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摂食障がいの克服203【JAM】

 お仕事を終えたところです。
 今日は比較的長い時間勤務で、しかしながらわりと家事もしてからの出勤。体力がないので、頑張りすぎると反動が来るとわかっているのに、定期的になんだかこうなっています。

 昨日の好きなノーターさんとコメントで『JAM』について話し、頭の中は『JAM』でいっぱい。(仕事に98%脳は使っています。本当に。)

 暗い部屋でひとり テレビはつけたまま
 僕は震えている 何か始めようと
 外は冷たい風 街は矛盾の雨
 君は眠りの中 なんの夢を見てる?
 時は裏切りも悲しみもすべてを僕にくれる
 眠れずに叫ぶように からだは熱くなるばかり

 Good night 数え切れぬ Good night 夜を超えて 
 Good night僕らは強く Good night 美しく

 儚さに包まれて 切なさに酔いしれて 
 影も形もない僕は 素敵なものがほしいけど、あんまり売ってないから 好きな歌を歌う

 きらきらと輝く大地で君と抱き合いたい
 この世界に真っ赤なジャムを塗って食べようとするやつがいても
 過ちを犯す男の子 涙化粧の女の子
 たとえ世界が終ろうとも ふたりの愛は変わらずに

 Good night 数え切れぬ Good night 罪を超えて 
 Good night僕らは強く Good night 美しく

 あのえらい発明家も 凶悪な犯罪者も みんな昔子供だってね
 外国で飛行機が落ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
 『乗客に日本人はいませんでした いませんでした いませんでした』
 僕は何思えばいいだろう 僕はなんて言えばいいんだろう
 こんな夜は逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて
 君に逢いたくて 君に逢いたくて また明日を待ってる

 上記の歌詞は少しみましたが、ほぼ頭に入っています。

 1996年の曲だそうです。この当時は、ポケットベルというものの時代でした。携帯電話はこの少し後。平成初期の名曲です。ミスチルが、名もなき詩をうたっているころです。

 私の当時の理解では、世の中は不平等であり、矛盾だらけであり
 生まれたときみな赤ちゃんだったのに、そんな不平等で矛盾だらけの世の中で、偉人になったり、ホームレスになったり。空虚な気持ちで若い男の子だって女の子だってぼろぼろに自分も相手を傷つける。
 外国で飛行機が落ち、乗客に日本人はいませんでしたって嬉しそうに言われても事実飛行機が落ちたんだから、犠牲になった人たちがいる。国籍に関わらず同じ人なのに。
 
 昨日のノーターさんの記事を読んでコメントでやり取りして、そうかこのキャスターのことも例えのひとつなんだ、と。
 そして、そんな矛盾だらけの世の中で生きづらい中で、好きな歌を歌うとか、もしも私だったら好きな絵を描くだとか、無償の愛でつながっている人がもしもいるならば会うことに希望を見出しているんだな、と再認識して。

 そして、ふと思った。なるほど。ジャムってあのジャムじゃないんだ。
 私はジャムをたっぷり塗って食べる人のその裏に貧困が隠されていて、食べることもままならないだとか、究極ごみ山あさりながらなんとか日銭を稼ぐ地域の人もいる、などと考えていたのです。

 もっと深い、どろどろした欲望の例えじゃないの、と。

 『カエルの子はカエルやな!』とか、『胸が悪いって、たぶん気分が悪かったちゃうかな』などなど数々私を絶句させる友達が、
 『この世界に真っ赤なJAMを塗って食べようとするやつらって、戦ったりして、世界中が例え、例えばだけど真っ赤な血で染まったとしても、自分の利益のみを追求して、自分の物にしようとするやつも居るってことじゃないのかなあ』と。

 あまり戦う系の文字は使いたくないし、過激なことも言いたくないし、世界の平和を望んでいるので、あまり触れたくはないです。JAMの真理もわかりません。

 JAMってそう、ジャムじゃないんだ、そう思った今日でした。
 上記友達のことばはちょこっと変えて書いているのですが、なるほどと私は思いました。

 また、大規模な何かでなくても、企業だとかグループで人が複数人集まればJAM的な出来事って精神的に起こったりしますよね。この世界に真っ赤なJAMを塗って。自分の会社の社員たちが、泣いたってかまわない、だとか。仮に管理職の方が、自分に妻子がいて、子供が小学生として。同じように小学生の子供のいる従業員を簡単に除外できるって、強さというより、何かにの欠如にも思えるのです。それが選択肢としてあり得ないと考えてはいません。やはり、企業を守ることが第一前提であると思うから。

 それでも、企業は企業として雇った人たちにはある程度の責任が伴うためある程度状況把握であったり、企業努力があったらいいな、と私は思います。踏みつけられる立場であっても、人だから。また、誠実であるということ。排除する立場にも敬意をはらって、嘘のない世界で、真摯に語るということ。それが大事だと私は思います。

 もっと小規模な例えば家庭とか友人関係とかにもJAMがあるのでは、って漠然と考えたのです。以前、『nature/nurture』って書いたことがあるんです。
 仮にこの鬱的症状がnature(先天性)とはやはり思えない。
 nurture(環境)がそうさせた、私はそう思います。
 もしも、もしも環境が違ったら何か違ったかもしれない。どんな恵まれた環境でも今の自分だったかと考えると恐らく違うところもあると思います。

 (けれど、何度も思いつくのは、今の環境があったからこそ、息子に会えたということ。息子には、父親との出会いを話すため、息子も、『お母さんが仕事の選択が違ったら、俺、おらんもんな』という)

 Nature / Nurtureの研究では、先天性の何かもあるそう。例えば長い間離れていた双子にも同じ癖が見つかったとか。しかし、Nurtureの研究では例え一卵性の双子でも、環境違えば違う人生になり得るということが証明されています。

 つまり、私が今日思ったのは、JAMの世界ってこの、権力とか権威とかどろどろしたものが、弱者を抑えつける世界であり、それは今精神面の世界で多々あるであろうということであり(The Yellow Monkeyがこの曲をリリースされたころよりも遥かに)、じゃあ何に希望を見出せばいいの、ということ。

 好きな歌を歌うと、歌詞では歌っているけれど、
 好きな絵を描く、好きなバク転をする、好きな英語を勉強する、
 だとちょっと私の場合は、努力を伴うので、私の場合は、好きなノートを書く、とかになるのかも。

 君に逢いたくて、君に逢いたくて、また明日を待ってる

 きっとノートでいうと、こんなノートの繋がりに逢いたくて、逢いたくて、また明日までは、生きるー。

 ノート友達さんのお陰でまた、JAMが聴けてうれしいです。ありがとうございます。このJAMとか、GReeeeNのキセキとかカラオケで歌うのが好きです。Judy and Maryとかも。

 英検の勉強は今日もしたんです。
 
 英検の問題ってそれにしてもよくできてて。
 2級でも充分難しいと思うんです。
 語彙問題はそうでもないと思いますが、長文読解、英作文となり、自分の考えを英語で書いたり、また2次試験では話さなければならないので。
 それが準1級となるとやはり難しいです。自分はなぜ、10代のころ勉強もせずに実力テストみたいに受けたのか。とはいえ、やはり語彙は6000語は覚えてから受けています。

 それが英検1級となると倍の語彙(しかも日常ではあまり見ない)ので、非常に難しい。

 仕事の事前準備しつつ、明日も少し過去問解いてみます。

 
 

 


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