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言葉に誤魔化されない ということ

メモ:言葉に誤魔化されない ということ。それから、「心と身体と言葉がピシッと繋がっている」本気の言葉を使うということ。

例えば「前に進む」。もし私が「前に進むぞ」と思っているならば、私は「前に進む」ということに本当には参加できていない。何故なら「前に進む」という意図を持つことにエネルギーが割かれていて、実際の「前に進む」ということに私の全体は参加できていないから。そんな時は、自分の「前に進む」という言葉がなんだか"素敵なことっぽく"感じていて、そんな自分の言葉に私自身が誤魔化されている。即ち、「前に進む」をしている程で、実のところ私の全部が「前に進む」ということに参加はしていない。

私にとって自分の全部を自分のしていることに参加させるってことは、とても大事なことだ。そして、私が「自分の全部」が自分のしていることに参加できるためには、自分を信頼していることが必須である。
でね、私には「自分を信頼できる」ためには、自分の言葉に誤魔化されないことがそれはそれは大事なのだ。

で、私が自分の言葉に誤魔化されないためには、あ、「自分の言葉に誤魔化されない」ってのは、自分の行っていることが、自分の言っていることとちゃんと一致しているってことなのだけども、そのために大事なことは「私は失敗する存在」ってことを認めて引き受けるってことが大切。

で、私がそのためにしていることは何か。それは「自分の小さな失敗を心から讃える」ってこと。失敗したってことは「それをした」ってことだからね。

私の場合「していること」よりも言葉の方が多い時は、そういう時には私は言葉に誤魔化されている。「難しい言葉を使っている時」も同じで、そんな時も私は自分の言葉に誤魔化されている。雰囲気では、どこにも隙間がなくてパワフルで説得力があっても、言葉の質はペラペラに薄っぺらくて、そこら中になんだか嘘くさい匂いがある。そんな時、私は喋りながら自分の声からさびた鉄の匂いがするのを感じて、胸が空っぽのカラカラでひび割れて痛い。

声から鉄さびの匂いがして、胸が劣化したプラスチックのようにパリパリにひび割れていても、「隙のない自分」を手放すことは、見栄っ張りの私には簡単なことではないのだけども(失敗しない方がカッコイイ感じがするじゃん、笑われると辛いしね)、カッコ悪くても笑われてもいい、むしろ私が私を笑わないこと、どんな自分をも大切にすることを選びたい。

「成功できる人」と認められるためではなくて、何を言うにもするにも、自分で自分のためにそれをして、失敗したり成功したりすることが、私にとっての誠心誠意。だから、私は自分の小さな失敗を見逃さないで、それを讃える。

私は失敗する存在。それでいい。とにかく、やったんだ。どんなものであれ経験は尊い。今日も私のいのちが生きている。

私にとっては、言葉に誤魔化されないってめちゃくちゃ大切で、それは何故だろう、、私は私の言葉がいつでも正直なものであってほしい。

だから「誤魔化すための言葉」を使わないことも大事だし、言葉に誤魔化されないってことも大事にしている。

何故かというと、
私は大好きな人に「愛してる」っていう時、正真正銘の真っ正直な「愛してる」を言いたいのだ。何かの飾りとか、何かの証明とかじゃなくて、大好きな人には、ただそのままの「愛してる」だけを言いたい。
そのために、私は自分の言葉を本当のものにしておきたい。
(ごちゃごちゃしてるなー。後から書き直す)

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