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イランの猫はペルシャ猫?

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はじめに

以前にも取り上げましたが、今回はイラン単独で取り上げようと思います。僕が今まで行った国の中で入国までが一番面倒でした。イランへの旅行の仕方についてはヨルダンとまとめているのでそちらをご覧ください。イランはよくイラクと間違えられることが多いです。隣り合っている国で文化も似ています。地図で覚えるときは大きい方がイランと覚えてください。今回のお話でもう間違わなくなるのではないかと思っています。ペルシア絨毯やペルシア猫と聞けば、高級感あふれるイメージがあると思います。石油がじゃんじゃん出るペルシア湾のペルシアも同じです。ちなみにペルシア湾は英語でthe Gulfで表記されることがあります。それに対して、イランと聞けば、危険、物騒といったイメージを持たれているはずです。実はこの2つは全く同じで、ペルシアは昔のイランのことを指します。日本でいえば、江戸と東京といった感じです。地球の歩き方にもイランだけでなく、ペルシアの旅と書かれているので、日本人にとってペルシアという単語は少し高級感のある響きであることを示していると思います。


イランってどんな国?

先ほども少しお話したように、イランはペルシアと呼ばれていました。歴史は古く紀元前から文明がありました。日本よりも歴史の長い国です。現在のイラクやシリアにあったバビロニア王国の一部だったペルシアはそこから独立して紀元前にエラム王国が誕生しました。ペルシア王国そして帝国の始まりです。その後、エラム王国を倒しアケメネス朝が誕生しました。このころに、ペルシアで拝火教の異名で知られるゾロアスター教が誕生と言われています。アケメネス朝の首都はシーラーズ近郊にあるペルセポリスで、アケメネス朝の宮殿として使われていました。石造りの宮殿で、現在の中東諸国のイスラム建築ではありません。この当時はまだイスラム教は誕生していません。

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ゾロアスター教寺院

イスラム教国家になるのはアッバース朝以降のことです。それまでのサーサーン朝まではゾロアスター教がメインでした。アッバース朝以降、イランのイスラム化は進んでいきます。そして16世紀になり、サファヴィー朝が誕生します。サファヴィー朝の誕生により、ペルシアがシーア派の国になり、今でもイランはシーア派の国として存在感を示しています。イランではシーア派が多数派ですが、イスラム教全体ではシーア派が少数派で、スンニ派が多数派です。サファヴィー朝になってしばらくしてから、首都がエスファハーンに遷都されました。サファヴィー朝の初期はイラン北部のタブリーズが首都でした。エスファハーンは今でのイラン最大の観光都市で、世界の半分と呼ばれる「イマーム広場」があります。イマームはイスラム教の開祖・ムハンマドの親族で血を引く者でシーア派では指導者的地位にあり、正当なムハンマドの後継者とされています。スンニ派ではカリフがイスラム教の指導者とされていて、イマームを指導者としては認めていません。僕はまだエスファハーンに行ったことはないのですが、非常に綺麗な場所であることは容易に想像ができます。この時代の完成した建物は世界遺産に登録されています。

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テヘランのモスク

サファヴィー朝が崩壊してから、誕生したのがガジャール朝でイラン史上最悪の王朝と言われています。ガジャール朝が誕生したころにイギリスが世界の覇権を狙っていました。そしてイランもその対象となり、独立国家ではありましたが、イギリスの傀儡政権に近い状態でした。イラン国民はガジャール朝時代についていい印象を持っておらず、イランの主権が侵されたと思っているそうです。ガジャール朝時代にエスファハーンから現在の首都テヘランに遷都されます。ちなみにですが、ガジャール朝崩壊のきっかけは日露戦争の勝利が絡んでいたともいわれています。立憲国家がロシアを打ち破ったから、イランも立憲国家になるべきだという機運が高まり、ガジャール朝が崩壊したと言われています。ガジャール朝の崩壊後、誕生したのがパフラヴィー朝です。イラン最後の王朝で、上皇后陛下が皇太子時代に一度訪問されています。イランの博物館にその当時の写真が展示されています。パフラヴィー朝では、非常に世俗的で今のイランのイメージとは大きく異なります。そして、親米国家でした。イスラム教の教えに反するような西洋的な格好が流行っているイランの流れに疑問を感じて、革命を起こしたのがホメイニ師です。そして、イラン革命が起こり、パハラヴィー朝は滅び、現在のイスラム共和制になります。親米体制のパハラヴィー朝が崩壊したことによって、反米国家になっていき、現在に至ります。今もなお、経済制裁が加えられて疲弊しています。

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イランの観光スポット

イランの観光スポットはエスファハーンとシーラーズです。テヘランにも観光スポットはありますが、前者の2都市に比べると新しく、サアダーバード宮殿に至ってはヨーロッパ式の宮殿です。中東らしさを求めるのであれば、エスファハーンとシーラーズがおすすめです。イラン人の友達になんで、エスファハーンやシーラーズ行かなかったの?と言われるぐらい定番スポットです。次行く機会があれば、ぜひ行ってみようと思っています。エスファハーンやシーラーズは古都で、日本でいう京都や奈良のような位置づけです。ペルシア帝国の最盛期に都のあった都市なので非常に綺麗な場所と言われています。テヘランでもモスクなどを見て、非常に綺麗と思いましたが、それ以上だと言われました。

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サッダ・バード宮殿内部

テヘランは近代的な都市でエスファハーンやシーラーズに比べると、歴史的建造物は少ないです。ただ、一番の見どころはゴレスターン宮殿です。ガジャール朝に建てられたのですが、内部の装飾は非常に綺麗です。ヨーロッパの宮殿とはまた異なります。日本では見られない建築様式で、中東諸国でしか見られないものだと思います。壁などに施されている模様が非常に綺麗で面白い形をしています。イスラム教では偶像崇拝が禁止されているので、幾何学模様の柄が多く、非常の面白いです。一説によると唐草模様はイラン発祥とのことです。

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ゴレスターン宮殿内部

イランの地球の歩き方は他の国に比べて、非常に薄く、観光スポットが少ないように思われますが、実は地球の歩き方に載らないようなモスクも非常に綺麗です。ペルシアンブルーと言われる水色を基調としたデザインが非常に美しいです。猫のロシアンブルーではありません。水色を基調としたデザインはイスラム文化圏ではイランやトルコやウズベキスタンで多く見られます。アラブ圏では白を基調としたモスクが多いです。個人的には水色を基調としたモスクの方が好きです。

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モスク内部

イランは食事も美味しいのですが、慣れない人からすると抵抗のあるものが多いかもしれません。日本ではあまり使われていないようなスパイスが使われていて、くせのある味です。イランに行く前にイラン料理がどのようなものか試されたい場合は、六本木にあるイラン料理屋さんに一度足を運んでみてください。

ヨーロッパ料理や中華料理であれば、ある程度本場の味も想像がつきますが、馴染みのない国の料理となると少し抵抗がある人もいらっしゃるかしれません。一度日本でトライしてみてください。

世界一の湖

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カスピ海

僕がイランで行ったのはテヘランとカスピ海沿いの数都市です。ただでさえ、イランに行く日本人が少ないのに、カスピ海沿岸部についてはほとんど行く日本人はいないのではないかと思います。カスピ海沿岸にラムサール条約で有名なラムサールという都市があります。マーザンダラーン州の都市で、州都ではありません。州都はサリーという都市です。確かサリーの公園に言った記憶があります。カスピ海沿岸部はただ大きな湖が広がっているだけです。琵琶湖や瀬戸内海のように対岸は見えません。世界一大きな湖ですが、本当に海のようです。山を越えたテヘランは雲一つない乾燥地帯ですが、カスピ海沿岸の地域は日本のように温暖で湿潤な気候です。山からカスピ海を望むことができますが、それでも対岸は見えません。日本ではまず見ることのできない光景です。カスピ海の大きさを感じることができます。カスピ海を眺めることのできるジップラインなどのアスレッチクもあり、非常に楽しいです。

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最後に

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イランはアラブと思われることが多いです。僕も最初は思っていました。イランはペルシアでアラブではありません。アラブはざっくりいうとアラビア語圏であって、イスラム圏でありません。イスラム圏の中にアラブは存在します。ペルシア語とアラビア語は同じ文字を使いますが、別の言語です。ペルシア語は日本語に近く、助詞に当たる単語も存在しますが、アラビア語には存在しません。ペルシア語とアラビア語の関係は日本語と中国語の関係に近いと思ってください。同じ漢字を使いますが、文法も発音も違います。実はこのことイラン人の友達に嫌というほど叩き込まれました。彼は常にペルシアとアラブについては「totally different(全く別もの)」と言っていました。イランについて調べるようになってからその違いが分かるようになりました。アラブ諸国とはっきり違うということが行ってわかりました。その違いは現地でないとわからないかもしれません。イランへ行くこと人は少ないですが、イランへ旅行に行っただけで話のネタになります。治安もいい国ですが、旅行をするときは気を付けてください。

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