アダルトチルドレン 母は女で他人ということについて

実は子供の頃「殺してやる死んでやる」って包丁持った母を止めたりなだめたりなんて事は数しれずあったし二十代後半でも眠剤飲んで意識不明の母のところへ駆けつけ救急車呼んで付き添ったりなんて事あった親子関係でした。父に関しては客観的にはその原因だったし世間的にはクズ男だったと思うけど
父については別記事で記してます

親として接してくれた記憶は父の方でした。純粋な親心や父性だけと言うよりもおそらく良心の呵責もあったのかもしれませんね。
そんな子供は何を考えるのかって話を今悲惨な子供時代送ってる子やそういった子供のケアされてる方のお役に立てばと思い僕の体験から記事にしてみようと思って書いています。
アダルトチルドレンとか言われたりしますけど例えば日常的に悲惨な状況の場合やはり子供ではあってもこんな風になっちゃいけないどうすればその状況解決出来るか?って考えるものなんです。殺してやる死んでやると包丁握ってれば止めるし止めた後にはなんでこうなった?どうすればそうならない?って必死に考えます。場合によっては自分が犠牲になれば食い止められるんじゃないかって自傷に走る場合も在ります。←僕の場合はそんな事も言ったような記憶もかすかにあるくらいでしたけど。でも当然本来は大人の当人同士で解決しなければならないし大人が解決つけられない事を子が解決できる訳ないですよね。其処でボクの場合は自分の親って言っても僕と同じ人間で所詮男と女。親の問題じゃなくて男女の問題だと冷静になりたくて達観させて←自分を危険や恐怖から遠ざけたい意識が働いたのでしょうか 自分の頭の中に逃げ込みました。
良く育ちが悪いとか犯罪者の子は犯罪者とか言われたりする事もありますけどここはもっと精査しないとわからないと思っていて通り一遍等なカテゴライズはただの偏見に等しいと思っています。寧ろ僕の場合は親の生き様が反面教師になりましたので結局そこは最後の砦といいますかその親が何を最後に伝えようとしたかに依拠するのかなともおもいます。僕の場合はやはり父の善意がそう考えられるようにしてくれたのかもしれません。損な風に自身の死に際死に様を見せて最後に行動してくれた父にはやはり大きな感謝と愛を感じざるを得ない位にはファザコンだったりもします。さてそんな母と現在も同居なわけですがそこに信じたいでも信じられないみたいな揺れ動く感情がありましてこれは生きてきた時代や社会からの刷り込まれた価値観も影響があるのかもしれません。放り出せば精神的には楽だろうけど親である以上そうはいかないしのような感じです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?