#働くということ6

「お客様視点で」の功罪

 働き方を考えるうえで、「付加価値」について考えた。「付加価値」となること、すなわち金銭を尺度として、価値のあることに対価として金銭をもらうこと、それは「付加価値」となりうる。

 日本は「サービス過剰」と言われるが、それは金銭的対価のない無償の「サービス」であることが問題なのであり、有償の「サービス」であればそれは付加価値となる。

 「顧客目線・お客様目線で考え、できるだけ心地よいサービスを(無償で)提供する」というのは、言葉だけ聞くと正しいように聞こえる。実際、私自身も長い間「お客様第一主義」のような思考を会社の理念として受けとり、その通りに働いてきたところがある。ただし、本来は「(サービスや商品などの)提供者」と「それを受け取る側」が金銭で等式(=)となっているだけ
で、そこにどちらも不等式(<または>)は本来成立しないはずだ。

「お客様の期待を超える」の罪

 全く付加価値のない無償サービスは、「お客様の期待を超えることで他社に差をつけ、自社商品のリピーターになってもらおう」という気持ちがあってのことだ。このサービス(または商品)に納得してこの金銭を払ったのだが、それ以上のサービスが受けられた⇛嬉しい、次も使おう、のような図式だ。ただ、その考え方は本質的におかしいようにも思う。
 結局自分も会社に属し、サービス(あるいは商品)を提供する側でもあり、それと同時に生活者としてサービス(あるいは商品)を受ける側でもあるのだ。確かに「期待を超える」事があると嬉しいが、その反面、その無償サービスを提供している側のことを考えると、それは誰かの長時間労働に加担している事と同義なのだと思うのだ。そのことに気づくと、過剰に「期待を超えたサービス」は望んではいけないし、望むのはおかしいのだ。対価として支払ったものと等価のものを受け取れれば、それで十分なのだから。
 
 「お客様至上主義」を貫くと、無駄に何度もメールや電話での確認のラリーが発生したり、そこまでクリティカルでもないのに、「お客様に早く商品を届けよう」と早く発送しようとしてミスが発生し、結果的に誤りメールを送る羽目になるとか、日々日々「無償の良かれと思ってやったサービス」によって、従業員が長時間労働に苦しめられている。
 「そのサービスって本当にお客様のためになるのか?」と、「そこまでやる必要ない(だってやっても給料変わんない)し、やるならそのサービスは有償にすべきでは?」という疑問が湧く。まずは自分が選択するサービスや商品を、適切な価格で入手するように心がけたい。それは、ひいては自分のためでもあるのだと思う。



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