【補助金と計画】地域公共交通に「創意工夫」と「効率化」をどう求めるべきか?
1.地域公共交通政策と公的補助(いわゆる赤字補助)の概要
日本の地域公共交通は基本的に、独立採算の民間事業として実施されています。(公営交通も民間と同じ交通事業として許可を受けて実施されます。)
つまり、公共交通は基本的に受益者負担として、利用者の運賃で賄える範囲の質と量のサービスが供給されるということです。
ただし、地方部などにおいて、「利用者が少ないけれど、人が生活している以上、公共交通を維持すべき」という地域もあるので、運賃では賄いきれない部分(サービス供給のコストと運賃収入の差額=「赤字」)を行政が補填すること、いわゆる「赤字補助」も行われています。
公共交通は、多くの場合、複数の路線やサービスがまとまってひとつの事業者が運営していることが多く見られます。そうした事業者単位・ネットワーク単位の全体を見ると、一部に赤字となる路線があっても、全体としては黒字になっているということで、赤字の補填は、事業者の内部で賄ってしまうこともよくありました。黒字路線の収入の一部で赤字を補填してしまう、いわゆる「内部補助」と呼ばれるものです。
かつては行政もこうした内部補助を当て込んで、赤字路線を支えてくれる黒字路線の収入を守るため、公共交通への新規参入を制限し、事業者を保護する形式の業行政が行われていました。行政の赤字補助も、事業者の「内部補助」を踏まえた上でそれでも赤字になったところに投入される、という考え方で、事業者単位の補助でした。
しかし、2000年代に、規制緩和・自由化によって産業を効率化しようという流れの中で、日本の交通事業にも競争原理が持ち込まれます。新規参入は路線単位で自由になり、黒字になっている路線があれば、そこに新規参入が生じて競争することが期待されました。
経済学的には、自由競争があれば価格は限界費用まで下がります。つまり、この規制緩和によって地域公共交通の黒字路線では余分な利益が出なくなるはずです。
その代わりに、これまで事業者単位だった赤字補助は路線単位になりました。つまり、事業者が他でどう儲けていようと、その路線自体が赤字ならきちんと行政が補填する、という考え方になったということです。事業者が黒字路線で余分な収入をあげることができなくなったわけですから、事業者の「内部補助」は原則的にあてにはできません。なので、行政が維持すべきと考える路線は、その路線を運行している事業者が他の路線や事業で収益を得ているかどうかに関係なく、その路線の状況にのみ応じて対処されなければならない、ということになったわけです。
2.自由化後の赤字路線補助の現状
さて、上記の経緯からすると、事業者の「内部補助」は消え去り、現在の(行政が維持すべきと考えている)赤字路線はすべて行政による補助金で赤字が補填されているはずです。
が、単刀直入に結論を述べれば、そうなってはいません。行政の赤字補助額は、地域公共交通全体の赤字額には全く足りず、依然として事業者の「内部補助」もあてこむことでようやく支えられている現状にあります。そして交通事業が自由化されて事業者の交通部分の黒字がどんどん減っているため、「内部補助」の原資は、交通事業以外で儲かる観光や不動産業と行った兼業収入にもかなり頼る形になっています。
例えば、山形県の場合、補助する場合に国と県が主体となる広域バス路線に限っても、すべての赤字路線が行政から100%の赤字補填がなされているわけではありませんでした。というか、かなりの路線が、部分的な赤字補填しか受けていなかったり、補助対象の路線ではなかったりしていました。
県内で生活路線のバスを運行する主要なバス事業者二社は、それなりに収益の上がる黒字バス路線も有していますが、そうした黒字路線の合計と行政からの補助金だけでは、赤字路線の損益は埋まりきらず、どちらも路線バス事業はセグメント全体でも赤字を計上していました。そのため、観光や不動産などグループ内で有している他の事業の収益で、路線バス事業の赤字は補填されていました。黒字路線バスの収入と、路線バス以外の兼業事業の収入と、二重の「内部補助」によって地域の公共交通が支えられているという現状は、山形県のみならず、おそらく全国で広く見られる状況でしょう。
国の赤字路線補助の考え方としては、一定の基準でまず補助すべき路線かどうかを判断します。そして、補助すべきとなれば、その路線の赤字額の原則半分を国が補助します。残り半分は原則自治体が補助します(広域の幹線であれば県が、地域の支線(フィーダー)であれば市町村)。そうなると、理論上は、地域が維持すべきと考える路線の赤字は、行政から100%補填されるはずですが…。
そこには二つのハードルがあります。
ひとつは、補助対象となる基準です。広域幹線であれば県庁所在地や病院などの目的地・経由地の性格、支線フィーダーであれば、広域幹線に接続した路線であることや条件不利地域にあることなどが要件になりますが、これに加えて、輸送量や便数といった利用のボリュームも要件にあります。空港などへの直結路線や、ぎりぎり輸送量が達しない路線など、地域が必要と感じても、国の補助対象にならない路線は少なくありません。特に、輸送量の要件は三大都市圏と地方部といった条件を区別しない全国一律の指標であるため、特に地方部では人口減少に伴って、補助対象から落ちる路線が例年のように出てくることになります。
もうひとつは、原則半額を国が補助するという補助額ですが、これも輸送の密度が低いなどの理由で減額補正がかかります。補助対象となるように一定の便数を維持すると、一便当たりの利用者の密度が下がり、補助率が下がる、というのも地方赤字路線によくある悩みです。
こうしたハードルから、地方部の赤字路線の多くには、国は赤字の50%という満額は出してくれないことになり、地方自治体としても国が出し切れないところをなんとか支えようとしつつ、厳しい地方財政の中で支えきれないものが増え、事業者も内部補助で頑張りつつも、耐えきれなくなって、廃止される…ということになります。
3.赤字路線へ「創意工夫」と「効率化」を求めるとどうなるか
さて、こうした赤字補助の現状ですが、一方で財政当局や都市部の一般国民などからは厳しい目が向けられます。民間事業なのに赤字を補填してもらっている現状は、甘えている、もっと創意工夫や効率化をもとめるべき、というものです。こういう台詞には「経済原理」というキーワードもよくセットになります。
では、経済学の原則に従って、「創意工夫」や「効率化」を求めるとどうなるでしょうか?
地方部の赤字路線の構造的な収益悪化原因は、基本的に共通しています。人口減少です。公共交通の運賃には規制がはまっていて自由にあげられないため、人が減れば基本赤字も増えます。
これを「創意工夫」と「効率化」でなんとか赤字を減らそうとするとどうなるか。
コストの縮減です。運転手の人件費は既に地域の平均賃金を大きく下回っていますが、これをさらに削ったりします。無理だった場合減便、そして廃止です。
よく、投資して努力すれば利用が上向きになる、という議論を聞きます。
経済学的には、ほとんどの地方赤字路線には投資しても構造的にリターンが見込めないため、追加的投資は「経済原理」として不合理となります。ビジネスの「創意工夫」は基本的に投資が必要です。何かを考えるだけでも、考える人の人件費という投資が要るので、経済学的に追加的投資が全く不要な「創意工夫」というのはほぼありません…。単純な賃下げみたいなコストカットくらいでしょうか。ちなみに、山形県内では比較的大きな企業である県内主要バス事業者の運転手ですら、その賃金は県内平均賃金を下回るという現状を見て頂ければ、そうした単純コストカットは、既に普遍的に尽くされている(というか、多分やりすぎている)ことはよくおわかりいただけると思います。
というわけで、もし、赤字路線をなんとか経営改善してほしければ、やるべきことは経済学的にはひとつです。改善して欲しい路線を追加的投資に意味があるレベルに儲かる構造にすることです。利用者が増えないのであれば、単価を上げるしかありません。「公共交通として一定のレベルに単価を抑えてほしい」という要求を行政が(地域が)するのであれば、すくなくとも投資のリターンがあるレベルまできちんと行政が(地域が)「儲かる」レベルに公的資金なり地域のファンドなりを投入すると示さなければなりません。例え、100%赤字が補填されたとしても、投資を「追加」するための経済的インセンティブにはなりません。せめてセグメント全体ででも(最低限投資資金の利率を上回る程度の)儲けが出ていないと追加的投資=創意工夫=経営改善は果たされないのです。
「内部補助」があるじゃないか、という声もあります。
でも、まず、2000年代の自由化以降、現在の制度は、「内部補助」はあてにしない、という構造になっていることは認識されるべきでしょう。
もちろん、制度とは別に事業者側の経済的な理屈で内部補助が正当化されることはあります。というか、正当化されるからこそ、現在も内部補助が広く行われているわけです。
過去に一般的だった(現在でも一部地域では通用しますが)「内部補助」の経済的インセンティブは、公共交通事業がその事業者の兼業事業の儲けを支えるインフラとなっている場合です。観光地を経営する事業者が、そこにお客を届けるために運行する観光客向けバス路線はその典型です。日本的な典型例としては大都市圏の大手私鉄がビジネスモデルとした沿線不動産開発モデルもそうです。自社が開発する土地に沿って通勤や通学需要に応える鉄道やバス路線を用意し、沿線不動産価値を維持・向上させるというモデルで、公共交通の方が多少赤字になろうとも、それによって上がる不動産開発収益が大きければ、ビジネスとして全く問題ないわけです。
ただし、人口減少局面に入ったほとんどの地方では沿線不動産開発一体型のビジネスモデルは維持できませんし、比較的今も通用する観光路線モデルも、もちろん、一定規模の観光地が無いところには適用できません。赤字路線の大部分である地方部生活交通路線にはこうしたポジティブな内部補助の正当化理由はあてはまらないのです。
そういった生活交通路線が、「内部補助」で維持されているのはなぜでしょうか。
経済学的には、「レピュテーションリスク」または「負の広告効果」という形で説明が付きます。地方の赤字路線を維持しているのは、たいていの場合、その土地の名士的な交通事業者です。路線バス以外にも様々な地域ビジネスをやっているところも多くあります。そういった事業者にとって「赤字路線を見捨てた」というのは、その土地における事業者の評判を大きく傷つけます。そうした「評判」を落とさないためのネガティブな広告宣伝費用として内部補助を行う意味が経済学的にもあるのでしょう。逆に言えば、廃止・撤退する大義名分ができた瞬間に、そうした路線はあっさり終わります。国の補助対象から外れたり、自治体が財政負担に耐えかねて補助を減額したりするタイミングはそのひとつです。また、今回のコロナ禍はその意味では誰はばかることない大義名分になってしまいました。コロナ禍で「交通崩壊」のリスクが叫ばれるのは、このためです。「交通だけじゃなく他の産業も辛いんだ」という声もよく聞かれますが、地域公共交通はコロナ禍の前からほんの少し背中を押されたら崖の上から真っ逆さまという状況にあり、コロナ禍は崖下に突き落とす最後の一押しとして十分過ぎるほど強力な一撃なのだ、ということは認識して頂きたいところです。
4.「輸送資源の総動員」はどう捉えるべきか
ちょっと閑話休題して、「創意工夫」や「効率化」という文脈でよく使われるようになった地域公共交通の最近のキーワード、「輸送資源の総動員」についてはどう考えるべきでしょうか。
これは、地域公共交通の赤字を行政が支えきれず、地域の移動手段がどんどん減っていく中で、これまで地域公共交通の文脈からは外れていたスクールバスや病院送迎バス、福祉ボランティアの送迎サービスなども積極的に活用して、地域公共交通の廃止・撤退の穴をカバーしたり、その利便性を補完し、向上させよう、というものです。概念自体はとても素晴らしいものだと思います。
ただ、「公共交通」がなぜ、これまで国の許可の要る事業だったのか、という理由はきちんと考えた上で扱わないと危ない概念でもあるな、と思ってます。それは、ひいては、なぜ行政がそうした公共交通に補助をしてきたのか、今もしているのか、ということをきちんと考えておくべきということでもあります。
それは、公共交通が、国の許可を得なければ行えない事業であり、また、民営事業であっても公的な補助金を投入される事業であったのは、それが「公共インフラとしての交通」だったからです。具体的には、以下のふたつの特徴があったからだと思います。
・安全性がきちんと保証されている(安全規制)
・誰もが差別無く使えることが保証されている(一定の運賃・バリアフリー義務・運送引受義務(基本的にお客を断れない)等の規制)
「輸送資源の総動員」を語るとき、こうした公共交通が公共交通であるポイントに欠けている移動手段を公共交通の代替とするということ(そして、それによって地域から公共交通を失わせて良いのかということ)はきちんと考えながら議論すべきです。「自助・共助・公助」のバランスは、人によって地域によってもちろん変わり得るものですが、地域公共交通は、一定の地域や一定の人々にとっては、生活保護のようなものと同様に「公助」でなければならない領域があるのだということ、それを補完し、サポートする存在としての「自助・共助」としてのその他資源の動員なのだ、という原則は常に頭に入れておかねば、「輸送資源の総動員」が「公共交通」を切り捨てる体のいい理屈として使われてしまいかねません。そうなると、「公共交通を守りたい側」と「多様な輸送資源を柔軟に活用したい側」で不毛な対立を引き起こしてしまいます。個人的には、この対立の原因はその両者いずれでもなく、その対立の外側にいて、きちんと公共交通に対して負担をせず、いかにその負担を縮小するかしか考えていない人々なのではないかと常々思うところです…。
5.山形県地域公共交通政策へどう反映したか
さて、こうした現状認識のもとで、山形県内の地域公共交通をどう支えるべきか。
まず、大原則は、「内部補助」を前提とはしないで、可能な限りゼロにするということです。
もし、内部補助する余力が事業者にあるなら、それは公共交通の利便性向上のための追加的投資に使ってもらえる貴重な「儲け」です。ただでさえ、地方部でも特にマイカー依存が激しく、公共交通の利便性ではワーストに近い地域です。その改善のために使うべき事業者の収益を、年々の赤字路線の補填に費消してしまうのは極力避けることが肝要です。
もちろん、ポジティブな「内部補助」は、前述のような観光路線や不動産開発のための赤字路線といった部分にはあり得るものです。ただ、山形県はマイカー依存が激しく、有望な未開発地が多いわけでもありませんし、観光もニーズが多様化し、観光路線を引きやすい大規模なニーズは少なくなる一方です。
なので、地域が必要だと認識した路線については、路線赤字を原則100%行政で補填できるようにしなければならない、それが、山形県の公共交通の「創意工夫」と「効率化」に向けた一丁目一番地と考えました。
5-1.「内部補助」の可視化
第一歩として、まずは県内事業者の内部補助の現状を可視化することとしました。公共交通の計画で域内交通事業の収支の総計が算出されることはよくありますが、複数の事業者をとりまとめた収支計は内部補助の現状を正確には表しません。というのは、事業者間ではその収益の融通はできないからです。例えば、観光路線しか持たないバス会社と生活交通を多数抱えるバス会社があり、前者の黒字が大きくて、両社の合計として算出された地域内の路線バス収支は黒字です、となる場合があります。この場合は、生活交通を多数抱えるバス会社の路線バス事業の赤字に、観光路線しか持たないバス会社の黒字を充当することはできませんから、路線バスのセグメント外部から内部補助されている現状が見えなくなってしまいます。
山形県の公共交通計画では、県内の各種交通事業全体の収支を示すとともに、特に生活交通を多く抱える主要バス二社については、個社ごとの乗合バス事業の収支構造を記載しました。この結果、両社ともに、乗合バス事業の外から内部補助を受けている実態が、その金額とともに可視化されることとなりました。
そうした内部補助の金額すべてを行政の赤字補助という形で補填すべき、というわけではありません。たとえば、公共交通で恩恵を受ける施設が支援金を出したり、利用者以外の住民も含めた地域全体の負担金を割り当てたり、県内でも赤字補助以外でも地域の様々な取組がみられます。また、もしかしたら交通事業者側にも少ないながらも「内部補助」を正当化する宣伝経費なり何らかの理屈があるかもしれません。「内部補助」を可視化することで、それが本当に事業者単独で負担すべきものなのか、行政の赤字補助+地域の様々な負担という形で地域で負うべきものではないのか、その議論のベースになると考えたからです。
5-2.「内部補助」の補填:地域の責任と国庫補助の活用
行政の補助を積み増す、ということになったとき、理想は、その公共交通が公的負担に見合うかどうかを判断できる沿線自治体が補助することです。しかし、自治体だけの決意で内部補助を埋め切る補助金の増額を達成することは理想論に過ぎます。山形県の財政も、県内市町村の財政も、さらなる大幅な補助の積み増しをできるほどの余裕はとてもありません。そのため、地域が十全の負担をするリソースを生み出すために、まずは地域の外部のリソースをきちんと使い切ることが大事になります。すなわち、国の補助金・交付金をしっかり活用しつつ、足りない分に絞って効果的に自治体予算を投入する、ということです。国庫補助は制度が複雑なこともあり、市町村によっては使えるはずの補助金を申請していなかったり、より単純な県の支援で補填できれば良しとしたり、ということも散見されました。そのため、まず、県内地域公共交通の路線別のデータを精査し、国庫補助の活用可能性を丁寧に市町村にアドバイスするとともに、県から県内市町村へ公共交通に関する支援を支出する際には、県の支援があるから国の補助を使わなくてもいいか、ということにならないよう、活用可能な国庫補助を十分に申請しているかチェックする仕組みも導入しています。
その一方で、本来は地域公共交通の実態を見て負担すべきはその地域であるべきですから、単に国からお金を引き出して終わり、としてはなりません。また、国の補助制度は緊縮財政という圧力もあって頻繁に変更されてきました。今後も現在の国補助が続くかどうかは不安定な状況の中です。地域として、「事業者の内部補助に頼らずに行政が地域の路線に責任を持つ」ということはしっかり認識し、沿線自治体としての覚悟を持つ必要があります。このため、少なくとも、県が補助対象として直接手出し・口出しできる広域幹線については、それを本当に地域が必要とする路線なのか沿線市町村に聴取した上で、国庫補助対象から落ちたときは沿線自治体が財政措置も含めて必要な検討・措置をする役割があることを地域の計画に明記しました。
5-3.データ政策との連携:経営データのクローズドな公開
県計画の大きな柱の一つであるオープンデータ政策もこの補助政策と無関係ではありません。オープンデータというと時刻表やルートのような情報の共有・公開というイメージですが、県計画のオープンデータ政策はそうした公開データのみならず、「クローズド二次利用」という形でのデータ共有も実施することとしました。これは、交通事業者の経営情報など単純な公開には差し障りのある機微な情報を、県や市町村などの関係者を限って共有するというものです。
なんとなく大丈夫そうに見える民間事業者の「内部補助」をよくわからずに頼ってしまうことは危険ですが、一方で実際に大丈夫な事業者の言うがままに公的補助を突っ込むのもまた税金の使い道として戒めなければいけません。「内部補助」を可視化し、事業者の負担を地域になるべく移していく、という政策を実施する上では、同時にその事業者の経営状態を地域に対してきちんと透明化する必要があります。少なくとも、公務員としての守秘義務を負っている県・市町村に対しては、「事業者内部の経営情報だから教えられません」という言い訳で隠し事はできませんよ、ということを計画スキームで仕込みました。
5-4.収益向上のための仕組みの整備:単価上昇=運賃値上げの許容と協議運賃の活用
加えて、路線赤字が構造化してしまっている原因のもうひとつは人口減少下で客が減っても単価が上げられないということです。
そのため、路線毎に適正な値付けができるように、法律で特権が与えられた法定の協議会のスキームを活用し、「地域協議運賃」を幅広く導入しました。加えて、事業者に対しては、「県としては、単純な値下げが県民の利益だとは考えない。コロナ禍であったり、あるいは賃金の上昇であったり、原油価格であったり、さまざまな事情でコストがあがったとき、きちんとした値上げをして、路線収益を維持することは、結果的に公共交通の維持につながるので、値上げがむしろ県民利益になることもある」という認識を繰り返し伝えました。県庁担当者が正面から「一定の運賃上昇は許容する」というスタンスを明確にしたことは、ちょっと珍しいことかもしれませんが、都合の良い要望を繰り返すばかりの担当者ではない、と交通事業者から認識してもらい、その協力を得るという観点でも少しは効果があったのではと思います。また、地域協議運賃は、沿線市町村も合意した運賃ですので、地域として「そんな運賃なら使わない」というレベルまで高騰してしまうことは防げます。地域のインフラとして許容できるレベルの運賃ぎりぎりまでは単価を上げられる自由度を確保する、という考え方で、この「地域協議運賃」の制度の積極活用を図ることとしました。
5-5.コロナ禍への応用
コロナ禍の支援もこうした考え方の延長線上にありました。
コロナ禍が事業者の撤退の大義名分としてうってつけのものになってしまう、ということも前述のとおりです。そのため、そうした「大義名分」を潰すため、コロナ禍によって生じた追加的な赤字は可能な限り、支援し、補填する、ということが大原則になりました。もちろん、自治体財政はコロナ禍でむしろ厳しくなっていますから、国の臨時交付金を活用できる限り活用する、という方針で、ですが。
5-6.隠れた課題:タクシー事業への対応
なお、ここまでの話は、基本的に路線バスが中心になります。が、県内交通事業の収支を可視化する中で、もうひとつ危機感を覚えたのは、タクシー事業の状況でした。
県内タクシー事業の収支率は90%前後。バスに比べれば非常に高い収益性がある、ように見えます。
ただ、バスと違って、乗用タクシーには赤字補助はありません。R1年度の山形県内の路線バス事業を合算するとお公的補助で埋め切れていない赤字は事業費全体の1.4%。これが路線バス事業全体としての粗々の「内部補助」の割合です。山形県内の同年度の乗用タクシーの合算の収支率は、87.1%。公的補助がゼロなので「内部補助」の割合は12.9%と、実はバス事業よりひどい内部補助の状態にあります。
国の補助制度が全くないため、自治体としてバスと同程度の補助制度を作ることはさすがに無理ですが、まずは乗用タクシーへの地域公共交通への補助を出せる仕組みを作ろうと、市町村が乗用タクシーの運賃を割り引くことで地域住民の日常移動に使ってもらうという事業へ県から支援できる制度改正を行いました。また、国に対してもタクシー補助制度の要望を実施し、こちらも小規模ながら無事に実現したので、市町村に積極的に広報し、無事に初年度の補助対象として山形県から2例手が上がっています。
5-7.輸送資源の総動員の前提:なるべく幅広く、しかし、主役と補完の関係は明確に
「輸送資源の総動員」については、本県も既存公共交通では手が回らない範囲が多いので、とにかく幅広く、「公共交通」のみならず、「移動」全般に書き込む、という方針で書ける限りのモードを記載していきました。スクールバスや、病院送迎、旅館送迎などの施設送迎はもちろん、福祉有償運送、許可登録を要しないボランティア運送、さらには、レンタカーや運転代行業、そして、自転車…。
ただ、大原則もきちんと書き込みました。特に、自治体が実施する白ナンバー輸送を念頭に、「プロフェッショナルである交通事業者のサービスが縮小する中で交通事業の専門ではない自治体が補完している」という現状認識を明記してあります。自治体によっては「プロじゃない」と言われることに戸惑いもちょっと見られたのですが、しかし、白ナンバーの輸送というのは、本来の公共交通ができるのであればそちらのサービスで実施すべきっという大前提はきちんと意識してもらった上でないと「輸送資源の総動員」が変な使われ方をしてしまう、という危惧があったため、ここは計画に記載する文言として大事にしたところです。
5-8.目標値設定:収支率は目標化すべきか?
その他に、細かなところでは、「創意工夫」や「効率化」が、「きちんとした補助金で事業者の投資余力を育て、利便性を向上させて収入を増やす」となるインセンティブを逆側から支えるために、つまり、安易な賃下げのようなコストカットに走らないように、県の計画でふたつこだわった記載があります。
ひとつはコストカットの対象にされやすい人件費で、鉄道・バスなどの公共交通従事者の平均賃金や年齢を記載し、県内全産業平均と比較してより厳しい実態にあることを明示しています。
また、もうひとつは、交通事業の収支率それ自体は計画の目標値とはしない、としたことです。特に、公共交通の計画における収支率の目標値設定は、赤字補助を減らしたいという動機から求められることが多く、赤字補助投入前の事業収支率をいかに改善するか、という計画が多くあります。これまで述べたように、公共交通が構造的に赤字にある現状で単純に収支改善を求めれば、路線の縮小・廃止か無理なコストカットくらいしか選択肢がありません。もし、収支率を目標にするなら、補助金が投入された後の収支率にすべきだし、そもそも運転手賃金などが如実に低くなっている現状を鑑みれば、これ以上コストカット圧力を公共交通に課すのはどうなのか、という思いがあり、国土交通省のガイドライン上は「標準」とされている収支率については、目標値とはしないこととしてあります。(いきなり削除すると何かのミスかと思われるので、参考値として記載しつつ、目標値にはしない理由を併記してあります。)
まとめと補足
もちろん、山形県地域公共交通計画は、県・市町村・事業者・国等多数の関係者で合意し、策定されたものであり、その意味で、計画に記載された文章がすべてです。ここで書き連ねた背景事情は、あくまで、そのアクターのひとつである県の交通政策担当者が、どういう思いで、計画策定業務に携わっていたのか、という参考情報でしかありません。また、既に、小職も交通政策課長の職を後任に引き継いでいる身ですので、県・交通政策としてのタイムリーな解釈でもありません。
ともあれ、最近、あちらこちらで「ちょっと変わった計画」と言われる山形県地域公共交通計画が、どういう思いで作られていったのか、というご参考までに、乱筆失礼しました。
参考1:山形県地域公共交通計画
参考2:山形県公共交通関連情報共有基盤(やまがた公共交通オープンデータプラットフォーム)
計画の他、計画の策定・修正を議論する協議会の資料や議事、公共交通関連のオープンデータ等を参照できます。
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