【5分で読める】父親を憎んでいた学生時代の僕へ。【親と子】
今日は僕の父親について話したくなった。
僕のnoteは自分語りばかりだが、今回の話は多くの人に共感してもらえると思うので長くなるが是非読んでほしい。
単刀直入に、僕は自分の父親が好きとは心から思えない。
好きか嫌いかで言ったら『どちらでもない』としか言えない。『自分の肉親なんだから尊ぶべきじゃないのか?』とみんな思ってることだろう。
事実僕もそうあるべきだと思う。
ただ単に接し方が全くわからないのだ。
おそらく僕の父も。
そこは親子だからね。
僕の父のことを軽〜くプロファイリングしながら想像しながら読んでほしい。
一言で言うと僕の父はズルい人だった。一応大企業と呼ばれるゲーム会社のチームリーダー的な立場だったと聞いている。
それなりに稼いでいても帰りは小学生の僕が寝静まった11時ごろ。
どうやら僕と姉が寝るのを見計らって帰宅してたらしい。それが原因でよく両親が喧嘩をしている声で目が覚めることが多かった。
👵「なんで私ばっかり子供たちの面倒見なきゃいけないの!?あんたは好き勝手ばっかりでいいよね!」
👨🦰「仕方ないだろ、飲みも遊びも付き合いで行かなきゃいけないんだから」
という2人の怒声でのやりとりは週に一回は行われていて、ひどい日には食器を割るような音もドア越しに聞こえてきた。
母の怒鳴り声や食器の割れる音が響く音は高音なので枕で耳を塞いでも聞こえて来る。
それが嫌だった。
朝母の手には絆創膏が何個も指に巻かれていてもあえて気に留めることは避けていた。
父は僕が小学六年の頃に部下へのパワハラが原因で職場を辞め、多額の退職金を元手にしたビジネスを始めるために中国へ渡った。
確かに今まで父親との”良い思い出”は全くと言っても良いほどない。
今になっては寝起きで出社までの時間ぼんやりテレビを眺める父親しか思い出されない。
子供の頃、母がくれたヘリコプターのラジコンを父に壊されたこともあった。
たまに遊びに連れてってもらえたと思ったら競馬場だったり。
幼いながら「父ちゃんは僕のことが好きじゃないんだな」っていうのは折々で感じていた覚えがある。
そんな父も、姉だけはかなり可愛がっていた。
姉は高校でダンス部に所属していて、毎年の文化祭での発表会に父は毎年わざわざ中国から遥々帰ってきてはビデオカメラ片手に姉の勇姿を真剣な眼差しで見つめていた。
ちなみに僕は高校では陸上部で年に3回ほど大きな大会があったが、それに両親が見にきてくれたことはただの一度もない。
思春期の恥ずかしさや、見にきてくれなかった悲しさを想像して母親には「大きな大会あるけど別に見にこないでね!」とかなりツンデレな発言をしたりした。
今思うと、僕が良い記録を出せるようにとスポーツショップでは必ず良いスパイクを店員さんに聞いて少し高くても惜しまず買ってくれていた母には悪いことをしたと後悔している。
そんな両親もなんだかんだで引退戦では見にきてくれてることを信じて、必死に競技場内をを探して歩いたのは今では嫌な思い出だ。
仕方がない、僕が「見にくるな」と言ったからね。
それから時が経ち、姉は大学受験で第一志望への合格が決まった日。
家族全員でお祝いをしている時、父は姉に
「運転免許取りに行かなきゃな、すぐ予約してやる!」
と、父も姉も嬉しそうにそんなやりとりをしていた。
それを見ていた僕は
「自分も一番行きたい大学に受かったら運転免許取らせてくれるんだろなぁ」
と思った。
可愛い彼女を助手席に乗せ、海に面した国道をアップテンポな曲を流して快走する妄想をしていた僕はそれで期待に胸を膨らまし、第一志望への勉強を頑張った。
僕も行きたい大学への切符を勝ち取り、僕も運転免許を取りに行くんだ!と意気込んでいたが。
姉のようなお祝いはないし、父も中国から帰って来ないしなんか嫌な予感はしていた。
仕方ないので母に
「なぁ、俺も運転免許取りに行きたいよ」
と言うと
「父ちゃんが日本戻ってから頼んでみなさい」
と返されるだけ。
大学受かった僕の友人が続々と運転免許を取りに行ってる中、取り残されたようでとても腑に落ちなかった。
大学入学した後も周りは免許を取っていてその事実へのフラストレーションで母にキツく当たったこともあった。
「地元の友達も、高校の友達も、大学のみんなもみんな免許とってるのに!! 姉は大学合格が決まった瞬間に合宿免許の予約をしてたじゃないか!!」
と子供っぽくいじけて見ても
「父ちゃんが日本帰ってきてから頼んでみなさい。そんなに取りたいならもっとバイトを頑張って自力で取ればいいじゃない」
とだけしか言わなかった。
ちょうどその時。父が中国での事業に失敗して借金まみれになったことを知ったのはここ最近のことだ。
日本に帰ってきた父に
「免許取らせて」
と素直に頼んでみても
「東京にいたら電車もあるし免許なんて必要ないし、学生のうちは急ぐことないでしょ?」
と、のらりくらりとかわされていた。
遠出とかで友人が車を運転している姿を恨めしく見つめていた自分自身が今でも印象的だ。
僕だけの力で免許を取って、両親に散々嫌味を言ってやろうと決め、シフトを増やして貯金を試みたこともあったが30万なんて大金は僕のような苦学生が貯めるにはやはり無謀すぎた。
その後耐えきれなくなり父にややキツめの長文のメッセージを送った次の日には母が教習所に連れてってくれた。
大学二年生の終わり頃だった。
周りは大学入学が決まった高校生で溢れていたし、年下しか目につかなかったのがものすっごく嫌だった。
今考えると馬鹿みたいな話だが。
時が経ち、父親の借金の話や、僕のための定期預金を解約したこと、母がパートに週6に行くようになったことを姉から聞かされた。
結局僕が自分勝手だっただけじゃん。
それを聞いてワンワン泣いて後悔した。
現在も父は姉と出かけることはあっても僕とはずっと同じような対応だ。
久々に家に帰って、父にあっても
「仕事はどうだ?」
「まぁぼちぼち」
と、不器用な会話しかない。
お互いそれが 精一杯 の言葉なのだ。
幸い両親は今も元気。
たくさん迷惑をかけた両親。
そして特に不器用な父にいつかとびきりの親孝行をしてあげたいと思う。多分父に似て不器用な方法になると思うが。
何か父と仲良くなれる方法とかあったらコメントで教えてほしい。
最後まで読んでくれてありがとうございます。