見出し画像

親孝行なんかしなくていい

「親孝行」という言葉があります。わかりやすく言いますと「親に育ててもらったのだから何か親が喜ぶようなことをしなさい」という意味です。

なぜですか?

なぜ親に何かを「返さないと」いけないのでしょうか?

親が子供を育てる。これは当然です。勝手に産んだのですから。子供が「産んでくれ」とお願いしたのならば平等になります。しかし、当然ながらお腹の中にいる子供は「産んで欲しい、産まないで欲しい」というメッセージを送ることはできません。だから子供は強制的に生まれてきます。強制的に生きることを強いられます。

「勝手に産まされて迷惑。生きることを放棄します」生後、安楽死を公使できるのならば話は別です。しかし、今の日本にそんな制度はありませんよね?ないですよね?ないということは我々は死ぬまで生き続けるしか選択肢はないですよね?死にたくても。

だから親が最後まで面倒をみるのは当然じゃないですか。当然ですよ。本来、私たちは王様のようにふんぞり返って生活していていいのですよ。勝手に誕生させられたのだから。誕生させられてから「安楽死」という公的に生きることを放棄する制度がないのですから。親が最後まで面倒をみる、当然じゃないですか?なにか反論できますか?

それなのになぜ「親孝行」するのですか?借りが一つでもありますか?貸ししかありませんよね?まさか「中には虐待などされる子供もいるのだから感謝しないと」などという有らぬ論理を持ち出すことはないですよね?

このように「理屈」「正論」を言うと受け入れられなくてパニックを起こす人がたくさんいます。そういう人たちが「安楽死」の制定に遅れを取らせるのです。

「子供の誕生は素晴らしい!」「生きるって素晴らしい!」「今日も親に感謝!」ポジティブな言葉に押しつぶされて今日も悲鳴をあげている人たちがたくさんいます。その声は同調圧力の前に届くことはありません。

だから今日も私は発信します。ささやかな活動を続けます。

いただいたサポートは運営費として大切に使わせていただきます。