ハエ

私がずいぶん幼かった時のことだ。保育園に3年保育で入った。その、たぶん、年少の時だったと思う。だから細かい記憶は残っていない。非常に断片的なのだが、ちょっとした驚きだったので、その体験自体は、鮮明にずっと覚えている。

その当時、我が家は母方の実家に一緒に暮らしていて、いわゆるサザエさん状態だった。父は、あまりその状態を快く思っていなかったようで、ほどなく引っ越しをしてしまうのだが、私が生まれてから4年ほどそこに住んでいた。そして、私は、母方の祖母と、よく散歩に出かけた。

祖母は、散歩が好きな人で、私も、祖母についてよく外に出かけ、一緒に歩いたのだ。いまだに歩くことが好きなのは、恐らく祖母の影響だろうと思う。

ある日、祖母と歩いていると、前の方からハエが飛んできた。かなり大きな、黒いハエだった。だが、ちょっと鈍いハエだったのだろう。ハエは直進してくると、私の、文字通り目の前に来た。そして、私の目にぶち当たったのだ。

私は、反射的に目を閉じた。すると、ハエは、私の瞼に捕獲され、目の中に入った。

私は、驚いたが、ハエが目の中に入ったことが面白くて、隣の祖母の方を向いて言った。

おばあちゃん、目の中に、ハエがいる。今から目を開けるから、飛び出すのを、よく見ておいてね。

すると、

ほう。

と、祖母が言った。

そして目を開けた。

ハエは、私が瞼を開けると、何事も無かったように飛んで行った。そして、祖母に聞いた。

見た?飛んでいったでしょ!

祖母は、

わからなんだ(=わからなかった)。

と、言った。

私は、かなり残念で、ちょっと祖母をなじるようなことも言ったと思う。

その時の感覚が、実は、未だに目に残っている。

目の中に入ったが、全く痛くなかった。相当に目の中は狭かったらしく、ハエは動かなかった。そして、意外にも冷たかった。

ハエのような昆虫は恒温動物ではなく、目にも温度を感じる温点が存在するというようなことを知るのは、それから何年も後のことであったが、そういう意味では、この体験は無駄にはならなかった。

そしてもう一つ。少しの埃でも痛くなるほど目は敏感だが、「目の中に入れても痛くない」という表現は、私にとっては容易に腑に落ちることとなった。

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