【ソウウツ通信】躁鬱たぬきは衣食住の限界点に挑戦する【5】
躁鬱たぬきは建築学科の出である。
大学生の時はまったく勉強しなかったのでやっとのことで卒業したのだが、勉強とは別に「衣食住」についての興味はずっとあった。
よくある建築学科の学生だと、安藤忠雄だとか黒川紀章、伊藤豊雄だとか隈研吾、磯崎新に丹下健三、妹島和世なんかにかぶれていく。たぬきもそのあたりを通過したものの、素通りみたいな感じだった。旅先でそんな建築家の建物があれば見て回ることはあるけれど、彼らがどんな思想で建物を建ててるだとか、系譜がどうだとかは全然知らない。
それよりも古民家だとか、「古」民家だけでなくふつうの民家とか小屋とか生活感がある建物の方に興味がある。
どちらかというと基本的な、最低限な「衣食住」についてと言ってもいい。
たぬきは躁鬱病と診断される前から「衣食住」に関して漠然とした不安があった。
その時たぬきは地方公務員の建築職という立場だったが、ちょっと上の世代となるとお決まり通り35年とかの長大なローンを組んで家なんかを建てているのである。
これは公務員という一生収入が確保されているから成せる技なのだろうか?でも、一般企業の会社員とかもマンションを買ったり一軒家を建てたりしている。
30年以上も先のことなんて分からないのに、なんでそんな未来設計ができるんだろう?自分だったらそんなプレッシャーに耐えられない!と、たぬきはいつも考えていた。
とにかく、たぬきは10年後のことすら予測するのは難しい、という刹那的な(?)感覚で生きてきたから「衣食」についても同様である。公務員と言う他から見れば絶対的安定と言われる職に就きながら、着る服や食べ物を買うお金にすら困ったらどうしようという不安にいつも苛まれていた。
蓋を開けてみると10年も経たずしてたぬきは公務員の職を辞したのである。
「ほらね!」とたぬきは思った。将来のことなんて分からない、という予想があたったのはたぬきの聡明さ、と100歩譲って言っても良いかもしれないが、幸せな方向に進んだのかと言えば決してそんなことはない。
とにかく「衣食住」という生きてく上での基本的3要素についての不安を心の奥底で持ち続けているのであった。
なので「躁状態」になると「衣食住の限界に挑む」なんてことをする。限界を知れば生きてく上での最低限のハードルが分かり、不安!不安!!と思っている毎日が少しは穏やかになるのでは!?という考えからである。
躁状態は単純にハイテンションなだけでなく、そのハイテンションの大きさの分だけ鬱が裏に隠れている。不安は常に付きまとっているのである。当然常々思っていることだから「衣食住」の不安もある。
なので、衣食住の内製化・・・というか自給自足に近い暮らしができたなら何度も何度も訪れる漠然とした不安を多少払拭できるんじゃないかとたぬきは考えているのである。
躁状態はその行動を後押しする。
もっとも大きな例で言うと、たぬきは躁状態の時に家を買った。住むところがあれば最悪仕事ができない状態でも雨風凌げると思ったからである。
これだけ言うとよくある躁状態の散財だ!と言われるかもしれないが、たぬきは散財はするけれど、もう少し冷静な部分を持ち合わせている。身を亡ぼすまでの散財は今のところない。
たぬきは頂上部がヒマラヤの様に高くない躁鬱人なのである。躁状態の頂上はせいぜい富士山くらいなのである。
あれだけ嫌悪していた35年ローンを組んだのだが、10年くらいで返せ る見込みで家を買ったのだ。そして実際に10年を立たずして返済した。
家なんてせいぜい3年で返せるくらいのローンで買うもんである、という思想をたぬきは持っている。
・・・そんな話をしたい気もしてきたが、この家を買ってしまったお話は別の機会に譲るとして、衣食住の話である。
とにかく躁状態になると鬱期とかに悶々としていたような不安に対して敵対する・・・というか「こうすれば解決するんじゃないか!なーんだ簡単なことだったんだ!」みたいなアイデアが次々に浮かび、そして心身ともに燃え尽きるほどの行動力を見せる。
まあ、それが躁鬱病の躁鬱病たるゆえんなのだが、衣食住の「衣」に関して、たぬきはいきなり数十万円の業務用ミシンを購入した。
その頃はまだ勤め人であったけれど、布を作っている工場あちこちに直接問い合わせをして1ロール50mみたいな単位で布を買いまくり、仕事を終えて帰宅してから日が変わるころまで食事もとらずにとにかく縫って縫って縫いまくった。
そして、そんなに作っても自分ではいらないので、とにかく知り合いに連絡して譲りまくった。
今考えれば迷惑だっただろうなーと思う。
その時のたぬきの診断は「鬱病」だったから、これが躁状態の症状であるという自覚がなく、自制心もなにもあったもんじゃなかった。
鞄作りにも没頭し、これまた中国地方の帆布工場に直接連絡をして1ロールの布地を購入し、100個以上の帆布カバンを作った。これも人にあげまくり、それでも残った50個くらいのカバンを持って、何を思ったのかヨーロッパに行って勝手に公園なんかで売っていた。そしてたぬきは警察に捕まっちゃったのである。泣いた。
外国人が勝手に海外で商売をしちゃいけないようである。1個売れた瞬間に警察に取り囲まれた。
たぬきはその時初めて冷静な行動をしていないことに気が付いた。それからは鬱期に突入である。半分以上残ったヨーロッパでの旅程はなかなかつらいものだった。
警察に捕まる(ハンガリーの女性警察官、むちゃくちゃ怖かった・・・)、という経験までしたたぬきは帰国後、一切業務用ミシンを踏むことは無くなり、再び「お裁縫たぬき」になるのに数年の月日を擁することになる。(その時もまた躁状態になったのだが・・・)
次に「食」に関して(今思えば)躁状態のお話をしよう。
鬱がひどくて時々全く手を付けない年はあるものの、たぬきは畑仕事をかれこれ10年ほど続けている。
きっかけはたぬきの鬱がひどかった頃の話である。この時もまだ「鬱病」という診断で「躁」の行動とは思っていなかった。
たぬきは35年ローンで買った雨漏りしまくりの古民家で寝たきり生活を送っていた。10年で返済する見込みで買ったものの、古民家が好きと自負していたものの、住むのにはなかなか大変である明治に建てられた古民家。
町家形式で間口のわりに奥行きが長く、日も当たらない春でも肌寒い真っ暗な部屋の中で、毎日トイレに行くのも億劫な毎日を過ごしていた。
なんでこんなメンテナンスに時間も金もかかるボロ家を買っちまったんだろうとたぬきはそれすらも後悔していた。買ったときのあのハイテンション差は見る影もなかったのである。
そんな時、友人が見かねて「借りてる畑を一緒にやりませんか?」と誘ってくれたのである。
たぬきは寝たきりで筋肉がすっかり落ち切ったふらふらの体を友人の車にねじ込み、畑まで連れて行ってもらった。
その時はかるく苗を植えたのか、草刈りをしたのか分からないが、ちょっと気分が晴れた気がしたのである。
躁状態の突入だ。
たぬきは早速耕運機を買った。借りてる畑なんて手作業で全然十分な広さなのに・・・だ。
種なんて蒔いたってすぐ芽が出るわけでもないのに、朝は4時ごろ、夕方は(仕事をまだなんとか続けていた)19時ごろ畑に何をするわけでもなく通い続けた。
がっつりと「ハマった」のである。素人だったのでその年は野菜は全然うまく育たなかったけれど、業務用ミシンを買ってお裁縫をして、野菜を育てるという行為は「衣食住」の「衣食」を得たような気持になっていた。
まあ、その時は躁状態だったからなんでもプラスに解釈したからでもある。その後の鬱では高価なミシンを購入し、畑にも通えないくらいの寝たきりになり、どんどん荒れて行ってる(はずである)畑のことを思い浮かべて罪悪感に苛まれた。
それでも、細々と現在でも畑を続けている。今は春である。そろそろ夏野菜を植える季節であり、何を植えようかわくわくしている。今はわりと安定している時期なので、畑をやっていてつくづく良かったと思っている。
次に「住」の話である。
衣食住の中で「住」を手に入れるのが一番困難だとたぬきは思っている。
衣類ならばリサイクルショップにでも行けば、最悪1000円くらいで全身をまとうくらいのものを購入できる。知り合いがいればなんならもらうことだってできる。
食だって、現代の日本で餓死するようなことになるまではそうそうないだろう。公務員を辞めた翌年、税金が払えず本当に困窮した時に、福祉課みたいなところに相談に行ったことがある。税金は絶対払ってください!・・・とのことだったが、食べるのに困ったらフードバンクがあるので、缶詰とかレトルト食品とかそういうの持ってっていいですよ、というお話だった。
そういう福祉に頼らなくても、外食で言えば牛丼とか、スーパーで食材を買うにしても安くて栄養価の高い食品を工夫次第では購入することができる。今後どういった時代になるか分からないが、今のところ食糧に関しては自給自足をしなくても、安く購入できる仕組みが整っているわけだ。
要は日雇い労働とかの収入でも衣食に関しては安心して手に入れることができるわけだ。
ところが住居に関しては、それこそ漫画喫茶とかドヤ街などに安く寝泊りすることはできても、平穏の地にはなりえない。その日の宿泊費が払えなかったら退去せざるをえないからだ。
感覚的に日雇い労働で8000円の手取りを得た場合、その全額を衣類に投入すれば丸1年困らない暮らしができるだろう。
食材を購入した場合はたぶん2週間くらいは手堅い。主食が2週間で2000円。副菜が週に3000円の2週で6000円あれば十分だろう。
「衣」に関しては1ヒヤトイロウドウで1年。「食」に関しては24ヒヤトイロウドウで1年過ごすことができるのだ。そう考えると、この漠然とした将来の不安とかも結構和らぐ。いくら躁鬱病で寝たきりと言えども、年に30日弱なら頑張って働けそうである。一安心である。
そう。ただし、「衣食」に関しては、だ。
たぬきは言いたい。建築というものを食い扶持にするような勉強をしていたのに、言いたい。「家って高くね?」と。
設計事務所は建築費の1割強をもらうような仕組みである。不動産仲介業者は土地の売買価格の6%くらいをもらう。
いくら地方のど田舎に家を建てるとしても、土地は300万円くらい、建物は1000万くらいは最低かかるだろう。(一般的な住居を建てる場合)
もろもろの登記代やら手数料やら保証金やらを鑑みると1500万円はかかる。これは地方のど田舎に、安普請の家を建てた場合だ。
利便性の高い地方の中心部にそれなりの建物を建てる場合だと土地値が1000万円以上、建物が2000万円~3000万円はくだらない。合計4000万円である。
日雇い労働換算をしてみよう。1500万円の家を手に入れるには1875ヒヤトイロウドウ。4000万円の家を手に入れるなら5000ヒヤトイロウドウが必要になる。
よく、住宅ローンを組む場合、現在の返済の比率は手取りの20%に抑えるのがタイヘンよろしいと言われている。
のこりの80%は衣食などの生活費に必要だからである。
となると家を買うのには20%×5=100%で5倍の期間が必要になることになる。
5倍してみよう。1875×5=9375ヒヤトイロウドウ。365日で割ると25年強である。25年休みなく働いて家を購入できるわけだ。
これは日雇い労働換算した場合であるから、企業に勤めていたり、公務員だったりした場合はそんな期間は必要ない。
だけれど、「衣食」と比べたら「住」は手に入れるのに膨大な資金が必要になることが分かっていただければいい。
たぬきは超疑問である。たぬきも躁状態の時に家を買っちゃった身なので偉そうなことは言えないが、35年ローンをこつこつ返していくなんて信じられないことである。
関係ないかもしれないけど、縄文人や弥生人がそんなにお金(その時は労力だったかもしれない)と時間をかけて家を建てるか!?ふつう!・・・ということである。
「衣」は1年で8000円。「食」は1年で20万円。てなところを考えると、「住」でかかるいいバランスは丸ひと月の労働で得られる賃金程度。8000円×30日で24万円くらいがいい所である。
お金を労働とか時間で換算するとひと月くらいしかどう考えても時間を割くことができないだろう。ここはひとつ縄文人だと考えると、他に衣類を作ったりしなくちゃいけないし、狩りとかして食糧を調達しなくちゃいけないんだから。
もうこれは24万円で家を建てなければならない。絶対24万円で家を建てるべきである。たぬきは鼻息を荒くして叫ぶ。
ただ、これは1年単位の生活を見越した金額なので、10年持たせる家を建てるなら10倍して240万円の家を建ててもいい。
「3年ローンがいいところだろう!」なんて前述もしたので、ローンで考える場合は8000円で月20日働いたうちの20%を返済に充てると計算して、115万円程度の家である。
とにかく時間を対価にした収入で割ける金額はこのくらいがいいバランスだろう。35年のスパンで物事を考えるなんて常軌を逸している。(日給が8000円より高い人はその分の比率を掛けた金額がせいぜいである)
たぬきはそんなことを公務員時代からうっすらと考え続けていた。
そんなタイミングで期せずして小屋ブームみたいなのが特定のジャンルの人に流行り出して、たぬきも興味を持った。
基本はセルフビルドなんだけれども、240万円くらいあれば10年以上十分使えるような家なんて簡単に建てられそうである。
なるほど、なるほど。
でも、たぬきはそれでも不安であった。240万って別に安い金額じゃない。もっと限界に挑戦したい。
たぬきはこの時も「躁」のゾーンに突入したのである。
結論で言えばたぬきは5000円で寝泊りできる小屋を建てた。場所は小屋建ててもいいよ!と言われた人の土地に建てた。無料だ。
5000円なんて嘘だろう!と思うかもしれないが本当である。
材料代を挙げる。トタン1000円×3枚。釘300円。トンカチ100円。のこぎり100円。麻紐1500円。これだけである。(今は建材価格が上がっているので5000円は無理かもしれないが、1万円あれば絶対建てられる)
建て方を簡単に説明しよう。
構造材は竹である。竹は繁茂して山を持っている家なら結構困っている植物だ。なので、そんな持ち主に交渉して太さ3センチくらいの竹を数百本もらってきた。それを格子状に麻ひもで縛りながら骨格を作って行く。
骨格ができたら、トタン3枚を屋根にすればもう雨を防ぐことができる。
ただ、この状態では牢屋みたいな感じである。
そこで、その辺の土に水と雑草を混ぜ、それを土壁にして、格子状の壁に塗りたくっていく。
完成だ。
3畳くらいの小屋が出来上がった。金額にして5000円。労働時間は毎日数時間を2週間くらいかけて作った。雨風を防ぐには十分な建物である。
この小屋は数年たった今でも健在である。
その後、たぬきはお決まりのように寝たきりの鬱期に突入したが、たぬきは常に衣食住の安寧を求めてきたのは間違いない。
躁の時の異常な行動力のなせる技であり、その後の鬱期の苦しみがあったといっても、ミシン、畑、小屋と「衣食住」の限界に挑戦したことはそれなりに糧になっている。
最悪、その辺の山奥に不法侵入して、その場に合った材料で小屋を作って、畑でもやればなんとか生きていけるかな・・・という妙な自信がついたからだ。
躁鬱人は漠然とした不安といつも戦っている。
そのうちの何割かは働けなくて食うのに困る、働けなくて住むところに困る・・・と言った「衣食住」に関することではないだろうか。
たぬきは(今元気だから)言う。
「常識を捨て去れば案外、お金も時間も労力も掛けずに生きていけますよ。」と。
これは鬱期の自分にも言ってあげたい言葉である。
今回はたぬきの考える「衣食住」の限界について話してみた。
ではでは。
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