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「東大生 VS 川島素晴 feat. 国立音大生」をふりかえる①当日までの私的な記録

3月7日に開催された、東京大学文理融合ゼミナール成果発表演奏会「東大生 VS 川島素晴 feat. 国立音大生」が無事(どちらかといえば「有事」と呼ぶべきかもしれません)幕を閉じました。当日は平日昼間にもかかわらず約40名のお客様にご来場いただきました。ありがとうございます。そして何と言っても国音生のお力添えなくしてはこの企画は成立しませんでした。本当に感謝しています。ありがとうございました。
私はこの演奏会の事実上の運営責任者でした。こういう仕事ははじめてでしたので、今はすごくほっとしています。そろそろ無気力状態(=「ロス」)になりそうなので、はやいうちに総括しておきます(とここを書いたのは3月9日のこと。気づいたら4月になっちゃってた。ほんとに怠惰でだめだ)。
三回にわけて掲載します。その①です。これは、授業から当日までの記録を個人的にしたものなので、面白くないかもしれません。どちらかと言えば②や③を読んでほしいです。

 

マスプロ大学と、それに対抗する芸術実践

私は今学期、4つの授業のTAを掛け持ちしていた。すべて前期課程生向けの音楽系の授業で、そのうち3つは芸術実践の授業(非・座学)である。大学の教員や院生にそのことを話すとみな一様に驚くので、おそらく最多記録に近いのではないかと思われる。4つ掛け持ちすると本学内で可能な労働時間がほとんど埋まってしまうので、少なくとも現在の規定においては本学の最多記録とみられる。

別に名誉な記録ではない。私が優秀だったからTAに抜擢されたということでは決してありえず、ただ本学における数少ない音楽系院生で、暇そうで、この授業群の担当が僕の指導教員だっただけだ。それでも、結果的にTAは何よりも勉強になった。もちろん難しい本を講読して、ディスカッションして、プレゼンして、論文を書いて……というのももちろん勉強にはなるのだけれど、それだけをしていると絶対に気づくことのできないことがあるのだということを認識させてくれるのがTAとして参加する授業であった。

じつは、川島先生の授業に関しては、本来TAを担当する予定がなかった。ところが、TAを担当する予定だった院生(友人)が急遽参加できなくなり、かわりに私が担当することにした。メールボックスを確認したら、第一回授業の前々日のことだった。その友人にはすごく謝られたが、むしろこっちがごめんなさいという感じ……。ちなみに、演奏会に来てくれた。川島先生の授業に関しては受講するつもりでいた(単位は取れないので「聴講」という形になるが)ので、問題はなかった。

川島素晴という作曲家についてはよく知っていたし、演奏会にも何度か行ったことがあった。川島先生の作曲における関心事と、私の大学院生としての問題設定はきわめて近いところにある。というか、川島作品を見てそういう研究をしたいと思った側面もあるほどで、実際は卵と鶏の関係なのだが。

そういうわけで4つのTAを掛け持ちしてみて分かったことがある。それは、「前期課程には面白い人がいっぱいいるのに、それを発揮する機会が大学にはほとんどない」ということだ。大学という組織はそのことをもう少し考えたほうがよい。川島授業についても、私を除いて7名の学生が月曜1限(8:30)にやってきて、2週に一度の作曲を欠かすことなくやってくるのである。あまりに多い必修の授業をみんなで履修することで同じような能力を獲得してしまうマスプロ体制の現状は酷すぎると言うべきものだ。量産型東大生を生産しつづけて何をしようというのか。別にこのような授業ばかりにせよと主張しているのではないが、これらの授業の多くが民間からの寄付によって成り立っており、その予算の有無によって左右されるような不安定な現状について、私は憂慮しているだけだ。現代音楽/実験音楽など学生がやったところで社会の役には立たないし必要ないだろうと考えるなら、大学なんて存在しない方がましだ。

朝8時半の現代音楽

いまやUTOL(ユートルと読むのかな?)と改名されてしまったLMS(学習管理システム)を見ながら、簡単に授業内容を振り返っておく。およそ既存の楽曲を演奏する週と、その技法にもとづいて作曲実践しそれを演奏する週が交互に組まれていた。

既存の楽曲については、①ミニマル音楽(テリー・ライリー《in C》)、②特殊奏法(ヘルムート・ラッヘンマン《ギロ》など)、③偶然性・不確定性(ジョン・ケージ《Branches》)、④アルゴリズム(三輪眞弘《またりさま》)、⑤テキストスコア(フルクサス・パフォーマンス・ワークブックからいろいろ)、⑥発話と音楽(湯浅譲二《呼びかわし》)、⑦身体(川島素晴《顔の音楽》)といったところ。一回の授業で二つの題材を行うこともあった。

学生に課された作曲課題は①ミニマル音楽、②特殊奏法、③テキストスコア、④最終提出作品の全四回である。単純計算で4回×8名=32作がここから生まれたこととなる。実際にはテキストスコアなど数作品提出して人ももちろんおり(私も全部で8作品くらいは作ったのではないだろうか)、それ以上ということになる。

この授業の進行は良いか悪いか、ミニマル音楽からはじまった。これが力作ぞろい。性質上、五線記譜法がメインとなり、また(テキストスコアなどと異なり)手抜きしにくいということもあっただろう。そのような事情を抜きにしても、充実した授業になることが予感された。この日(つまり第三回授業にして)すでに、川島先生から成果発表会を開催できないだろうかという提案を受けた。

結局、授業に参加していた(私含めて)8名はだれ一人欠けることなく最終授業まで参加を続けた(必修でない1限の授業では異例のことでは?)。そして、年明けごろに成果発表会を開催する方針を授業内で固め、国立音大の学生にも声を掛けてもらうことにした(きわめて軽率に)。そうしたら信じ難いことに東大側の履修者を優に超える10名以上の学生が作曲科を中心に手を挙げてくださり、想定していない大所帯となった。人数が多くなるのはいろいろな困難が増えるはずでもあるのだが、国音側の方々の練習参加率は極めて高く(東大側より高かったよな…)、本当にありがたかった。

最終授業を利用して曲目を決定した。東大生が作曲したものを一人につき基本一作品と、既存曲を複数という構成を決めた。既存曲は、国音の方が多く参加してくださる利を生かして《in C》をやることに決め、それから(おそらく練習が大変な《またりさま》や《呼びかわし》が忌避された結果だったと思う、何しろ練習する時間がそれほどとれないことが分かっていたので)《Branches》が選出された。フルクサスからは授業内で大盛り上がりだったBozziの《Choice 12》が全会一致のような形で決まり、ついでに《Boundary Music》をどこかで挟もうか、といった議論がなされた。東大と国音で一日2公演という案も(なぜか)出されたが立ち消えになった。今考えてみると厳しかったと思う。

音楽大学と総合大学、であう

練習は全4回で組まれた。2月19日と29日は国立音大で、3月4日と5日は東大で。私を含めて東大生は国音のホテルみたいに立派な施設に浮足立ち、国音生も東大の敷地の広さと学食のレパートリーに喜んでいた(はず)。少ない練習のなかでも、国音・東大関係なく作品に対して忌憚ない改善案が飛び交い、作品によっては初練習から当日までの間に大きく様変わりしたものもあった。川島先生も嘘か真か「東大生と音大生を引き合わせることによる相乗効果は想像以上のものがあり、リハーサルを通じて作品も演奏もブラッシュアップされていく様は、これまでに私が経験してきた音楽作りとも一味違った独特な時間であった」などと書いている。

本番1週間前くらいになるとやらなければいけない主に事務的な仕事もかさんできて、私としては稀有なことに睡眠不足の状態に陥った(普段は期末レポート提出期限直前ぐらいのもんよ)。それでも、出演者がさまざまな形で協力してくれたことにより(国音生側の取りまとめをやってくださった山田さん、各曲のセッティング図を作成してくださった山本さん、チラシを作ってくれた若林さんには非常に助かった)、うまく事は運んだ。そして何よりも、この企画が楽しすぎた私は、通常なら心が折れかけるような事務仕事(とくに大学当局との折衝は面倒すぎた)でさえも楽しい気がしていた。

 3月7日。当日を迎えた。最終の練習(この時点では予約が約20名だった)では30名ほどの観客を見込んで舞台を考えたが、当日までに40名を超える予約をいただき、会場の音楽実習室は満席となった(通常のコンサートでは100名の観客を入れることのできる会場だが、《in C》のように20名が同時に乗るような曲目があることから40名はかなり限界だった)。

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