13日め:ちょっとのことでイライラ

フィリピン滞在も残り3日間…

 我々のフィリピン滞在も残すところあと3日となった。洋服の洗濯は後1回したほうが良いだろうか…一度着た服はパッキングのときに嵩が増すので、ランドリーに出したほうがやはり都合が良さそうだ。最後に1回、洗濯物を出そう。

自分に欠けていた「寛容さ」に気づく

 日本から大量に持ち込んでいたお菓子が底をつきそうになったため、朝学校へ行く前にセブンイレブンで小さなお菓子類とジュースを購入しようとなった。朝の通勤前に何かを買おうとする人たちが多少なりともレジ待ちで列をなしていたが、ここはフィリピン。一箇所のレジにズラリと客がいても特に店の人も(客も)急ぐ様子は見られない。
 日本でもしこういう状況が発生したら、まずスタッフ側が他に手が空いたスタッフを呼んでもう一つのレジをすぐに開けるであろう。また先頭の客側としても「後ろにレジ待ちの列が並んでしまってなんだか気まずい」という感じがしていたたまれない気持ちになる気がする(もし私が客側であればそうなる)。詳しくはわからなかったが、先頭の客がなにか複数の注文していたのか、その人で列が止まっている様子だった。
 この状況下で、なぜ「日本的対応」が発生しないのか考えてみた。これはあくまでも私の仮説だが、「皆時間(と心)に余裕があるから」ではないか。時間的余裕は心の余裕に直結する。とにかく日本人は忙しく(そしてそのため短気なのかも)、特に朝の時間帯にコンビニで列をなしていたらイライラする人が出てきそうだ。かくいう私も、学校の開始直前にコンビニに寄ってしまったので時間的に余裕がなく、正直ちょっと苛ついていた。
 「時間に正確であること」は日本人の美徳として形容されている気がするが、「時間の正確さ」はある意味「余白」をなくしていることと同義なのかもしれない。他人を許容する範囲は、およそ自分がこうしているという範疇を他人にも投影している。 「大体このくらいは許容範囲」という寛容さは、つまり「自分もこのくらいやっても許容範囲」と同義だと思うのだ。もちろん、個々人で許容範囲が大きい人もいるし小さい人もいる。だが概して日本人はこの「時間的余裕」が日本人内でかなり狭く設定されているような気がする。
 レジ待ちの時間に、そんな事を考えていた。

本日の朝食・昼食

 朝食はバナナ、パパイヤ、食パン。子ども達は食パンにチョコスプレッドやジャムを塗って食べている。
 末の子は、授業が終わる毎におやつを欲しがり、持参したハイチュウと購入したメントスを食べまくっている。流石に注意したが、教室で騒がれるのも困るのでルールがなし崩しになってしまっている。日本ではあんなにおやつの時間を厳しく制限しているのに…トホホ。
 昼ご飯は、子ども達が事前にメニュー表をチェックして楽しみにしていた「唐揚げ弁当」。子ども達はほぼ完食してしまい、私の分が殆ど残らず…。残りご飯の調整役は辛いよ。

末の子に初めて授業中笑顔が見られる

 午後のレッスンでは、初めて授業中に末の子に笑顔が見られた!これまでいずれの先生とも打ち解けた様子はなかったので、今回担当してくれたMarie先生が気に入ったご様子。先生と折り紙や工作を少しずつだがやってくれるようになった。日々すべてのことが成長なのだ…!

イライラ・焦りはミスに直結する

 学校帰りに末の子のおやつの食べ過ぎを注意したことで子どもが泣き、私のイライラが少しずつ溜まっていった。私の体調もあまり良くなく、午後から少しお腹が痛かった。
 コンドミニアムに戻り、私は腹痛で少しの時間横になって休む。子ども達が「プールに行きたい」と言うので、各自準備させる。今日は私はプールサイドで監視役に徹することにした。
 プール開始の時間が遅くなってしまったので、プールから上る直前に、デリバリーの時間も見計らって夕食のGrab(再びjollibeeのハンバーガーとスパゲッティ)を注文した。だが、こういうときに限って予定より早く商品が届いてしまった。子ども達のシャワーの着替えもそこそこに、急いでラウンジまで商品を取りに行く。ちゃんと落ち着いて1つのことが終わってから次のことをすればよかった…と今更反省。
 自分のイライラや焦りなどの「心の余裕のない状況」はミスに直結するのだ。特に今回のように自分だけで身軽に行動出来ない場合は、なおさらこの点に留意して行動しなければならない。今回学んだ教訓である。
 子ども達は、「jollibeeのバーガーがやっぱ一番うまいかも」などと、フィリピンにおけるハンバーガーのランキングを更新していた。

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