄賂」に近くなりませんか。

 日本は、このように、モノを送り合う風習があるのですね。

 「単なる“義理”ではないか」と言う人もいるのかもしれませんが、こういう風習があって始めて、人は他の人とのつながりを感じるんだと思うんですね。

 亡き母は、ものすごい親分肌の人でしたから、こういう“義理”がどれだけ大切なことかわかっていたんでしょうね。性格が全く違う私も、今も守っていますよ、お母さん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?