お盆に思うこと 〜なぜ祖父母の家を「おじいちゃんち」ではなく「おばあちゃんち」と言ってしまうのか〜

私の仮説

 そもそもこの前提(祖父母の家に行くことを「おばあちゃんちに行く」と行ってしまうこと)についてのサンプル数が少ない。私と私の夫は、祖父母が存命の時にも「おばあちゃんち」と言っていた。
 私の仮説は、家の中における「おばあちゃん」のプレゼンスが高いからである、ということ。なにかお願いしたときに真っ先に動いてくれるのはおばあちゃんであり、おじいちゃんは(言い方が悪いが)役に立たないことが多かったためではないか?

「家のこと」をするのがおばあちゃん

 父親が家の外(主に会社勤めの場合)で賃金労働し、帰宅も夜遅くて家の中の事(主に家事や子育て)は母親が担うという家族の場合、休日しか父親は家におらず、どこに何があるのかなどの配置や家の中の情報は当然母親が把握しがちとなるため、それがおじいちゃん・おばあちゃんとなったときまで引き継がれるからではないか。先の私の仮説は、この理由によって導かれている。

「庭のことしがち」なのがおじいちゃん

 翻って、父親の役割を担っていて「おじいちゃん」となった場合、なぜか定年後「庭のことしがち」というのもなぜだろうか。これまたN数が少ないのだが、先日義実家に帰省した際、仕事人間だった義理の父が定年後急に庭に植わっているブルーベリーとレモンの木の世話を繁々と行っている、と聞いた。私の父方の祖父もよく庭の手入れをしていて、花以外にも桃やブドウの木の手入れをしていた。概して人間というのは時間があると植物を育てたくなるのかもしれない。

名実ともに「おばあちゃんち」になる確率が高い

 ただ、自分の母方の祖母の家に行く際は、母方の祖父が早くに亡くなっていたため、名実ともに「おばあちゃんち」であった。統計学的にも女性の方が長生きする、ということもあるし、一般的には確率的にも「おばあちゃんち」になる可能性が高いこともあるのかもしれない。

家におけるプレゼンスとは

 とにかく、先の仮説には(先述の通り)N数が圧倒的に少ない。もしかすると「おじいちゃん」のプレゼンスが高いお宅では、「おじいちゃんち」が優勢なのかもしれない…。
 兎にも角にも、家の中で誰のプレゼンス(存在感)が強いか、というのもなんだか変な話だ。夫婦で構成されている家だと仮定したら、双方が対等で平等の存在のはずだ。
 我が子等には祖父母の家のことを「おじいちゃんとおばあちゃんち」と、長いけれどそのように伝えるようにしている。


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