見出し画像

「2021年の決意表明」のそのあとと、2022年の決意表明

この記事の続きの話。

授業見学にて

秋ごろ、町内の高校に授業見学に行く機会があった。去年関わっていた生徒も何人か進学していて、この記事に出てくるAちゃんもそのうちの一人だった。

その高校は数学と英語は習熟度別で授業をしていて、見学した時間はちょうど1年生の数学が行われているときだった。

「どんな様子で授業を受けているのか見てやろう」と、Aちゃんがいると予想した数学の基礎クラスを覗いたけれど、Aちゃんはそこにはいなかった。
はて、と思ってその次のレベルの応用クラスを覗いてみても、Aちゃんはいなかった。
まさか、と一番レベルの高いクラスを覗くと、問題に一生懸命もくもくと向き合っているAちゃんがいた。

その様子をじっと見ていると、ふと顔を上げたAちゃんと目があった。Aちゃんは、びっくりしたような、照れたような表情をした。


高校進学の理由

Aちゃんが中3のとき、わたしは彼女の進路相談に乗っていた。彼女は繰り返し、「自分はバカだから高校に行っても意味がない」「どうせ辞めることになるから、それならはやくお金を貯めて親孝行がしたい」「だけど親は高校に行ってほしいと言っているからどうしよう」と言った。
Aちゃんは散々迷い、いろいろな大人と話し、最終的に「高校に進学し、アルバイトをしてお金を貯める」という選択をした。

そして年末。いつも仕事帰りに寄るコンビニで、Aちゃんに会った。制服に身を包み一生懸命店内を掃除する彼女に、わたしは声をかけた。

「バイト始めたんだね」
「はい。少し遅くなったけど、やっと」

このちょっとしたやりとりが、嬉しくてたまらなかった。

Aちゃんに何を届けられたのか、明確な答えは自分にはない。だけど、Aちゃんは中学校3年生の春から、確かに、じわじわと変わっていった。たぶんそれは特定の誰かのおかげとかじゃなくて、Aちゃん自身がたくさんの人たちと出会って、関係性をちゃんと作って、「何か」を吸収していったのだと思う。

その一部にわたしが、あのときの大学生が、冬休みのあの場所がなっていたとしたら嬉しい。


今年度の学習サポート事業

学習サポート事業は今年度も無事に実施できた。今年度から対象が高校生にも広がったので、昨年度の冬休みに来てくれたD君は高校進学後も変わらずに訪れて、スタッフと関わり合いながら勉強をしていた。

Aちゃんは夏も冬も来なかった。D君が誘っても来なかった。D君は少し寂しそうな様子だったけれど、きっとAちゃんにはもうこの場所は必要がないんだろう。それはそれでいい。その代わりにたくさんの中高生が来てくれたし、たくさんの出会いが生まれた。そうやって循環していくことがいいことなんだと思う。

外とのつながりの話で言えば、今年度はいろいろと調整が上手くいって学校の学習サポートという立て付けにもできたので見学してくれる先生が一気に増えた。わざわざ交流会を設定しなくても、当たり前のように先生とスタッフの人たちが会話をする場面を何度も目にした。

教育委員会の人もワークショップに参加してくれた。そして、普段関わっている高校生が生き生きとしている様子を見て「あの子たちすごく成長したね」と前向きな言葉をもらえた。

いい取り組みだから子どもを連れて行きたいと言う保護者もいた。

少しずつではあるけれど、”学校とか行政とか、そんな立場も所属も関係ない枠組みで、「子供のため」を思う人の気持ちを集めて作りたい”と去年記したわたしの想いは、実現しているようにも思える。

だけど、同時に物足りなさを感じながら運営をしていた。これはあくまでも行政の事業だ。結局自分は1スタッフで決定権もない。打ち合わせで発言をすることとか現場で頑張るとかはできるけど、事業として実施している以上「町の意向」みたいなそういう大きなものには当たり前だけど逆らえない。

それにもどかしさを感じる1年だった。枠の中でどうできるか、何ができるかと考えることはとても窮屈だったし、諦めたことも正直多かった。だから手放しに「想いが実現している」と思うことのできない自分がいる。


改めて振り返る、自分のやりたいこととこれからの向かう先

自分の中に一貫してある想いは、「自分なんか価値がない」「どーせ何をしたって意味がない」と思い込んでしまっている子どもたちに「そんなことはないよ」と伝えたい。「〇〇じゃないから自分は無理」「〇〇じゃなければ生きていけない」という、固定観念を壊したい。そのことを伝えるには自分だけの力じゃ足りないから、いろんな人たちと一緒にその仕掛け作りや場作りがしたい。子ども達が出会える大人の数を増やしたい。

それが、この町に来る前から大事にしてきた想いで、自分のやりたいことだった。
それを、ずっと与えられた枠の中でしようとしてきた。

枠の中でやろうとする限り、ずっと葛藤や物足りなさを感じ続けるのだろう。それに絶望した気持ちにも少しなっていたけど、いっそのこと振り切って自分自身のやりたいことが思う存分できる場作りに自分の力でチャレンジしてみたらいいんじゃないかと思うようになった。去年書いた「地に足つける」ということとは少し変わってくるけれど、そう思ったときの方がわくわくするんだ。なんか今は。

今年は自分の中にある思いに真っ直ぐに向き合って生きていたいと思う。
そうやって生きたとき、どんな気持ちが生まれるのか、どんな出会いが生まれるのか、今はとても楽しみな気持ち。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?