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これまでと、冬休みの振り返りと、2021年の決意表明



この話のはじめ

2012年、22歳のとき。
ひょんなことから高校生や中学生と関わるNPOでボランティアをはじめた。その活動で出会う生徒たちは基本的にみんな元気で明るかったけれど、じっくりと向き合って話してみると一人一人笑顔の裏にはいろいろな感情を抱えていて、「自分なんか価値がない」ということや「どーせ何をしたって意味がない」ということを思っている子たちがたくさんいることを知った。そんな生徒たちを見ると、自分自身の昔の姿が思い起こされた。

わたし自身も中学時代や高校時代には、彼ら彼女らのように「どーせ」と心のなかで思いながら過ごしてきた。人と関わることを諦めてきたし、信用出来る人なんていなかった。
だけど、大学に入って世界が広がって、「この人面白いな」と思える人にたくさん出会った。そして、人生で初めて「この人のようになりたい」と思える人にも出会えて、その人に近づくために頑張ったりもした。頑張る中でさらにいろんな人に出会った。信じたいと、大事だと思う人が増えた。

振り返ると人との出会いでわたしは変わったと思える。この人がいるから頑張ろうと思う気持ちや、あの人の前では恥ずかしくない自分でいようと思う気持ちが、今のわたしにとっての心の支えだ。

そんな自分の実体験から、「どーせ」と思っている子たちに「そんなことないよ」「変われるよ」って伝えたくて、それを実感してもらうためにいろんな人と出会ってほしくて、そういう場所がいつか作れたらなあと思うようになった。

そうして子どもと関わる道を歩むと決めて、大学卒業後には児童福祉の現場で働きはじめた。児童福祉は大変な状況に置かれている子達をまわりの人が支えてくれるという仕組みで、それはとても尊くて大事なものだと思っている。
だけど「大変な状況に置かれている」と一見わからない子達のことは誰が支えるのだろうか、そういう子達こそどうにかしないといけないのではないか、と次第に思うようになっていった。

そんな子たちにはどこで出会えるのかを考えて、自分なりに出した答えが学校だった。学校は誰もが行く場所だから、そこならぱっと見はわからないけれどしんどい思いをしている子達に手を伸ばせるんじゃないかと思った。

そうして、2020年の春から小さな町の教育行政の世界に飛び込むことにした。所属は教育委員会だけど中学校に席を置くことになり、現場に近いポジションもらった。

中学校と教育委員会のはざまで感じたこと

中学校では、不登校傾向のある生徒や支援級に在籍はしていないものの適応できない生徒の学校生活や授業のサポートをすることが主な仕事だった。
授業の様子を見ていると、いろいろな子がいることが見えてくる。勉強についていけない子、周りとコミュニケーションがうまく取れない子、引っ込み思案な子、いろんなことに意欲が低い子。課題はいくつもあったけれど、基本的にはみんな素直で愛嬌があって、とてもとてもかわいかった。小さい町の小さな学校なので、生徒たちの顔と名前はすぐに覚えられた。

学校の仕事以外にも、夏休み・冬休みにだけ開かれる「自習室」に関する業務も任された。その自習室は、都心部にいる大学生たちが町を訪れ、中学生への学習サポートを行ってくれるという特徴があった。学生時代に携わっていたNPOに業務委託されている関係から、担当として事業に携わることになった。

こんなふうに中学校の仕事も教育委員会の仕事も両方あったので、それぞれに顔を出す日々だった。しばらくしてわかったが、わたしの町の二者の関係性はあまり良いものではなかった。だからか、わたしが自習室に関する業務を担っていることがわかると学校の管理職はいい顔をしなかった。

やってることは子供のためなのに、こんな小さい町で顔と名前もすぐ覚えられるくらいしか生徒の数はいないのに、どうしてこうなってしまうんだろうと思った。

6月、臨時休業あけ

コロナウイルスの影響で、しばらく学校が臨時休業だったり分散登校だったりしていたけれど、6月になってようやく通常の日課に戻った。

臨時休業の影響で勉強の遅れが出ていた中学校3年生のAちゃんという子の学習をわたしが放課後に見ることになった。Aちゃんとの関わりがそれまでなかったので、先生方にどんな子なのかを尋ねた。すると評判はとても悪く、「あの子は勉強に対する意欲がまったくないから」「もう手遅れだからほどほどにやればいいよ」なんてことを言われた。

だけど、実際のAちゃんは一生懸命に課題に向き合う子だった。わからないことは素直に質問し、わたしの説明することを必死に理解しようとしていた。なによりも負けず嫌いで、自分がやると決めたことに対しては向かっていける、そんな子だった。人懐っこくもあり、いろいろな話を私にしてくれた。家族のこと、町外にいる友人のこと、昨日食べたもの、最近遊んでいるゲーム。いろいろな話をわたしもした。周りの先生は「放課後の勉強なんて3日続けばいいよね」と言っていたけど、Aちゃんとの勉強は2週間続いた。わたしはAちゃんとの放課後の時間が楽しみだったし、Aちゃんも最近は放課後が一番楽しいと言ってくれた。

ただ、確かにAちゃんは勉強が苦手だった。わからないことだらけで、課題の進みは遅かった。にもかかわらず、臨時休業の遅れを取り戻すべく授業の中では課題がどんどん出された。やってもやっても目の前に積みあがる課題は消化されなかった。

周りの先生は相変わらずだった。「疲れてない?」と気づかいの言葉を投げてくれる先生からは、よくそこまでやるよね、とどこか呆れているような表情が読み取れた。わたしとAちゃんが勉強している様子を見に来るふりをして、ただただ仕事をさぼる先生も現れた。そんな影響を受けてか、明らかにわたしもAちゃんも放課後の勉強に対する集中は以前よりも落ちていた。

そんな中、期末テストが近づいてきた。「テスト勉強しなきゃ」とAちゃんは口にしたけど、今までの勉強の様子から一人でするのは無理だと思って、社会の第一次世界大戦に的を絞った単語帳を作って渡すことにした。全部で15個枚程度。勝手にしたことだから、受け取ってもらえないかもしれないとも思った。だけど、Aちゃんがその単語帳を見た瞬間「すげー!」と嬉しそうに笑って、ぱらぱらとめくり出した。Aちゃんはその単語帳を使って繰り返し勉強をしてテストに望んだ。

その後、社会のテストが返ってきた。勉強をした第一次世界大戦のところだけ、10点分点数が取れていた。

7月、テストの後

ある日を境に、Aちゃんは放課後の勉強を「今日はやめときます」とやらなくなった。その様子を見た周りの先生は「やっぱりあの子は続かないよね」と言った。担任の先生にどうしたらいいか相談したら、「あの子の意思に任せよう」という言葉が返ってきたので、気にはなったけれど後追いはしなかった。

勉強をしなくなって1週間くらいたって、一度だけわたしはAちゃんを呼び止めてみた。「勉強、疲れた?」と問いかけると、Aちゃんから「やっても意味あるのかなって」「あんなに頑張っても点数がちょっとしか上がらない」と言葉が返ってきた。

Aちゃんにとってあの社会のテストの結果は”たったの10点”だった。目の前の課題はなかなか終わらない。そんな中でテストも受けなきゃいけない。できる限り頑張ったけど思うように結果は表れない。それでモチベーションが下がった。そういうことだった。

そのとき、これがわたしの限界なんだと思った。わたしは教師じゃないから雑談はできるけど勉強の仕方は教えられない。勉強の楽しさだって、学ぶ意味だって、伝えられない。そんな自分の「できないこと」が次々思い浮かんだ。

だけど。
担任の先生の言うことを気にせずにAちゃんに声をかけ続けていたら。いや、そもそもその前の段階で、他の先生の目なんか気にせずにもっとちゃんと真剣に向き合っていたら。そしたら何か違っていたかもしれない。Aちゃんはまだ勉強に向かえていたかもしれない。そんなことも思い浮かんだ。

正しいことはなんなのか本当はわかっていた。なのに、それを続けることができなかった。人に流されてしまう自分が、たまらなく嫌で悔しい気持ちになった。

8月、夏休みと二学期の始まり

コツコツと企画運営をしていた自習室が、夏休み中の3日間開かれた。コロナウイルスの影響もあり開催期間は昨年度より短くなったけれど、それでも利用する生徒は数名いた。家で過ごしたくない生徒や友達関係がうまくいっていない生徒が毎日利用してくれて、そういうニーズを満たせる場所なのかもしれないと思った。だけど、利用者数そのものは少なかったので、管理職はそれを指摘して「あんな場所意味がない」言った。わたしは愛想笑いするしか出来なかった。

二学期が始まっても生徒は相変わらずで、授業中板書を取らずに突っ伏す子、ずっと喋り続けている子、授業が嫌だと保健室に逃げ出してくる子、いろいろな子がいた。そんな授業に対して向かえない子たちに対して先生方はいい顔をせず、「あいつはだらしがない」「勉強を教わる気がない」「いいところなんて一つもない」という言葉が職員室に飛び交っていた。

先生たちは本当にみんないい人だったし、関わる中で教師という仕事を一生懸命しているということはわかっていたので、生徒に対する言葉も完全に本心じゃないとは思っていた。けれど、子供のことを悪くいう言葉が耳に入ってくると「なんでそんなことを言うんだろう」「そういう子達に一生懸命関わろうとしている私は間違っているのかな」という気持ちにどうしてもなってしまった。自分が本当に思っていること、頑張りたいことを、職員室で話す勇気はなかった。

12月、進路で揺れる

Aちゃんと放課後の学習はしなくなったものの、関係は続いていた。Aちゃんはわたしを慕ってくれていて、保健室や相談室でAちゃんの話をよく聞いていた。

12月になると進路を決める時期になる。Aちゃんはだいぶ悩んでいて、「親は進学してほしいと言うけど、どうせ勉強わかんないから高校行っても辞めることになる」「先生方はわたしが勉強するのなんかどうせ無理と思っている」と繰り返し話した。とにかく自分に自信がない様子だった。わたしは一生懸命勉強に向き合う事のできるAちゃんを知っていたので、そのことを何度も伝えた。Aちゃんはわたしの言葉を聞いて、ピンと来ない顔をしたり、涙ぐんだり、笑ったり、いろんな顔を見せた。12月の中旬はずっとAちゃんと話していた。親や担任の先生の説得もあり、Aちゃんは高校に行くことを決めた。だけど、すっきりしない表情をしていた。

冬休みの自習室オープン

冬休みになった。夏休みに引き続き自習室が開かれた。夏休みよりも少し長い、7日間限定の自習室。

初日、オープンの準備をしていると会場前にあるプレイホールで一人バスケをする女の子がいるのを見つけた。Aちゃんだった。Aちゃんのそばに行き、大学生が町に来てくれていることを話すと「えっ」と目を輝かせた。大学生には興味は持ったようだったけれど自習室という場所には行きづらそうにしていたので、大学生にプレイホールに来てもらい、一緒にバスケで遊んでもらうことにした。

気づけばAちゃんは自習室にするっと入っていた。どうやらバスケをして大学生と仲良くなったようだった。自習室の入り口で「今日は何する?」と大学生が問いかけた。Aちゃんの鞄の中には英語のワークが入っていた。別に課題が出されているわけではないのに、Aちゃんはワークを持ち歩いていた。「勉強道具鞄に入ってるの?すごいじゃん!」と私が素直に驚いた声を出すと、「まあ」とAちゃんはにやっと笑った。

そのままAちゃんは英語のワークをやり始めた。だけど、単語で躓いていてなかなか進まなかった。それに気づいた大学生が「まずは単語を覚えるといいよ」と声をかけ、それからしばらくの間Aちゃんは真剣な様子で単語をぶつぶつと喋って覚えようとしていた。わたしが近づくと、次に自習室に来た時に英語のテストすると約束したのだと教えてくれ、「いい点とりたいんです」と持ち前の負けず嫌いを発揮していた。

その様子を見て、放課後に一生懸命勉強していたAちゃんの姿が、単語帳を渡した時のAちゃんの顔が、私の頭によぎった。大学生に「家で勉強できるように手書きのプリントを作ってあげたらいいと思う。やるかはわからないけど、もらえるとすごく喜ぶと思うよ」と伝えた。大学生はAちゃんに手作りのプリントを作って渡してくれた。Aちゃんは嬉しそうに受け取った。「次は二日後に来ます」と言って、Aちゃんは帰っていった。

二日後の自習室

約束通り二日後にAちゃんは自習室に来た。眠そうにしていることを指摘すると、「昨日3時までプリントずっとやってた」と、びっしり単語を練習したプリントを見せてくれた。それを見た大学生は、Aちゃんに手作りのテストを作った。そのテストの下にはオリジナルのゆるキャラの絵と「頑張れ」の文字が添えられていた。Aちゃんはそれを見て「これめっちゃかわいい!」と笑った。

Aちゃんはその単語テストで満点を取ることは出来なかった。悔しがったAちゃんは「もっとテスト作ってほしい!」と大学生にお願いをした。大学生は「よっしゃ、わかった!」と何枚も何枚も手作りのテストを作った。

自習室の価値

この日は、Aちゃん以外にもたまたま生涯学習センターに来ていた生徒を自習室に連れてくることが出来た。一人は、授業中ずっと喋ってばっかりで全然集中できず勉強に気持ちが向かない、クラスのトラブルメーカーで「なんにもいいとこない」と先生方に言われていたB君。もう一人は、学校では真面目で一生懸命だけど、ペースはゆっくりでなかなか授業についていけないC君だった。

大学生は、そんな彼らと一緒に宿題の内容を確認して目標を立てて、わからない問題があればヒントを与えて、テストを作って、時には一緒にはしゃぎながら遊んで、お昼ご飯も一緒に食べた。いつもは集中できないB君が大学生に「それ終わったらバスケだぞ」と言われて必死に宿題に向かっていた。C君は「ここは自分のペースで勉強できるからいいな」と言った。その姿が、その言葉が、嬉しかった。

大学生たちはとても一生懸命生徒に寄り添ってくれた。生徒が頑張っていたら褒めて、出来ていなくても否定はせずに応援してくれた。ポジティブな言葉が、自習室の中にはたくさん飛び交っていた。わたしがいつも大事にしていることを大学生たちも大事にしてくれていると感じた。一緒にやってくれる仲間だと素直に思えた。

その日、Aちゃんは何枚も何枚も単語テストを解いた。なかなか満点は取れなかったけれど、集中が途切れたらバスケをしたりお喋りをしたりして、気持ちを切り替えようとしていた。諦めないAちゃんに応えるように、大学生も何枚も何枚もテストを作って付き合った。テストに書かれるゆるキャラのバリエーションはどんどん増えていった。

閉館の10分前の最後のテストで、ようやくAちゃんは満点を取った。100点の文字と、おっきな花丸に手足がついたゆるキャラを大学生は書いた。きっと、Aちゃんにとっては初めての満点だ。Aちゃんも大学生もやりきった表情をしていた。わたしの、あの放課後の時間に出来なかったことを、大学生の力を借りて、場の力を借りて、出来たことがとてつもなく嬉しかった。彼女の小さな自信につながるんじゃないかと思えた瞬間だった。

生徒の様子や大学生の様子を見て、この自習室は価値のある場所だということは明らかだった。こんなに生徒が頑張っていることを、こんなに大学生が向き合っていることを、先生方にも知ってもらいたい。素直にそう思った。

私の学校には先生たちに情報共有するためのウェブ掲示板があったので、そこに書き込みさえすれば情報が届くのはわかっていた。だけど、どんな反応をされるのか怖かった。あの職員室の会話を思い出すと、一歩がなかなか踏み出すことができなかった。

先生からのメッセージ

1月のはじめ。その日も自習室は生徒と大学生が和やかに関わり合っていた。その光景を眺めていると、この場所の存在を知らせることは自分にしか出来ないことで、自分の役割なのだという気持ちになった。

そして、わたしはとうとう書き込みをすることにした。その日はワークショップが行われる予定だったので、その案内文と生徒の様子を伝える写真を三枚、掲示板に投稿をした。

30分後、職場のH先生から「ワークショップって何時からですか?」というLINEが来た。うっかり時間を書き忘れて投稿をしてしまったことに気付き、慌てて開始時間を伝えると「部活なので行けません。すいません」と返信があった。「来ようとしてくれたことだけで嬉しいです」と伝えたら「大学生に可愛い子いるかなって思っただけですよ」と返ってきた。そういう先生なんだ。

とはいえ、H先生は学校の中ではとりわけ信頼している先生だった。生徒に対する接し方も、授業も、見ていて一番いいなと思える先生だった。そして、わざわざこうしてLINEをくれたことも嬉しかった。この先生なら、と思って「大学生とても頑張ってますよ。本当は先生方と交流する機会も作りたかったんですけど」と思い切って送ってみた。

するとすぐに返信が来た。開くと「なんで開かないんですか。やりましょうよ」というメッセージが書かれていた。そういう先生なんだ。だからこの人は信頼できるんだ。「明日、大学生の話を聞いてあげてください」とお願いをした。

次の日の夜、H先生ともう一人若手の先生が来て、大学生と先生方の交流の場が作られた。その場は異様に盛り上がり、久しぶりにたくさん笑ってとても楽しい時間だった。でも、ただ楽しいだけじゃなく真剣な時間もちゃんとあって、大学生の子達が生徒の対応で悩んでいることを相談したら先生は真剣に考えてくれた。生徒の名前を、先生も大学生も同じように呼び合ってわかりあっていた。それを見て繋がったと思った。幸せな気持ちになった。

帰り際、H先生から昨日の雰囲気とは違う丁寧なLINEが来た。「全然伝えられず申し訳ないです。最終日の自習室の様子、見に行きます」と書かれていた。そんなふうに、学生に伝えようとしてくれていたことがとてもとても嬉しかった。職員室の中にもわかってくれる人がいる。そう思うと泣けて仕方なかった。

最終日には、自習室の7日間のことを振り返るためのワークショップが最後に開かれた。継続的に関わった大学生と中学生が対話をしながら自習室の取り組みを振り返り、三学期以降をどのように頑張るかを考えるためのワークショップだった。

自習室の常連だったD君は大学生と振り返る中で、「最初は堅苦しい場所だと思ってたけど、行ってみたら大学生もとても気さくだったし、目標を考えながら勉強ができるのが良かった。ここはいい場所だと思う」と話してくれた。そして、その振り返りを踏まえて「自習室の開催期間が終わっても自分で目標を立てて勉強をする」という次の頑張りたいことを宣言していた。

ちょうどそのとき、H先生がワークショップを見に来てくれた。D君はH先生に向かって、大学生にした宣言をもう一度、堂々とした。先生は頷きながら笑顔で聞いてくれて、「俺に言ったってことは守らなきゃな!ずっと見てるからな!」とD君に返した。D君はちょっと恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑っていた。

そうして、わたしの冬休みの自習室運営が終わった。

7日間を終えて、これからの向かう先

この期間中、本当にいろんな気持ちが湧き上がってきて仕方がなかったので、書けるときは日記に気持ちを書き留めていた。そのリアルな一部分をちょっと恥ずかしいけれど抜粋する。

「こういう場」があればいいなってずっと思ってきた。場は作れないから「こういう気持ち」でずっと子供達に接してきた。それはわたしの中で、並大抵の気持ちじゃなくて、ずっと大事に大事にあっためてきたものだった。
実現したわけじゃないけれど、やりたかったものが少しできてる気がして、それがやっぱり子供達にとって必要なものだったんだなと思えて、それだけで涙が出そうなくらい嬉しい。

学校の先生方のことを近くで見てきたつもりだし、今の職場は大好き。だけど、やっぱり子供を見る目に関してはもやっとすることも多いんだ。
だからわたしは、本当のよさも本当のできなさも、まるごと全部受け止めれるような、ふわっとやさしいあったかい場を作りたい。先生方や学校にも、事情とか大変さがあるのもわかるから、そこじゃできないことをしたいな。それは役割を奪うとか、対立とかじゃなくて、見てる方向は同じでいたいし、同じでいれるはず。

わたしは「子供のための場所を作りたい」とずっと思っていた。場所を作るということは簡単には出来ないことなので「自分が子供のための”場所”になれるように」という気持ちで、4月から学校の中にいた。だけど、気持ちが流されちゃう時や負けちゃう時もあった。本当の気持ちを話せる人なんていなかった。だから、仲間と思える人なんて誰もいないとも思っていた。そんな8ヶ月だった。

でも、この冬休みはそうじゃなかった。自分と同じ気持ちで生徒に接してくれる大学生と会えた。職員室にいてくれる先生を見つけた。彼らにとって本当に必要な場所を作れた。自分一人じゃできないことも、同じ気持ちをもった誰かと一緒ならできると思えた。たった七日間で、こんなにたくさんの「出来たこと」があった。それが、すごくすごく、嬉しかった。

この気付きや気持ちは、この先のわたしを勇気づける力になっていくと思う。そして、ずっと自分のやりたいことに自信を持てずにいたけれど、ちょっとは自信を持ってもいいんじゃないかなって、思える。

わたしはやっぱり「どーせ自分なんて」と思ってる子達のことをまるごと全部受け止めれるような、ふわっとやさしいあったかい場を作りたい。そして、そんな子達が「この人おもしろいな」「この人みたくなりたい」「この人となら頑張れる」「この人にまた会う日のために頑張ろう」そう思えるような人たちに出会えて、前に進む力を得ることができるような場を作りたい。それを、学校とか行政とか、そんな立場も所属も関係ない枠組みで、「子供のため」を思う人の気持ちを集めて作りたい。

その気持ちを再認識してしまったからには、そのためにできること、今の私にできることを、ちゃんと地に足をつけて向かっていこうと思う。

2021年、きっといろいろと大変なことはあるけれど、前を向いて頑張りたい。


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