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摂食障がいの克服289【2種類の人】

 お仕事から帰りました。

 その昔、『ホタルノヒカリ』という漫画が好きでした。綾瀬はるかさんと藤木直人さんでドラマ化されたあの大人気のお話です。ホタルはいわゆる”ヒモノ女”で、日中は雑誌に出てくるような颯爽としたキャリアに生きる女性ですが、帰宅すればジャージに前髪結んで、ビールのんで新聞紙をかぶって眠るのが得意な女子です。

 ホタルはある日飲み屋さんで、ご年配の男性と(適当に)契約を交わし、その方の所有する庭付き縁側付きの一戸建てに住んでいます。そこへ、職場では上司である高野部長が現れる。実はご年配の男性は高野部長のお父様であり、この家に住む権利を高野部長も持っていた。

 そういうわけで、奇妙な同居生活が始まるのです。
 高野部長は超潔癖症、1階の1部屋を自室として使い、ホタルは、2階を使う。そして、1階の和室とキッチン、縁側を二人で使って、一緒に仕事の後にビールを飲む。

 何といっても綾瀬はるかさんなので何してもかわいかった。

 その綾瀬はるかさんが、倉庫に一晩閉じ込められてしまったシーンがあって。普段から新聞紙で眠れててよかった~って朝まで無事なのですが、部長がホタルを本当に好きなんだなーって感じさせられるシーンでした。

 このドラマで、綾瀬はるかさんが、『人には2種類ある。1種類は倉庫に閉じ込められない人間だ。もうひとつは倉庫に閉じ込められる人間だ、』というような趣旨なのですが。

 私は毎日これを今思うんです。

 人って生きることに忙しいから。ノートの時間を自分でない誰かに割くということって、その大切な時間を遣っていることだと思うんです。

 ちなみに、私は文章が長くなってしまうので、読んでくださるとか好きをくださるということに心から感謝していて、また、自分から好きをつけることができません。私の長い文章を読んでって言ってるみたいな気がして…

 (いえ、もう長い間好きし続けている方にはもう、反射的に読んでしまい、反射的に好きをしてしまいますが‥。結構その方の人生に触れるぐらい知ることができて嬉しいなーって勝手に思っています。笑)

 根が暗いので考えすぎかもしれないけれど、でもそれぐらい、私が書いたことを読んでくださり、まして、好きをくださるって嬉しいなーってそれだけで生きていけるって今は思います。

 それで、2種類がいると思う、って毎朝思うんです。

 ノートを毎日書かれる方もいれば、不定期更新の方もいますけど、書かれていない際にも、私の文章を読んでくださるとか、好きをつけてくださるとか、ましてや、お忙しいのに、前日の投稿にまで遡ってみてくださる方もいて。なんて心が優しくてきれいで素敵なんだろうって、いつも思っています。

 私もできることがあればいいけれど、現状まだまだ自分自身でいっぱいだから、その方たちの人生を応援したり好きでいることしかできていないけれど。

 毎回読んでほしいとか、好きがほしいとか、書いているわけでは無論ないんです。本当にそうやって優しくしてくださる人がいて、恐らく2種類いる中でずば抜けて、なんていうか私がもう、感謝している方々になりますが、ご記事を発信される際に必ず(必ず!100%)私の投稿に目を通してくださる方もいて、本当に、感謝しています。

 休職して、退職して、就職して(バイトですが)、最初に何時間も準備しては1時間仕事(案件)をこなす、あのもう二度としたくない時期に、どれだけノートの世界に助けられたかなーって思って感謝をしています。

 ものすごい無論傷ついてきたし、摂食障がいという症状を抱えてもいた過去があり(今は余波)、また人との接し方に未だに課題が多々ある。これは、摂食障がいの恐怖(余波)とか、今の不安が直結していて、勢いよく人に嫌われてきてもいる。

 縁切り神社なるものがあるので、そういうご縁はすぱって切れたらいいなって今は切り替えてます。

 『アリーマイラブ』のアリーが言ったように、

 My experience tells me that I will love somebody again, and I would be loved, again.

 私は誰かを愛すって知ってるし、もしかしたら愛されるかもしれない。

 若い世代は鼻で笑うかもしれない。けれど、もしかしたらあるかもしれない。このところ嫌われたところに、それは、わかっていて、精神を試すとか、もっと辛い状況に持っていくと知っていて、そういう状況を私に課題として与えたそういう、もしもですがそういう場所があってもそこに負けないっていうことだなって、感謝が上回るようにして、生きていかないと、って。

 そう思っています。

 英検は、今日もひたすら単語は聞いています。
 1級がすべてではないし、摂食障がいに関しても、生きていくゴールにしても、誰かに何かを与える、つまり仕事をどのようにするにしても(仕事とは、自分の特化した知識や経験などを人に還元する連続であると思うので)、必須ではなくて、それがもしあれば、資格に固執し続けることが、”イコールゴール”ではないでしょうし。

 夜も朝も、お昼も、1日を通じて、ノートで好きとかコメントとか頂くってことが今すっごいパワーになっていて、感謝です。

 

 

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