トライ エンド エラーは苦手だけれど。




はじめに

 いきなりだが、私は、転職する際に必要な履歴書を書くのが苦痛である。何故なら、転職を何度もしており、職歴、学歴を記入する欄を全部埋め尽くすことになるからだ。とはいえ、言い訳をするわけではないが、退職理由には自己都合だけではない。それでも、普通に大学等を卒業して、すぐに就職した会社でずっと働き続けている人に比べたら、私の履歴書の学歴、職歴の欄は私の人生がいかに紆余曲折であり、不器用に生きてきたのかを見事に表現してくれている。
 もしかしたら、そのような生き方をトライエンドエラーというポジティブな言葉で言い換えてくれる人もいるのかもしれない。でも、私は根っからのネガティブ思考人間なので、ここでは、試行錯誤という言葉を使って私の転職体験について書こうと思う

私の転職履歴

 まず、私の簡単な転職職歴から書いてみることとする。
 恥ずかしながら、私の年齢は40代。女性である。
 地元の短大の英語科を卒業後、教育教材の営業会社に就職するも、営業成績が全く振るわず、他部署へ異動させられ、すぐに退職。
 その後、地元の百貨店で働きながら、昔から行きたかった海外留学の資金をため、現地のホテルで働いたりしながら、トータル2年半海外生活を送る。
 そして、帰国し、もともと興味のあった旅行会社で働くために、バイトをしながら、総合旅行業取扱管理者の資格を取得&旅行会社に就職。旅行会社で働きながら、体が不自由な方の旅行のサポートができたらと考え、当時のホームヘルパー2級の資格も取得した。
 ちなみに、最初に働いていた旅行会社は繁忙期のあまりの忙しさから退職。そのあと、沖縄を放浪し、やっぱり旅行会社で働きたいと転職した会社も、数年後インバウンドやネット販売だけにするという会社の方針から、店舗閉鎖が決まり、子会社の持っていた旅行会社にそのまま転職することとなった。そして、その後東日本大震災があり、旅行会社の先行きが不安を感じながら働いていたが、突然その会社が閉業することになる。
 そんな不幸が続くなか、その旅行会社の親会社が受け入れていれることになり、ひとまず親会社の小売業で働く。(親会社と子会社が分かりにくくて申し訳ないが、2番目の旅行会社は大親分、3番目の旅行会社は大親分の子分の子分、小売業は大親分の子分という感じだろうか。ますますわかりにくくなってしまっていたら申し訳ありません。)


 そんな中で、大親分と子分の間を行ったり来たり、ハローワークに相談しにいったり、さまざまなお客様やパートさんたちとの関わりを持ったりするうちに、私は、人の話を聞いたり、就職や転職に関する相談に関心を持つようになったのである。
 

現在の仕事に至るまで~大学編入&卒業

 そして、小売業で働きながら、産業カウンセラー、キャリアコンサルタントの資格を取得。養成講座で出会った方の影響で、心理学とソーシャルワーカーの勉強をしたくなり、通信制大学へ編入。小売業の正社員ではスクーリングが行われる土日の休みや実習のための休みが取れないために退職。事務と障害者向けの施設での仕事をダブルワークをしながら、大学卒業&資格を取得した。

 そして、去年の2023年、4月に、実習でお世話になった医療機関に転職。今は、精神科の医療機関内の施設でソーシャルワーカーとして働いている。


最後に

 今にして思うと、20年以上も昔に、なんとなくテレビで観た「べてるの家」やひきこもりの方の支援のドキュメンタリー番組がなんとなく頭に残っていたり、小売業で働いていた時の知的、精神障害を持つお客様との関わりの中でどのように接したらよいのだろうかと考えたこともあったりと、昔から関心があったのだと思う。



 そして、なによりも、私の内向的で感受性が高く、他人の感情を深く捉えることができること、繊細で傷つきやすい分、他人の痛みにも気づいてあげられるという性格や特性を生かした、少しでも人の役に立つ仕事をしてみたいという思いが、心のどこかに持ち続けていたのだと思っている。

 
 だから、私は、この紆余曲折な人生を、時には泣き言や文句を言いながらも歩き続けてきたのかもしれない。

 今の仕事は対人援助職なので、自分軸をしっかりもって、仕事をしないと身が持たないので、思春期のアイデンティティーの確立の時期以来、自分を向き合わされている。自分の短所、長所。考え方のくせや今まで目をそらしてきた自分の課題など…。そして、それは、時々しんどくもなる。
 
 それでも、辞めずにここまで来れたのは、患者さんたちの笑顔や優しさのおかげだと感じているし、できることなら、このまま働き続けたいと思っている。

 
 最後に、やっぱり私はトライエンドエラーという言葉は苦手だ。でも、私の好きなシンガーソングライターの竹原ピストルさんの「オールドルーキー」という曲の歌詞に、「(人生は)何度でも立ち止まって、また何度でも走り始めればいい。必要なのは走り続けることじゃない、走り始め続けることだ」という一節がある。確かに、私の人生もその歌詞通り、走り始め続けてきたのだと思う。だから、私は、たとえ患者さん自身があきらめてしまっても、自分だけは、その方の力を信じ続け、試行錯誤しながらも、紆余曲折な道を一緒に前を向いて歩き続けられる援助者になりたいと考えている。



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