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迷言

さて。宿題を片付けよう。

おととい、こんな記事を投稿し。そして、アークンの企画に参加すると宣言しつつ、その記事では、実質の参加記事を書かなかった。

心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、つぶやいた。

コジがよくやる、書く書く詐欺だな。


まあ、気を取り直して。

アークンの企画は、先生の迷言についてである。それを、書こう。だが、今日は、文字ばかり。4,400字ちょっとある。かなり長いから、お時間の無い人は、サラッと読み飛ばすか、無駄な時間を費やさないために、ここでやめてしまうのが身のためかも知れない。

私は、悪ガキだったので、学校の先生との相性は、とてつもなく悪かった。特に印象に残っているのは、なんといっても、小学校1年生のときの担任の、ベテラン女性教諭である。

その先生、今でも顔かたち、声、雰囲気、もちろん名前はフルネームで覚えている。その先生のことを、H先生と呼ぼう。

今までに、2つの記事にしている。既に書いたことなので、改めて書くのは気が引けるが、今日ばかりは、リライトというのを許して頂きたい。

私は、昔から、随分と変わっていたのだ。何事にも我関せずで。超マイペースだった。まわりが何をしているかなんて、まったく眼中になく。H先生の言いつけを、とにかく、聞かなかった。そして。特に私の力が発揮されるのが、翌日の準備だ。少なからず、宿題も出るし。準備して翌日持って行くべきものもある。

大抵、終わりの会で、確認がなされるのだが、まったく聞いていない。だから、忘れ物をする。ほぼ、すべて。

入学当初から、H先生は、忘れ物撲滅のために、忘れ物グラフを教室後方の黒板につけていった。クラス全員の名前がズラッと書かれていて。ひとつ忘れ物をするたびに、そこに、シールがひとつ付け加えて貼られる。

最初のうちこそ、グラフの長さを競うバカな仲間もいたが、忘れ物を確認すると、H先生は、教室の前に立たせ、クラスのみんなの前で何を忘れたかを言わせた後、男子にはゲンコツをくらわせる。

それが嫌だから、みんな、すぐに忘れ物をしなくなってきた。ところが私は、我関せずだから、ひとり、どんどんグラフは伸びていく。

そのうちグラフを伸ばしていくのは私一人になり。だが、私のグラフはどんどんと伸び、黒板を突き抜けて天井へと達し、さらに伸びて、天井の真ん中を超えて前の黒板に迫っていた。

ここまでくると、先生もほとほと呆れ。ある日の終わりの会で。プンプンの顔をしつつ、私を教室の前に立たせてこう、言い放った。

長い教師生活の中で、天井まで届いたのは、あなただけです。

そして、更に、こう言った。

あなたは、忘れ物の王様です。

私は単純だから、この、王様という言葉に反応した。なんだか、誇らしいような、滑稽な笑い話のような、冗談のような気がして。

ちょっと、クククッと、小さな声を出して笑ったのである。

すると。先生は、すかさず、ゲンコツを脳天にお見舞いし。私は、目の前に星が回っていくというのはこういうことを言うのかと、クラクラ感満載で、フラフラしつつ、踊るような感じで、まだ笑っていた。

すると、教室内が、期せずして、大爆笑に包まれた。


そしてそのグラフだが。ほどなく、突然、撤去されたのである。

後ろの黒板は、みんなの絵とか書道の展示物が貼られた。

最初、H先生は、私の粘りに負けたのだと思った。だが。本当は、一学期の参観日の飾り付けに併せて撤去されただけで。

参観後の父母会で私の素行についてH先生からこっぴどく指摘されて恥をかいて激怒した母が、帰宅して私をシバキあげることで、その事実は必然的に知らされることになった。


もうひとつ、ちょっとしたエピソードがある。

ランドセルを学校に持って行くのを忘れるということが、みなさんには、あるだろうか。

ランドセルを忘れていくということは、丸腰で、勉強道具を持たずに登校する、ということである。


実は私は、最低、2回はある。それも、1年生の1年間の中で、である。

1回目は、1学期の終わりくらいのことだった。当時、学研の科学と学習という雑誌を、学研の販売員が、学校で代引き(現金と交換)で、それを手提げに入れてくれるというシステムで販売をしていた。

私は、科学をとっていたが。世の中で唯一、それだけが楽しみで。手提げだけをもって颯爽と家を出たのだ。そしてたまたま、校門を入るところで、H先生とばったりと遭遇し。大声で、こう、問いかけられた。

あなたは、何のために学校に来ていますか。

私は、また、悪い冗談だろうと、無視して通ろうとすると、声を大きくして同じことを言って、私の足を止める。

あなたは、何のために学校に来ていますか!

私は、言った。

友達と遊ぶためです。

何を言っているんですかっ!  ランドセルは?!

あ、忘れて来ました。

そのやりとりの一部始終を見て、担任と一緒にいた、これもベテランの女性教諭が、腹を抱えて大爆笑していて。それだけじゃなく、その周辺にいた多くの生徒たちが、大爆笑の人垣を作っていた。

早く、とっ、とってきなさいっ!!!

学研の手提げはH先生に回収され。私はしぶしぶ、ランドセルをとりに家に戻った。

母にも、烈火のごとくシバかれ、家から蹴り出された。

それでも、走るでも無くゆっくりと歩いて学校に向かい。誰もいなくなった校門をすり抜けて教室の引き戸をガラッと開けると、教室は、大爆笑の渦に包まれた。

私がいない間に、今朝の一部始終を、クラスのみんなにH先生が話していたのだ。そして、そういうだらしないことは、決してしないようにと、訓示をたれていたのである。

小十朗くんは、とっても悪い子の、見本です。

席に座り、隣の親切な女の子、Mちゃんが、H先生がみんなに何を話したかを詳しく教えてくれて、すべてが判明した。

意地悪な先生だと一瞬思ったが、まあ、また、1ランク私の人気が上がったので、よしとした。そして、また、ニヤリと笑っていると、また、H先生の脳天ゲンコツが食らわされた。


これは、長男Jのものだが


H先生、教育という指針の中では、何でもやってくれる先生で。廊下に立たされ、そこから授業を受けることも度々たびたびで。そうなると、また、コジ、立たされていると、隣の6年生のクラスから大爆笑が起きる。

ここまで来ると、学校中の人気者である。

あるときは、クラスの誰かが提案し。両手にバケツを持たせるくらいでないと、コジにはこたえませんよくらいの勢いで、水を満々と溜めたバケツを両手に持たされて。一瞬で馬鹿馬鹿しくなり、水を廊下にぶちまけると、もれなく脳天ゲンコツを食らわされた。

なぜだか理由は忘れたが、教科書をとられたこともあり。すぐに返してくれるだろうとたかをくくっていると、いつまで経っても、手元に返ってくることも無く。翌日のその教科の授業が始まり。

また、H先生が、言うのである。

あなたの教科書は、どこにあるんですか。

私は、一瞬、間を置いてから、正直にこたえた。

先生にとられました。

すると、教室内は大爆笑の渦に包まれたが、瞬時に、脳天ゲンコツが降りてきた。

私は、泥棒ですかっ!!

そのとき、心の中の、リトルkojuroは、こう、言った。

だって、そうだろ。


音楽の時間にふざけていたら、ハーモニカをとりあげられる。それで脳天を殴られる。出席簿でたたかれるなんて、日常茶飯事で。やり方は日に日に進化して出席簿の固い表紙の角の部分を、私には特別に準備して食らわしてきた。私の目の前は、いつも、星がキラキラ回っていた。

どうも、H先生は、ちゃんと謝りに来い、申し開きをして、ちゃんと心から反省しろと、言いたかったようだが。当時の私には理解できなかったし。意地でも、そんなことしてやるか、くらいに思っていた。

今から思えば。まったくの体罰。許されるべきものでは無かったが、当時は、こういうことは、あたりまえだった。

そもそも私ほど叱られまくる小学1年生は希有だとは思うが。私は、叱られることが、なんだか武勇伝のように思っていたところもあるし。そもそもは私が悪いところが、多分にあり。H先生は、それが人として許せなかったし、こいつをなんとかしなければと、真剣に思い詰めていたのだろうと思う。

母などは、何度も学校に呼び出されて。どうぞ教育して、コジをいっぱしの人間にしてやってください。愛の鞭をお願いしますと、頭をさげて頼んでいたくらいだから、今から思えば、何でも許される、のんびりした、でも、愛もユーモアもある時代だった。


さて、何の話だったか。

そうそう、先生の迷言の話だった。私の悪ガキの話では無い。

いくつか迷言を賜ったが、アークンの記事のような、笛で殴っておきながらそれが折れて、弁償しぃや、と言い放つ先生の迷言には遠く及ばないが、この言葉を、エントリーしよう。


私は、泥棒ですかっ!!


これだ。


アークンのエピソードには、後日談があり。これがまた、凄い。その、笛が折れたときに、一緒に音楽の授業で遊んでいて叱られた女の子がおかあさんになり、ご子息の授業参観で奥様に、あのときの私ですと、自己紹介してきたそうで。奥様は、このエピソードをあらかじめ知っていて。その話、主人から聞いていますと、二人で爆笑し合ったという。


ここまでの完璧な話、しかも実話は、私の手持ちには無い。

この、1年生のときの担任、H先生とは、冬前に、あることで、一瞬にして、和解することになる。だが、それは、私の生涯唯一の自慢話になるので、ここでは、触れないようにしたいと思う。

私が1年生の間に、H先生との意地の張り合いの中で学んだのは、先生は聖職とは言えど。それは、建前の部分が多くて。ただの、ひとりの人間だという、ごくごく当たり前の事実である。

それが腑に落ちてから、先生という言葉の意味合いが、私の中で、変わった。



王様。その言葉を聞くと、今でも、少し、クククッと、笑ってしまいそうになる。

私は、ちいさいころから、人並み外れた、言いつけ聞かずの悪ガキだった。

そんな昔話を家内に語ろうとして。後ろを振り向くと、女王陛下(注1)が笑っていた。


心の中の、リトルkojuroが、笑いながら、つぶやいた。

結局ほんものの王様には、なれなかったね。女王陛下には、巡り会えたけれど。


マッサージをすると、女王陛下は、上機嫌になる。

女王陛下が上機嫌だと、我が家は、明るくて、平和である。



だから。


これで、いいのだ。


(注1)家内の我が家での呼称は、さっちゃんである。だが。私にミッションをくだす、我が家の最高権力者という意味で、女王陛下という呼称もある。これは、主に、私やリトルkojuroが、使うのである。


■追記■
面ゆるって、なに?
それは、これ。西尾さんはじめ、みんな、面白い作品をあげていて。
私は、だいたい土曜日の夜に、そこそこの過去記事をあげています。
もしも、お時間があれば、みんなの作品、読んで頂けたら幸いです。





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