見出し画像

闇市

母方の祖母は、孫には優しかったが、とても気丈な人だった。女学校を出ていて、昔の女性としては、学があったほうらしく、本も読み、書も上手くて、時に、俳句を詠んだりする人だった。

かたや、これは、祖父の影響もあるのだろうけれど、相撲と野球を、いつも見ていた。決まった贔屓はなく、ただ、負けた力士やチームを、明日は巻き返せと、エールを送っていた。あの頃の祖母とテレビ画面を、私は、いつも、思い出す。


大学時代、何の講義だったかは忘れたが、レポートの課題で、昭和の終戦の混乱期の世相について、その時代を生きた人からヒアリングするという機会があった。

私は、幼少期の物心がつくまで、短期間ではあるが、母方の祖父母と一緒に住んでいた。幼い頃から、祖母からは、戦時中の物不足、飢餓の時代のことは、耳がタコになり、脳までタコになるほど聞かされていたので、改めて、祖母にヒアリングを申し入れると、快く引き受けてくれた。

祖父は、商家の出だったようだが、商才よりも弁舌がたったようで、私と暮らしているときは、もう、引退はしていたものの、ある、市議会議員か、県会議員かの、選挙参謀もしていて、時には、街頭の演説をしていたと後になって、聞いた。

米騒動は、米屋を当時、していて。祖父は、まだ若いながらも、大変な経験をしたという話も聞いたことがあった。


そんな祖父母なのだが、祖母が祖父に対して口反論をしたのを、見たことがない。対して祖父は、短気なところがあり、特に、ご飯に対して、時々、烈火のごとく、祖母を叱責していた。

だが、祖母は、恐れおののくでも無く、泣くでも無く、ただ、じっと、黙って、淡々と、祖父の話を、聞いていた。



あるとき、祖父が、祖母が作ったカレーを、鍋ごと投げつけたことがある。そして、言ったのだ。

こんなものは、食べられない。野菜などは、刻まずに、そのまんま、入っているし、ルーも固まっていて、料理ではない、と。

そして、祖父は、私に向かって、言うのだ。

コジも、こんなもの、食べられんだろう!


祖父は、明治の生まれそのものの、祖父であった。


祖父は、下の階の母のところに行き、我が家とご飯を食べる。私は、二階に残り、その、投げつけられた鍋の中のカレーを、祖母と二人で、黙って食べる。


コジは、下にいっていいんやで。

おじいちゃんが下にいったから、ぼくは、ここで食べるで。



祖母は、ほんとうに、淡々としていた。

その姿は、幼心に、肝の据わり方とは、あるいは人としての強さとは、こんなことなのだろうと思わせるに、充分だった。


私が、フードロスハンター(注1)を名乗ったり、好き嫌いが一切無かったり、誰の料理にも文句を一切つけずに、残さず食べきる特殊能力を身につけたのは、間違いなく、祖母のお陰である。

私は、美食家にはなれないが、厳しい飢餓の時代を、恐らく生き抜いていけるであろう自信は、未だに、ある。


そんな、無骨で気丈で淡々とした、肝っ玉の座った祖母の話を、私は、長時間におよび、ヒアリングをした。


今となっては、もう、細かい話は、覚えていない。だが、強く印象に残っている話がある。



それは、闇市で大量にものを買い込んだ帰りの、最寄り駅での警察官とのやりとりの話だった。



祖父母には、私の母を入れて、5人の子供がいた。その子供たちを食べさせるのに、ほんとうに、毎日、苦労して買い出しに行ったのだという。


ある日、最寄り駅に着き、列車を降りて、ホームで一服していると、警らの、強面の警察官がそばにやってきて、何の荷物かを、静かに問いただしたのだという。


その時、祖母は、淡々と、こたえたのだそうだ。

五人の子供を食べさせるのに、買い出しに、いってましてん。

今から、帰るんです。

子供たちが、家で、待っております。



すると、その警察官は、こう、言ったのだと、祖母は、教えてくれた。

それは、ご苦労様です。

お気をつけて。



祖母は、私に、教えてくれた。

何も隠さず、何も恐れず。淡々と、正直に、生きよ。

どんなに混乱し、絶望が押し寄せ続けても、ただ諦めず、信じて貫けば、その先にある世の中は、決して、捨てたもんじゃない、と。


ある、ひとときの、お話である。

苦労ばかりした、祖母である。だから、泣き言や、愚痴を言っても、おかしくは無かった。だが、祖母は、いつも笑って、淡々と、そして、静かに、生きていた。


祖母は、永遠に、私の、人生の教科書なのである。



(注1)世界中で社会問題にもなっているフードロスを無くすために、まずは身の回りの賞味期限切れを無くすように、ひとたび賞味期限切れとなった商品をチェックし、たとえ賞味期限が切れていても、匂いや色や味見から食べられるかどうかを真剣に判断し、食べられるものと判断したものは、無闇に廃棄せずにきちんと頂く。そういう活動をする、ボランティアのこと。私が勝手に作った造語である。


画像1


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?