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酒豪の真実。

酒豪

職場で
『酒豪』
というキャラクターが定着してしまった。
私は仕事柄転勤が多いのですが、
どこに行っても『酒豪のコハルさん』で通っていたほど。
お酒が好きなのは自己紹介にも書いた通り事実ですが、
異動先の挨拶で、
はじめまして、と言う前に
あ、お酒の!とか、
聞いてるよ〜とか。

誰に聞いた。誰が言った。

そしてみなさん、例え何か聞いたとしても、鵜呑みにされちゃ困ります。

きっかけ

一番初めに赴任したところは、米所のとある地方。
お米もお水も最高に美味しくて、
その二つが揃ったからには、日本酒も美味しくないはずがない。
そして職場はかなりの『男社会』。
飲み会は頻繁にあった。
飲む、笑う、怒る。大きな音の鳴る飲み会。
若い者は、注ぐ、聞く、怒られる、そして、飲む。
一年目の頃はそんなところだった。

そんな飲み会で、お酒が好きと知られれば盛り上がる。
特にその頃、男性の先輩たちはお酒が苦手な人や、チューハイなど、その人たちの言う"若い人の酒"を好む人ばかりだったから、私のようにビールや日本酒を好む若者は、単純に飲みの場で好まれた。
それから、飲み会のイメージが付くようになっていった。

他称酒豪の誕生

先にも書いたが、その飲み会での若者の所作は
注ぐ、聞く、怒られる、そして飲む。
この"注ぐ"には、水割りやお湯割りを作ることも入る。
作る役割があると、怒られる標的になりづらい。そしていわゆる作り場には、若者や、標的から逃れたい人たちが集まるので、なんとやく居心地が良くて好きだった。

所作やココでの暗黙のルールはだいたいここで学んだ。
水はお酒より後に入れること。
お湯はお酒より先に入れること。
お酒と説教で辛そうな先輩には、お水を多めで。なんなら氷水でも。
お酒が好きなあの人には濃い目に。大抵濃いことなんて気が付かないし。
それでみんな気持ち良くなって、宴は終わる。
だから私がほぼ水の水割りを飲んでいようと、
私が日本酒よりも水を多く飲んでいようと、大抵みんな気付かない。

あいつは飲んでいた、俺と同じペースで。
そういう風にしか記憶されていない。

俺は次の日二日酔いだったぞ!
それなのになんだあいつは、表情変えずにケロッとしてやがった。
あいつ、つえぇなぁ!!

大抵そんなもんだ。

仕事の味

このイメージによって、良かったことは一つ。
印象に残りやすいこと。
仕事を進めるうえで、都合も良かった。
でも本当は、仕事として飲むお酒は好きじゃない。
そしてそのイメージがついてしまってから、
お酒を飲ませてもいい人、お酒に付き合わせてもいい人、になってしまった。

経験上、お酒に飲まれた人は本当に、本当にタチが悪い人が多かった。
一緒に記憶を無くしてしまえたら楽だっただろうに、ただ悪酔いと嫌な記憶だけが残った。
思い出したくないことも多い。
悔しくて悲しくて、泣きながら帰った夜道も鮮明に覚えている。

赴任して数ヶ月してから、久しぶりに帰省した時のこと。
お酒好きの父が嬉しそうに日本酒とお猪口を二つ用意した父に、
『お酒は仕事の味がするから、飲みたくない。』
と、言ってしまった。
父は笑顔で、
『そうかそうか、それなら飲まなくていい。お酒は無理して飲むもんじゃないぞ』
とそう言って、お猪口を一つしまった。

変わり果てた?娘の姿に、いろいろ思うことはあったと思う。
父は一瞬寂しそうだったけど、それ以上に心配そうな、悟ったような顔をしていた。
そして何も聞かなかった。

笑顔で合わせなければいけないと私自身思っていたし、そういう環境でもあった。
こうやって、ニセモノの酒豪はできていた。

今では、帰省した際に父と晩酌をかわすし、
手土産に日本酒を買って帰るまでに
お酒好きは(幸か不幸か)復活した。

飲みたい時に飲めるようになってきたし、
飲みたい人たちと飲む時間を大切にできるようになった。
仕事の飲み会でも無理しなくなった、と、思う。
少し自分に優しくなれたのだと思う。

酒豪じゃなくて、お酒好きのコハルさんにランクダウン(気持ちとしてはランクアップ)してきたように思う。

最初からこうできていたら良かったと思う。
そうしたら、お酒を飲ませてもいい人、にはならなかったはず。

でも、そうはできなかった。

合わせることがその時の生きる術だと思っていたから。

笑っている人ほど、その笑顔で隠した顔がある。

『大丈夫』は『大丈夫じゃない』ことが多いし、
その人の『ちょっと』は『全然ちょっとじゃない』ことが多い。

あなたの隣で笑っているその笑顔は、
大丈夫は、ちょっとは、
そのまま受け取ってもいいものなのか。

考えてみることは、誰かを救うことになるのかもしれない。

そしてその笑顔も、大丈夫も、ちょっとも、
作り出してしまう人にも知って欲しい。
笑顔が辛いなら思い切って笑顔をなくしても大丈夫。大丈夫じゃないことも、ちょっとの辛さが本当はものすごい辛いことだってことも、
見せてみても大丈夫。問題ない。

きっと勇気のいることだと思う。
でもその勇気が、自分を、なんなら周りも救うことを知って欲しい。

案外大丈夫なもんです。
それが私が知ったこと。知って欲しいこと。


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