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分析の深さを生むのは人同士の対話なんじゃないかって話

みなさんこんにちはソーシャルリスニングblogです。

最近色んなソーシャルリスニングのプロジェクトを担当する中で、誰かと「対話」をしながら分析作業を進めるって大事だなぁと改めて感じたので、まとめてみたいなと思いました。

対話と議論と討論と

ここであえて「対話」と書いたのは、本当に必要なのは「議論」でも「討論」でもなく「対話」でなくてはならない、と思ったからです。

議論と討論と対話って「ディスカッション」みたいな意味合いで境界線をあまり明確にしないまま使いそうな言葉たち何ですよね。
まず最初に、ここをしっかり分けてみたいなと思います。

なぜなら、これらの言葉の境界線を明確にすることで、自分達がやろうとしている「ディスカッション」が議論なのか討論なのか対話なのかをクリアに捉えることができるし、ちゃんと実行できているのか、というフィードバックにも活かせると思うので。

個人的には、この本にあった定義が1番分かりやすかった気がします。

こちらの本を参考にすると、「議論」と「討論」と「対話」はこんな風に定義されてました。

討論:どちらの立場の意見が正しいかを決める話し合い
議論:合意形成や意思決定のための納得解を決める話し合い
対話:自由な雰囲気の中で行われる新たな意味づけを作る話し合い

問いのデザイン 創造的対話のファシリテーションより

この本を読んだときに、「あー今までこの辺の言葉を適当に使ってたなぁ」もしくは「対話」ってただの会話の別の表現くらいにか思ってなかったな、と認識を新たにしました。

そして、この「対話」という行為は、ソーシャルリスニングにとって本当に大切な着眼点で、分析プロセスで、業務スキルである、という認識に至りました。

あるアハ体験

具体的は内容はここには書けないんですが、あるプロジェクトの中でちょうど分析プロセスを進めていました。
広くデータを集めて、重要なデータに絞り込み、そこから分析を重ねて「分析の山」の七合目くらいまで登ってきたと思ってました。そして、そのまま予定通りのスケジュールで分析のゴールまで進める予定でした。

そんな中で、直接はそのプロジェクトに関わっていないある人に分析の話をしたときに、自分の持っていた情報と視点と違う意見(というか、感想に近い)を投げかけてもらいました。

その瞬間は
「こっちの方がたくさんデータみてるんだぞ〜」とか
一瞬あたまをよぎったりしたんですか、
冷静に考えると、なかなかいい視点かもしれない。と思いました。
いや、むしろ自分はその視点は持ててなかったし、確かにそう言う面も大事かもしれない、と。

そして、相手の話をしっかりと聞いていくうちに、自分のそれまでの考えをベースにしつつも、相手の話からインスパイアされた、また、別の考えというか視点のようなものが降ってきたんです。

そのことを言語化して口にすると、相手もまた、そこからインスパイアされた新しい視点を投げかけてくる。

その繰り返しの中で、視点が広がり深まる
ちょっとしたアハ体験でした。

それを2時間ほど繰り返してた気がします。
それほど長時間ではなかったですし、普段の分析作業でも普通に費やすくらいの時間です。
でも絶対に1人では辿り着けない場所まで一気に移動してきた感覚がありました。

これが対話なんだな、と思った瞬間です。

視点を広げる、視点を深める、ことをゴールとして、どちらの意見が正しいのかとか、何か一つの結論にまとめ上げていく、みたいなのことを目的としないディスカッションでした。

言うほどA+B→Cって出来てない

こう書くと「そりゃそうだろ」って風にも見えるんですけど、自分自身は口で言うほど実践はできてなかったします。
「フリーディスカッションだ!」「ブレストね」と言いつつ、気がつかないうちに議論や討論になってしまっている。誰かの話にインスパイアされて別の新しい意見が生まれて、それがまた別の広がりと深さを産む、といったプロセスって口で言うのは簡単ですが、本当に意図的に作り出すのって簡単じゃない。

ここで大事なのは、
・寄せ集めのまとめを作る
・あいだの中間案、妥協案を作る
・複数の意見のパッチワーク案を作る

という事ではない、という点も大事な事だと思います。
おそらくは、そして自分がやっているディスカッションの多くは、フリーディスカッションとかブレストとか言いつつ、上記のどれかになっていた気がします。

AとBという意見がある時に、A&Bを作るでもなく、(A+B)÷2を作るでもなく、AとBからインスパイアされたCを作るってことですよね。

これって、たまーに本に出てくる「テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ」ってやつなのかもしれない…!
概念としては何となく分かる気がする考え方だけど、抽象的すぎて腹落ちしない感があったんですが、実際の体験を通じてスッと入ってきた気がしました。
「こ、これが、アウフヘーベン…!」と衝撃を受けました(笑)

「分析」という行為にはこの対話がすごく有効で、また、対話をたくさん繰り返して視点を広げ視点を深めることが大事なことなんだなと。
もちろん、AとBからCを作る、というプロセスは個人の頭の中でも発生するのかもしれないですが、別の人との対話を用いると、自分一人では行きつけないBに触れることができ、Cにたどり着くってことが可能になりそうです。

OSを切り替える

一方で、この「対話」を意図的に再現するのは簡単じゃない、とも感じます。常に時間効率や目的合理性のような意識に支配されるビジネスでは、すぐに「結論めいたもの」を欲しがって、議論や討論に陥りがちなのかもしれません。

対話って、結論づけることを目的としていないので、ディスカッションが始まる時に1時間後の姿がはっきりしていないとも言えるかもです。
ある意味、普段のビジネス脳とは異なるOSに脳みそを切り替えて、対話による視点の広がりや、視点の深掘りを「楽しむ」みたいなマインドが求めらえるよな気がしています。

対話が出来ているサイン

上記で「対話」のアハ体験をしたと書いて、「対話」の大切さみたいのを述べましたが、自分が「対話」をものにしたとは全然思っていません。
「対話」が議論や討論とは違うことは認識できましたが、自分もまだ強く意識しないと実際の世界では再現できないことも多いですし、「対話」をしようと思っていても、上手くいかない経験もぜんぜんします・・・!

今も対話をスキルとして身につける修業中の身なんですが、今までの経験だと、こういった趣旨の言葉が飛び交うディスカッションは「対話」になれているような気がします。

・・・を聞いてて思いついたんだけど・・・
・・・ってことは、こういう事も言えるんじゃない?例えば・・・

こういう趣旨の発言がディスカッションの中に出てくる、理想的には、こういう言葉が飛び交うと「対話」によるA+B→Cが発生している証拠な気がします。
まだまだ、自分自身が高い精度で「対話」ができるようにはなっていないと思いますが、これからも意識していこうと思います。

ソーシャルリスニングと対話

さて、話をソーシャルリスニングに戻しましょう。

ソーシャルリスニングというのは、SNSデータを介した行動観察だと思います。そして一切のAskingができない、純粋な行動観察です。その行動観察から分析を深める必要のあるソーシャルリスニングには、対話がすごく必要になりそうです。

ソーシャルリスニングを行うチーム・組織は、業務プロセスの中で以下に「対話」を仕組みとしてインストールできるのか、そして、「対話」をするマインドセットとスキルセットを各個人個人がしっかりと身につけることが大切そうです。


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